第15話 ソロの計画

 六月十八日。

 太陽が空の中央に昇るまであと一、二時間という頃。

 ソロは国境に立てられた看板を見上げていた。

 

《よ こそ! ケニ 小国へ!》

 

 古びた木製の看板に書かれた文字が、風雨によってかすれている。

 

「ここならよさそうだね」

 

 今からやろうとしていることはカノン教の修道士がいては邪魔になる。経験上、こういった小さな国ほど修道士のいる可能性は低い。

 

 ソロは、背後で不安げに佇む二人の弟たちをふり返った。

 

「あんたたち、この国でさっき話したのをやるよ! 段取りはわかってんだろうね?」

「う、うん……」

「おでもー」

 

 睨まれておずおずと肯定するデュオとドリオを、ソロは訝しむ。

 

「なんだか頼りないねえ。よし! だったら試してやるよ。まずはデュオ!」

「な、なに……? お、お姉ちゃん……」

「アタイたちは、この国で何をしようとしてるんだった?」

「え、えっと……オーディラル教の修士を……よ、装って……親睦って、め、名目で……その……お、お金とか、た、食べ物を……ゆ、譲って、もらう……んだよ、ね?」

「さすがはデュオ! 賢い! けど、惜しいねー。《譲って》もらうんじゃなくて、あくまでも《寄付して》もらうんだよ。じゃあ、次! ドリオ!」

「あい!」

「元気はいいね。ドリオ! 今回の計画であんたの役割はなんだい! 言ってみな!」

「おでが、ネーチャとデオ、まもる!」

「そうだよ! わかってんじゃないか!」

 

 満足顔でバシバシとソロに巨体を叩かれて「ネーチャにほめらでだ」と嬉しそうにするドリオを尻目に「で、でも、」とデュオが言う。

 

「い、いいのかな。か、神様を……そんな、わ、悪いことに、使って」

「ダメなら神罰が下るだろうさ。けど、神は何もしやしない。困ってるヤツを助けることも悪いヤツを罰することだってね。それはデュオ、あんたも散々その目で見てきたろ」

「そ、それは……そうかも……しれない、けど……」

 

 まだ納得のいかない様子のデュオに、ソロは言った。

 

「なら、あんたはこのままでいいってのかい! 周りのヤツらよりスゴイことができるのに、周りのヤツらと同じことができないってだけでいじめられて! そんな狂った世界でもまだあんたは誰にも迷惑をかけたくないってお優しいことを言うのかい?」

「だ、だって……ここの国の、人たちは……ぼ、僕たちにまだ……な、何もしてない、よ」

「まだ、ってだけさ。いつもそうだ。新しい国を見つけるたびに今度こそはって期待してさ。それで違ったことが一度でもあったかい? なかっただろ?」

 

 ソロの言葉に黙り込んだデュオが、やがて彼には珍しくはっきりとした声で言った。

 

「わかったよ。僕は……お姉ちゃんに、ついていく」

「よし! ドリオ、アレ出しな!」

「あい!」

 

 ドリオが背負ったままパンパンの特大背負袋に指を突っ込み、すぐに目的の物を探し当てる。常人の腕ほどもあるドリオの太い指には、白色の布がつままれていた。

 

 布を受け取ったソロは唇の端をわずかに上げる。

 

「どこで何が役に立つかは、わかんないもんだね。捨てないでよかったよ」

 

 それは、オーディラル教のスカプラリオだった。

 オーディラル教では軍神オーディラルを信仰する者を信徒といい、信徒の上に立つ者を修士と呼ぶ。修士は《準修士》、《正修士》、《司祭》、《元老》の順に階級が上がってゆく。いずれの階級でもスカプラリオは白色で、階級が上がるごとに金色の刺繍が足される。

 

 ソロが持つスカプラリオは、準修士の階級を示す、無地のスカプラリオだった。

 準修士は修士の名が付いてはいるものの、まだ見習いの身分だ。

 しかし、問題はないとソロは考えていた。

 異なる宗教のスカプラリオの違いが一般人にわかるはずもない。

 

 

 いつもの白いシャツと赤色のロングスカートの恰好からオーディラル教の修道服に着替えたソロと、二人の弟たちは、ケニス小国の国道を北上していた。

 

「まったく、この国はどうなってんだい」ソロがぼやく。「田舎とは思ってたけど、まさか無人なんてことはないだろうね」

 

 歩き続けて早数時間。

 誰ともすれ違わない。

 

 うしろからついてくるデュオがソロの不安を否定する。

 

「む、無人ってことは……ない、と思う、よ?」

「なんでさ」

「畑が、て、手入れされて、るし……そ、それに……遠くに、い、家も建ってる、から」

 

 デュオの指が示した先に視線を向ける。

 広大な畑には何本ものが作られ、遠くには家屋らしき建物が見えた。

 

 同じ風景を見てきたのにソロは言われるまで気づかなかった。こういうところが女の子らしくないと言われる原因なのかもしれない。

 

