第13話 ヤンと奇跡の力
「アリアさまー、いますかー?」
「どうぞー、お入りくださいなのですーっ!」
と、アリアは大きな声で返答した。
マザー聖堂の重厚な扉がゆっくりと開かれる。
その隙間から現れたのは、ソロとさほど背丈が変わらない、小さな男の子だった。
「アリアさま、おはようございます」
「おはようございますなのです、ヤンさん」
トコトコと近寄ってきたヤン・ビークルがお辞儀をする。今度の誕生日でまだ十歳とは思えない礼儀正しさだ。
しっかりしているヤンは、ソロにも同じように頭を下げた。
「ソロちゃんも、おはようございます」
「だーれがソロちゃんだい! ソロのお姉さんって呼びなって毎回言ってんだろ!」
「えー、だってぼくと同じくらいでしょ?」
「だーかーらー! アタイは二十なんだって! あんたの倍は生きてんだよ!」
口汚いソロを、ヤンは同い年くらいの女の子だと思い込んでいる。
「わかったよ、ソロお姉ちゃん」
それでも事態と相手の機嫌を治めるために自身の意見を呑み込むヤンは精神的にソロより大人かもしれない。
そのことに気がついているのか、ソロはまだ納得のいかない様子だ。。
「んー……。ま、いいよ。今日のトコはそれで。ところで、その……なんだ」
ソロがヤンの顔をちらちらと窺うように見やる。
その煮え切らないソロの態度にヤンが不思議そうな表情になった。
「なに? ソロお姉ちゃん」
「……おばちゃんは大丈夫かい? あんときは悪かったね。でも、あれはドリオが悪いんじゃないんだ。アタイが悪いんだ。だから責めるならアタイだけにしとくれ」
と、ソロが神妙な面持ちでこうべを垂れた。
「そんな! 責めたりしないよ! セレーナさまのおかげでサニーおばさんも大したことなかったし、もう気にしなくていいよ!」
そう言ったヤンの声音がいつもより数段高い。ソロを気遣って明るく振舞っているのだろう。実に大人な対応だ。
「……あんがとよ」ソロが目もとを豪快に拭う。「で、ヤン坊。今日はなんの用だい?」
「あ、そうだった!」ヤンが慌てた様子でアリアに向き直る。「アリアさま、はいこれ。サニーおばさんが持ってけって」
ヤンから細長の包みを手渡され、アリアは聖女の笑顔を作った。
「ありがとうございますなのです。サニーさんにもお礼を言っておいてほしいのですよ。ところで、これはなんなのです?」
「エデルの果汁を薄めた飲み物だよ。アリアさまはエデルの実が好きなんでしょ?」
アリアの笑顔が《エデル》に反応して凍りつく。
それを見たソロが腹を抱えた。
「ぎゃはははは! アリアの姐さん、それは酒じゃないから大丈夫だって」
「そ、そんなのわかってるのです! ソロさんは笑いすぎなのですよ!」
ヤンが不安げな声を漏らす。
「あれ……もしかしてエデルの実、きらいだった?」
「エデルの実の味はとても好きなのです。ありがとうございますなのですよ」
そこで、アリアはヤンのズボンが汚れていることに気がついた。ズボンの左膝に付いた汚れを最初は単なる土汚れかと思った。けれど、よく見ると赤いモノが混じっている。
すぐにアリアは長椅子を示した。
「ヤンさん、そこに座ってくださいなのです」
「え? なんで?」
「膝を怪我しているのです。すぐに治療するのですよ」
「来るときにでも転んだのかい」
と、ソロが笑いながら言う。
「うん。でも大丈夫だよ。ちょっと擦りむいただけだから」
「油断は大敵なのです! いいから座るのですよ!」
アリアは強引にヤンを長椅子に座らせた。
それからズボンの裾をクルクルとまくる。
その途中でヤンが痛みに顔をゆがめた。
「いた……っ!」
露出した傷口は、ほぼ膝頭全体にわたっていた。荷物をかばったせいで、まともに受け身が取れなかったのだろう。
