第12話 変化する導き
ジュリアンの一件を境にしてケニス小国は変わってしまった。
翌日。一人の中年女性がやって来た。
その女性はこれまでにも何度かセレーナの導きに訪れていた信者さんだった。
女性は、その日も導きを希望した。けれど、指名したのはセレーナではない。アリアだった。
信者さんのなかには新米聖女を育てようと率先して導きに立候補する人もいる。きっと彼女もそうなのだろうと思った。
聖女になってから聖堂で導きをするのは初めてだったからアリアは意気込んで臨んだ。
「今日は、どうされたのです?」
「はい。今日はアリアさまからお叱りを受けにきました」
アリアの頭上に疑問符が浮かぶ。だけど、アリアは深く考えなかった。自分の聞き間違いか、彼女の言い間違いだろう。
とりあえず定められた手順を辿る。
「まずは女神カノンに自己紹介をお願いするのです」
「あたしの名前はケイト・ウールと言います。年齢は五十二歳です」
「ケイト・ウールさん、なのですね。それでは、お話をうかがうのです」
「あたしには息子が一人いるんですけど、その息子が先日結婚したんです」
「そうなのですか。それはおめでとうございますなのです」
「ありがとうございます。でも、その嫁のことが、どうしても好きになれないんです。あたしは、どうしたらいいでしょうか?」
よかった。導きに相応しい内容の相談だ。やはりさきほどのは聞き間違いか、言い間違いだったのだ。
ほっとしたアリアは、すぐに気を引き締めた。
油断で失敗したら泣くに泣けない。
今度こそ、うまくやってみせる。
「そのお嫁さんは、以前から知っている方なのです?」
「はい。息子の幼馴染で、あたしも彼女を子供の頃から知ってます。料理が得意で、かわいくて……あたしが結婚した当初は苦労したのに……いやになるくらい良くできた嫁です」
「よくできたお嫁さんなのに、好きにはなれないのです?」
「はい」
「お嫁さんを好きになれないのは前からなのです?」
「結婚する前は好意的に思ってました。礼儀正しくて、話すと楽しい娘でしたから」
「お嫁さんの態度が結婚してから変わった、ということはあるのです?」
「いえ、変わらずに親しくしてくれます。それでも好きになれないんです」
そういうことかとアリアは理解した。
似た相談をセレーナの導きで見てきた。その経験から考えられるのは、親は子供が結婚すると少なからず内面に変化が生じること。そして母親は息子の嫁に、父親は娘の婿に、つまり同性の新しい家族に嫌悪を抱く場合があるという、二点の可能性だ。
今回は、その二つが合わさった案件に感じられた。
ならば解決方法は時間の経過が妥当か。
そこまでを数秒でまとめたアリアは、聖女としての表情を保ったままで口を開いた。
「ケイト・ウールさん。息子さんのお嫁さんは家族なのです。息子さんと結婚して、新しく家族となったのです。でも、お嫁さんは他人でもあるのです。悲しいですけど、どんなに仲を深めても血の繋がった家族にはなれないのですよ。家族のなかに、一人の他人。ケイトさんは、その変化を敏感に察知しているのです。しかし、不安になることはないのです。ケイトさん、思い出してくださいなのです。同じ経験をあなたも通り、あなたはそれを乗り越えてきたはずなのです。それに血が繋がっていないという意味では旦那様も他人なのです。それでもケイトさんは旦那様と結婚し、時間をかけて、血の繋がった家族以上の関係を築いたのです。家族とはなるものでも、その絆は作ってゆくものなのですよ」
我ながらうまくいったと自画自賛。これなら彼女も満足してくれるだろうとアリアは思っていた。
それなのにケイトが、どこか不満そうに、おずおずと言った。
「アリアさま、その……ありがたいお言葉には感謝しています。でも、あたしが聞きたいのはそういうお言葉ではないんです」
「……? どういうことなのです?」
「はじめにも言ったと思うんですけど、あたしは叱ってほしいんです。アリアさまに」
あれは自分の聞き間違いでも、彼女の言い間違いでもなかったのか。
「えっと……すみませんなのです。意味が、よくわからないのですよ」
「なんて説明すればいいんでしょう? あたしもこういうのは苦手で。えっとですね、コリドル工房のジュリアンさんっているじゃないですか。アリアさまもご存じですよね?」
ドキリと心臓が跳ねた。
「はい、もちろん知っているのです」
「そのジュリアンさんにも導きをしたと聞きました。それで、あたしにもジュリアンさんにしたみたいにしてほしいんです」
「ジュリアンさんにしたみたいに、なのです……?」
「はい! ありのままのアリアさまで激しいお言葉をください!」
理解が追いつかない。
(彼女は……なにを言ってるのです?)
いや、言っている内容は理解できる。だからこそ、その意図が、わからなかった。
しかし、わからないからといって何もしないわけにもいかない。聖女たるもの、信者さんから求めらた以上は可能な限り応えなければならないのだ。
(でも、いくら求められたからってそんなことしていいのです……?)