「んじゃ、もう少し行ってみるとするかい」

 

 それからコラス三姉弟は、さらに二時間ほど歩いた。

 

 ようやく人の姿を見られたのは町に着いてからだった。

 町の中心部は広場になっていて、商店など様々な店舗に囲われた空間の真ん中には一本の巨木が植えられていた。その根元に並んだ横長の椅子では、天気が良いこともあって、団欒する老人や用事を済ませにきた奥様たちの姿が目立つ。

 

 ひさしぶりに見る人の姿にコラス三姉弟は歓喜の声を漏した。

 

「おお! 見な、おまえたち! 人だよ! 人がいるよ!」

「や、やったね……お、お姉ちゃん」

「おおおー! ひどー! めじー!」

 

 人々が奇異の視線をコラス三姉弟に向ける。

 ドリオの大声と巨体が目立っているのもあった。けれど、小国ではよくあることだ。話し相手が地元の人間だけという幅の狭い交流が根付いた場所では国の外から来た人間が珍しく、冷たい態度を取る傾向が強いものだ。

 

 いつものことだとソロは割り切ってドリオの腹をパンと良い音で響かせた。

 

「ドリオ、いくら腹が減ったからって人間を食うんじゃないよ! 腹こわすからね!」

「ぼ、僕も、……は、早く、ご飯たべたい」

「アタイもだよ。けど待ちな。わざわざ金を払って食うことなんてないよ」

「ど、どうするの……?」

 

 怪訝顔のデュオに、ソロはにやりとしてみせる。

 

「まあ、見てなって。もうすぐ腹いっぱい食わせてやるからさ!」

 

 ソロは、あたりを見回した。

 大きさも形も異なる建物が建ち並んでいる。その多くが何かしらを売っている商店のようだった。

 そのうちの一軒。《ジュード雑貨店》という看板を一階と二階の間に掲げた建物に目標を定めた。理由は単純に近かったから。

 

 ソロは、開け放たれた玄関をくぐった。

 

「ちょっとごめんよ!」

「いらっしゃいませー」

 と、なんとなくやる気のなさそうな声が店の奥から出迎える。それからすぐに金髪の青年がカウンターを回って近寄ってきた。

 

「初めて見る顔だね。お嬢ちゃ……いや、お姉さんか。この国の人じゃないでしょ? もしかして観光? っていっても、この国には何もないけどね。あーでも、マダラウシのミルクとクロウシ肉はなかなかのもんだよ。おっと、自己紹介がまだだった。オレはカルロス。ここの雑貨屋の店長だ」

 

 カルロスと名乗った青年はうるさいくらいによくしゃべる。ソロは、こういう軽薄そうな男が嫌いだ。けれどソロは気を悪くするどころか、むしろ上機嫌になった。

 

「カルロスって言ったね! あんたすごいよ!」

「何がだい?」

「初対面でアタイを子供扱いしなかったのはあんたが初めてだよ!」

 

 ソロが絶賛すると、なぜかカルロスは大きく肩を落とした。

 

「失敗だ……そういうことなら訂正するんじゃなかったよ」

 

 ソロはわけがわからなかった。正直な気持ちから褒めてがっかりされたのも初めてだ。

 

「いや、アタイは褒めてるんだよ?」

「わかってるさ。だから失敗なんだ」

「はあ? なに言ってんだい?」

「女の子には褒められるより怒られたほうが気持ちいいでしょ。キミみたいな可愛い女性だったら特にね。はああ、その小さな足に踏まれたかった……」

 

 普段のソロなら怒り狂っていた。

 初対面で聞いてもいないのに特殊な性癖を打ち明けてきて、いつもなら蹴り飛ばしているところだ。

 だけどソロは、そうしなかった。

 

《可愛い女性》と言われたからだ。

 普段は幼女扱いしかされないのに一人の女性として見てくれて、おまけに可愛いまで付けてくれた。

 嬉しくないわけがない。

 だから、どういう反応をすればいいのかわからなかった。

 

「お、お姉ちゃん……?」

 

 背後からぼそぼそと呼ばれ、ソロは我に返る。

 

(アタイとしたことが見てくれと甘い言葉に本来の目的を忘れるトコだったよ)

 

 気を取り直して質問した。

 

「ちょっと、あんたに訊きたいんだけどね」

「何? 探し物?」

「探してるのは物じゃないよ。この国で一番エライ人はドコにいるんだい?」

「ああ、そんなこと」

 

 ソロの企みを知るはずもないカルロスが頷くと、

 

「んじゃ、いこっか」

 

 ソロの横を通り過ぎ、デュオとドリオの間を抜けて歩きだした。

 

「え?」

「長老のところまで案内するよ。初めて来た国なんだし、そのほうが安心でしょ」

 

 案内までしてもらえるとは嬉しい誤算だ。話をするうえで現地の住民が間に入っていたほうが円滑に進むだろう。

 ソロは心のなかで舌なめずりしながら有難くカルロスの申し出を受け入れた。

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