第11話 変貌のジュリアン

 あの夜から六日が過ぎた。

 その間、アリアに導きを求める者は誰ひとりとしていなかった。聖堂に信者さんは来るものの、その全員はセレーナが目当てだった。

 

 ケニス小国は狭い。聖女になったお祝いの場でアリアがジュリアンに暴言を吐いた話は人の耳から人の耳へと渡り、多くの噂がそうであるように、その過程でありもしない出来事まで付け足され、今ではちょっとした事件として国中に広まっている。だからアリアに導きを頼む者がいないのは当然の結果だった。

 

 問題は、アリアに導きを求める人間が誰もいないことだけではない。あの夜から六日が経つのにジュリアンとの関係を修復できていなかったのも頭痛の種だった。

 

 あの夜の翌日。

 アリアはセレーナと共にジュリアンが営むコリドル工房まで赴いた。

 

『なにしに来たんですか! 帰ってください!』

 

 けれど、有無を言わさずに追い返されてしまった。

 だからといって諦めるわけにはいかない。

 次の日も、そのまた次の日も、アリアは一人でコリドル工房に通い詰めた。

 そうして六日が経った現在。ジュリアンには会ってもらうどころか、話を聞いてさえもらえないままだった。

 

『彼女は優しい女性です。きっと許してくれるはずです』

 

 そう以前にジュリアンを評していただけあってセレーナも今回の件がここまで長引くのは予想外だったようだ。当初は笑顔で『大丈夫よ』と励ましてくれていた先輩聖女も、アリアが追い返される度に笑顔が強張っていき、とうとう大丈夫とは言わなくなった。

 

(もしかしてこのまま聖女として終わってしまうのです……?)

 

 そんな可能性が被害妄想ではなく現実味を帯びてきた、九日目。

 事態が急変した。

 

 その日も午前中からアリアはセレーナと畑仕事に勤しんでいた。

 そこへ、女性が大声で訪ねてきたのだ。

 

「アリアさま! アリアさまはいらっしゃいますか!」

「……どちらさま、なのです?」

 と、アリアは驚きと疑問に目をしばたたかせた。

 

 女性の着た、ゆったりとした作りのワンピースには見覚えがある。だけど女性には、まったく覚えがなかった。それはセレーナも同じようでアリアと同様に不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「お忘れですか? ウチです、ジュリアンです! ジュリアン・コリドルですよ!」

「「…………え?」」

 

 反応するまでにたっぷり三秒。

 アリアとセレーナは顔を見合わせる。

 そして、


「ジュリアン、さん? ジュリアンさんって……パン屋のジュリアンさん、なのです?」

 

 アリアは思わず訊き返していた。

 ジュリアンが愉快そうに頷く。

 

「そうです! そのジュリアンですよ!」

 

 本人が肯定しても信じられなかった。それほどジュリアンは様変わりしていた。

 彼女は……ジュリアンは、激ヤセしていたのだ。

 マルイモのようにはち切れそうだったお腹はすっきりして、下を向いても首が段にならず、手足も華奢と呼べる細さになっていたのだ。

 

 とても以前のジュリアン・コリドルと同一人物には思えない。髪型や顔の細かな部位は面影があるけれど、それでも言われなければどれだけ考えてもジュリアン・コリドルという女性に思い至ることはなかっただろう。

 

 その変化にはセレーナも驚きを隠さなかった。

 

「ジュリアンさん、どうなさったのですか? ずいぶん変わられたようですが」

「はい! それもこれも、すべてはアリアさまのおかげです!」

「わたし……なのです?」

 と、アリアは目を丸くした。

 

「ウチ、アリアさまには感謝してるんです! もう、どれだけお礼を言っても言い足りないくらい! アリアさま、本当にありがとうございました!」

「待ってくださいなのです! わたしはお礼を言われることなんてなにもっ! むしろ謝らなければいけないのです。ジュリアンさん、この前はすみませんなのです。わたしは聖女として、やってはいけないことをしてしまったのですよ。ほんっとうに申し訳ありませんなのです!」

 

 深々と頭を下げたアリアに、ジュリアンが悲鳴のような声をあげる。

 

「そんな! 頭をあげてください! アリアさまが謝ることなんてないんです! あの夜のことがあったからこそウチは幸せになれたんですから!」

 

 ジュリアンに半ば無理やり上体を起こされたアリアは疑問を投げた。

 