聖女が相手を傷つける言葉を吐いて許されるのか。
今、この場にいるのは自分と彼女だけ。
教えてくれる先輩聖女はいない。
考えても答えがわからないのなら、やるしかない。とはいっても何のきっかけもなしに相手を傷つけることなどできそうになかった。
だからアリアはケイトに頼んだ。
「では、ケイトさん。一つ頼んでもいいのです?」
「はい? いいですけど」
「もう一度、わたしに叱ってほしいとお願いしてもらいたいのです」
はじめは怪訝顔をしていたケイトも、すぐに指示どおりにしてくれた。
「アリアさま! あたしを叱ってください! アリアさまに叱ってもらいたいんです!」
相手が望むなら、もう抑えたりしない。アリアは自身の変化に身を委ねた。
彼女が――嗜虐のアリアが顔をのぞかせる。
「叱ってほしいなんて変わり者ね。あなたは変わり者だけじゃなくて、とんだ甘ちゃんだわ。お嫁さんを好きになれない? 笑わせないでちょうだい」
容赦のない言葉にケイトが目を瞠る。
それでもアリアは止まらない。
「あなたも本当はわかってるんじゃないの? あなたが出来なかったことをお嫁さんは難なくこなして。それに優しくて。そんなお嫁さんに愛する息子を取られた気がして。そういうのをなんていうか知ってる? 嫉妬よ。さっさと子離れしなさい、みっともないわ」
ああ、やってしまった。
後悔がアリアの心に満ちる。
いくら求められたとはいえ、これは言い過ぎだ。あの夜の泣きながら走り去ってゆくジュリアンが脳裏によぎる。
だけど、ケイトは泣かなかった。
走り去りもしなかった。
それどころか彼女は感動したように瞳を輝かせて興奮気味に言った。
「そうです、きっと嫉妬してたんです! アリアさま、気づかせてくれてありがとうございます! アリアさまのお言葉で目が覚めました!」
「お、お役に立てたのです?」
「はい、満足です!」
「それはよかったのですよ。これからもあなたに女神カノンのご加護があるように祈っているのです」
立ったまま両の手指を組みながらアリアは、聖女の仮面が砕けないよう精一杯に努めていた。ひどい言葉を連ねたのに喜ばれるとは意外すぎる。
この時は、おかしな信者さんがいるものだくらいにしか思っていなかった。しかし、おかしな信者さんはケイトだけではなかった。
翌日も。
その翌日も。
「叱ってください!」
とアリアの導きを求めて信者さんたちが訪れたのだ。
✝
「これはあとで聞いた話なのですけど、《聖女アリアに叱られると幸せになる》とか《聖女アリアに叱ってもらうと良いことが起こる》なんて噂が広まっていたらしいのです。そして今では《叱って》が《罵って》に変わってしまったのですよ。どうなのです? これで満足したのです?」
補足説明をしてアリアは深く長い息を吐いた。
「娯楽が少ない国ではおかしなことが流行るって言うけど、ほんとなんだね」
「流行するにしても他のことにしてほしかったのです」
「噂のきっかけはパン屋だろうね。おおかた《叱ってもらって恋人ができた》とか言いふらしたんだろうさ。なんにしても、アリアの姐さんは運がよかったんじゃないかい?」
ソロの言葉にアリアは首をかしげた。
「わたしの運がよかった、なのです?」
「普通に考えればアリアの姐さんは今でも導きが出来ずにいたかもしれないんだ。それを考えればよかったろ?」
すぐには答えられなかった。
普通の導きができないのと、異常な導きをするのと、果たしてどちらがよかったのだろう。
微妙だ。
アリアがやりたいのは普通の導きなのだ。
どっちにしてもさ、とソロが言う。
「運が良いとか悪いとか、そういうのは考えるだけ無駄だよ。選ばなかった道は最初からないのとおんなじさ。どんな今でも受け入れるしかないんだ。それがイヤなら未来を変えるしかないね」
ソロの意見はもっともだ。
「そうなのです。過去は変わらないのですよ」
過去は変わらない。だけど、消えてもくれない。だから苦しいのだ。それはソロも知っていて、彼女はそれでも前を向いている。そのことが少しだけ悔しかった。
アリアは自分の子供じみた嫉妬を子供じみた嫌がらせでぶつけた。
「ソロさんは大人なのです」
「ふふん、これでもアリアの姐さんより年上だからね!」
「さすがはなんちゃって幼女さんなのですよ」
「なんちゃ……っ! アリアの姐さんーーっ!」
「冗談なのですよー」
怒っても鬼の形相にはなれないソロが長椅子から飛び降りて全力で追ってくる。だけど悲しいかな、歩幅が違いすぎて逃げるのは容易だった。
怒鳴り声と笑い声が交錯する聖堂に、扉を叩く音が重なった。
そして、
「アリアさまー、いますかー?」
聞き覚えのある幼い声が呼ぶ。
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