「これのどこがちょっとなのです! 今すぐ治すのですよ!」
患部に両手をかざし、薄く瞼を閉じて半目になったアリアは癒しの言葉を紡いだ。
「慈愛と豊穣の女神カノンよ。どうか、この者の苦痛を、そのお力で和らげたまえ――」
聖痕が薄青色に発光する。その優しい光は一言ごとに輝きを強くしながらアリアの手を包み、やがて温かな束となって掌から傷口に降り注いだ。
出血が止まり、傷が塞がるまで、さほど時間はかからなかった。
女神カノンより聖痕を与えられた者だけが使える、《奇跡》という特別な力。
『だけど、ないと困る職業だよ。うちみたいな小さい国では特にね』
以前、トーマスが聖女をそう評していた。それは、この力の存在が大きい。奇跡の力は怪我や病気の治療ができる。治療を専門とする治療師がいないケニス小国では、まさに聖女が国民の命綱だ。けれど、奇跡の力も万能ではない。治療できるのはあくまで致命傷ではない怪我や重症化していない病気に限られるからだ。
「はい、これで終わりなのですよ」
と、アリアはズボンの裾を下した。
ヤンが何度か飛び跳ねたあとで弾けんばかりの笑顔を向けてくる。
「アリアさま、ありがとうございます! すごい力だね!」
「これはわたしの力ではないのです。女神カノンのお力なのですよ」
「それにしても変わってるねー」
しみじみという感じでソロが呟く。
「なにがなのです?」「なにが? ソロお姉ちゃん」
「ヤン坊だよ。ヤン坊くらいの年で聖堂に来るのって珍しいんじゃないかい?」
「そうなの?」
ヤンに疑問の眼差しを向けられ、アリアは首肯した。
「他にあまりいないのは確かなのですよ」
「ヤン坊は、なんで聖堂に来るようになったんだい?」
ソロに尋ねられ、ヤンは語り始めた。
「ぼくのおとうさんって、事故で死んじゃったんだ。それからいろんな家に行ったけど、どこでも邪魔者扱いされちゃって」
「他人に冷たいのは、どこもおんなじだね」
「そんなとき、隣の国に住んでたお父さんのお姉さん、サニーおばさんがぼくを引き取ってくれたの。でもサニーおばさんは、ぼくを一度も叱ってくれなかった。どんなに悪さをしても困った顔をするだけだった。それで、アリアさまの噂を聞いて叱ってもらおうって思ったんだ」
「なるほど。アリアの姐さんに叱ってもらってからの縁ってわけかい」
「ううん。アリアさまは、ぼくを叱らなかったよ」
「え、なんでだい!」
「アリアさまは言ったんだ。『ヤンさんを叱るのはわたしではないのです。ヤンさんも、ほんとうに叱ってほしいのは別の人なのですよね』って。それからアリアさまがサニーおばさんと話しをして、サニーおばさんがぼくを叱ってくれるようになったんだよ」
「へええ、おばちゃんにアリアの姐さんはなんて言ったんだい?」
「あ、それはぼくも気にってたんだ。サニーおばさんにきいても教えてくれないから」
二対の眼差しにアリアは笑顔で答えた。
「それは秘密なのです。こういうのは人に言っていいことではないのですよ」
「聖女の守秘義務ってヤツかい。ま、それじゃあ仕方ないね」
悔しそうにするソロの横で、ヤンが質問する。
「そういえば……ソロお姉ちゃんは、どうしてこの国で暮らすようになったの?」
「どうしてって、あの場にはヤン坊もいたじゃないかい」
「あのときはサニーおばさんが心配で、それどころじゃなかったよ」
「う……っ。わかったよ。だったら教えてやろうじゃないか! アタイとアリアの姐さんの運命的な出会いってヤツをさ!」
今度はソロが自分語りを始めた。
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