「幸せに? あの、よければどういうことなのか説明してもらっていいのです?」

「あ、そうですよね! いきなりこんなこと言われてもわけがわかりませんよね!」

 

 大きく深呼吸をしてからジュリアンが言葉を継ぐ。

「ウチ、彼氏ができたんです!」

「おめでとうございます! そうですか、とうとう運命の相手に巡り逢うことができたのですね! 本当に、おめでとうございます!」

 

 まっさきに喜んだのはセレーナだった。けれどアリアは、さらに疑問を深くした。

 

「おめでとうございますなのです。でも、それにわたしがどう関係しているのですか?」

「関係もなにも、ぜんぶアリアさまのおかげです! あの夜に言ってたじゃないですか。運命や相手の見る目のなさを嘆く前に痩せる努力をしろって」

「……ほんとうに、あのときはすみませんなのです」

「だから謝らないでください! たしかに言われた直後は傷つきました。一晩中泣きましした。しばらくは食事もできないくらいに落ち込んでました」

 

 痩せた原因はそれか。

 内心で納得するアリアに、ジュリアンが嬉々として続ける。

 

「それで……ウチのお店の常連さんに、ある男性がいるんです。その男性が日に日に痩せていくウチが病気じゃないかって心配してくれて。あ、すぐにそうじゃないってわかってもらえたんですけど。それでですね……そのときに、その男性が言ってくれたんです」

「なにを言ってくれたのです?」

「《ずっとキミが好きだったんだ。でもキミは人気者で、ボクじゃ相手にしてもらえないと思ってた。だけど、ある人に勇気をもらったんだ。だから言うよ。ジュリアンさん、ボクと結婚を前提に交際してください!》って!」

 

 キャーッ、と顔を覆って身悶えるジュリアンはまるで少女のようだ。

 

 幸せいっぱいのジュリアンを前に、アリアの心中は複雑だった。

 ジュリアンが痩せたのはアリアの言葉が原因だ。

 そこまではいい。だけど、恋人ができたのは運がよかっただけだ。

 彼女を傷つけるだけの結末になっていたかもしれないのに、それを棚に上げて自分の手柄だと胸を張れるわけがない。それは、あまりにも虫が良すぎる。

 

 だからアリアはもう一度、しっかり謝罪しようと思った。けれど直前で、アリアの肩に手が乗せられた。

 

 それはセレーナの白い手だった。

 彼女の優しげな瞳はすべてを見抜いているようにアリアをまっすぐ見据える。先輩聖女はアリアにだけわかるように小さく首を左右に振った。

 

《それは言わなくてよいことです》

 

 無言で、そう訴えていた。

 

 どうしてと不思議に思ったアリアも、すぐにその意図に気がついた。

 ジュリアンは長年の願いを叶え、やっと幸せになった。その幸せがアリアのおかげだとジュリアンは思い込んでいる。事実がどうあれ、それが彼女のなかでの真実だ。

 

 いま重要なのは《ジュリアンが幸せである》という一点。

 重視すべきは、ただそれだけ。

 

 ジュリアンが幸せになったのはアリアの存在があったからなのかもしれないし、本当はアリアの存在がなくても近いうちに恋人ができていたかもしれない。だけど、そんなことはどっちだっていいのだ。

 

 ある一つの結果があり、それに対して二人の観測者が異なる意見を主張したとする。この場合、どちらかの正当性を証明するのは難しい。誰もが認める証拠があるのなら別だけれど、今回のように曖昧な事象――目で捉えられない存在の《ある》や《ない》は論じるだけ時間の無駄だ。お互いにお互いの思い込みをぶつけ合うだけになる。

 

 それでもアリアが自分の意見を貫いて謝罪すれば、それは身勝手な気持ちの押しつけでしかない。謝ることで過ちを清算したつもりになって楽になりたいだけだ。

 

(やっぱり、わたしは自分勝手なのです)

 

 聖女になっても自分のことばかり。

 危うく幸せに水を差すところだった。

 

 大丈夫なのです、とアリアは無言でセレーナに頷きかけ、ジュリアンに向き直った。

 この場で贈るべき言葉は、たった一つしかない。

 

「ジュリアンさん、おめでとうございますなのです。わたしが少しでもお役に立てたならよかったのですよ。これも女神カノンのご加護のおかげなのです」

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