第14話 コラス三姉弟

 六月十六日。

 ケニス小国から、ほど近い街道。

 進行方向右手には草原が、左手側には森林が広がり、上を向けば小鳥が寄り添うように青い空を飛び、下に目を向ければ色とりどりの野花が可憐に咲いている。

 

 そんな自然の美しさに溢れた道をコラス三姉弟は歩いていた。

 ただ、三人の足取りは重かった。それは、どんなに広大で綺麗といえども数時間、数日と似た景色が続いているせいで厭きたというのもある。だけどそれ以上に、もっと切実な問題がコラス三姉弟にはあったのだった。

 

「ネーチャ……おで、腹へっだ」

「うっさい。あんたは図体がでかいから燃費が悪いんだよ」

「お、お姉ちゃん……ぼ、僕も……お腹は、へ、減ったよ。だって……も、もう、二日は何も食べて……ない、から」

「アタイだって腹は減ったに決まってんだろ」

 

 景色に見飽きた以上の切迫した問題。

 それは、空腹だ。

 川を見つけられずに水浴びできないのも、野宿で背中が痛くなるのも、まだ耐えられる。だけど、腹が減るという生物としての本能だけは抗いようがなかった。

 

「まったく、やってらんないねー」

 と、コラス三姉弟の長女――ソロ・コラスは天を仰いだ。あまりの空腹に食べ物でも落ちてこないかと無意識に思ったのかもしれないし、その先にいるであろう神を睨みつけたかったのかもしれない。

 

 神なんて二度と信じない。

 とソロは決めていた。

 それは神の存在を疑っているわけではなく、神が自分たちに何かをしてくれるなどと期待するのをやめたという意味だ。

 神は、いるのだろう。存在しないものをこれだけ多くの人間が信じるわけがない。だからたぶん、どこかに神はいる。

 だからこそソロは許せなかった。

 どれだけ苦しみに悶えても、声を枯らして救いを求めても、そういう人間に神は手を差し伸べない。神からの恩寵は、いつだって一部の人間だけに与えられている。

 

「お、お姉ちゃん……これから……どう、するの?」

 と、ソロの右隣から消え入りそうな声が聞こえてくる。


 上の弟――デュオ・コラスだ。

 デュオの気弱さを表しているのは、そのはっきりとしない話し方だけではない。長旅でよれよれになったシャツとズボンに包まれた体躯は十七歳の男にしては痩せて、せっかくの高身長も猫背で台無しだ。相手と目を合わせるのが苦手だからと顔の上半分を覆う伸ばしすぎの前髪からは陰湿な印象しか受けない。

 軟弱、ひ弱、根暗……そういった言葉がここまで似合う人間も珍しい。

 

 ソロはデュオを一瞥して、わざと強い口調で言った。

 

「なんでもアタイに訊くんじゃないよ! この先アタイがいなくなったらどうすんだい!」

「ご、ごめん……」

 

 デュオがしゅんとなった直後、

 

「あああああぁぁあああっ!」

 

 今度はソロの左側から絶叫が響いた。

 驚いてふり返ったソロは下の弟を見て、また驚いた。

 十五歳にして三メートル近いドリオ・コラスが、その巨体を大きく揺らして泣いていたのだ。彼の背中で、三人分の荷物がパンパンに詰められた特大背負袋の中からガチャガチャと賑やかな音が鳴る。

 

「ど、どうしたんだい、ドリオ!」

「ネーチャ……ネーチャが、いなくなっだうーーっ!」

「ああ、ああ、ちがうちがう! いなくなるってのはたとえだよ、た・と・え! ドリオたちを置いてどっか行ったりするわけないだろ! だから安心しな! な?」

「ほんど? いだくならだい?」

「あったりまえだろ! 姉ちゃんを信じな!」

 

 それで安心したドリオが、よかっだ、と何度も丸太のような腕で涙を拭う。

 

(ほんと、これからどーしたもんかね)

 

 上の弟は気弱で人見知り。

 下の弟は図体は大きいくせにノロマで頭が弱いときた。

 けれど頭痛の種は、なにも弟たちだけにあるわけではない。

 

 ソロ自身も問題を抱えていた。 

 今年で二十一歳になるソロは体の成長が十歳前後で止まっている。しかも髪を伸ばすのが嫌いで、赤色のロングスカートを穿かなければ性別を勘違いされることすらある。


 コラス三姉弟が抱える問題は実に深刻だ。

 デュオは姉弟以外とは馴染めず、ドリオは力があっても動きが鈍いせいで邪魔者扱いされ、ソロも見た目から周囲に大人として扱ってもらえない。

 それらの問題は仕事を探すうえで決定的に不利だった。

 運よく仕事を見つけられても、その問題がいつも何かしらの厄介事を引き起こして長続きしない。

 

 働きたくても雇ってもらえない。

 雇ってもらえないから金が稼げない。

 金が稼げないから食べる物にも苦労する。

 

 それでもソロは諦めなかった。

 違う場所には、違う住人が暮らしている。

 人が変われば自分たちを見る目も変わるかもしれない。

 そう思って様々な国を回った。

 そうやって、ついにはカノン教が広まる地方にまで来てしまった。

 その結果は、

 

「はああ……ほんと、やってらんないねー」

 

 溜息しか出ない。

 期待は何度も何度も裏切られた。

 信仰する神が変わっても、何も変わらない。

 環境や土地が違えども、人間はどこまでいっても人間でしかなかった。

 

 ソロは改めて弟たちに目を向けた。

 血色の悪い顔。

 引きずるような足取り。

 一目で疲労が溜まっているとわかる。

 おまけに空腹も限界だ。

 

(このままじゃ、冗談抜きで野たれ死んじまうね)

 

 ――周囲から煙たがられたまま?

 

 ――ただ苦労しただけで終わる?

 

(そんなバカなことがあってたまるかい!)

 

 必死に生きてきた。

 努力もした。

 それでも報われないなんて間違っている。

 

 神が弟たちを救わないというのなら、

 

(アタイが弟たちを助けてやるよ!)

 

 自分が、こいつらの神になってやる。

 そのためになら、もう手段は選ばない。

 

(これまでのアタイがバカだったんだ!)

 

 この間違った世界で、どうして正しく生きようとしていたのだろう。

 世の中には悪事で甘い汁を吸っている人間がたくさんいて、そういうヤツらに限って罰せられることもなく悠々と生きているというのに。

 

「デュオ、ドリオ。良い考えを思いついたよ」

 と、ソロは不敵に唇の端を上げた。

 

 弟たちを守るために、もう迷わない。

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