第7話 誓願式

 聖堂では、女神像の足元に置かれた二本のロウソクと、ステンドグラスから漏れる星明かりが暗闇の中でセレーナの姿を優しく浮かびあがらせていた。

 アリアの姿を認めたセレーナが穏やかな口調で言う。

 

「さすがに夜はまだ冷えますね」

「日中が暖かくなっただけ、この冷たさは堪えるのです」

 

 話を合わせてみたものの、アリアは寒さを感じていなかった。緊張で感覚が麻痺している。だけど、いつもどおりのセレーナを目にしたら少しだけ心の糸が緩んだ気がした。

 

 扉を閉めたアリアは確かめるような足取りでセレーナのもとへ歩を進める。

 正面に立ったアリアを見て、セレーナが唇を優しく歪めた。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。アリアちゃんなら聖女になれます」

「そうだといいのです」

 

 なにを根拠に、という言葉は呑み込んだ。

 なのに、そこはさすがの先輩聖女というべきか。アリアの心を見透かしているように的確な応えを返してきた。

 

「アリアちゃんを元気づけようとして無理に言っているわけではありませんよ。わたくしは、アリアちゃんには聖女としての素質があると思っています」

「……聖女としての素質、なのですか」

 

 作業を効率的に行うための能力か。

 それとも聖女に相応しい性格の適正か。

 だけどセレーナの言葉はアリアにとって意外なものだった。

 

「アリアちゃんには、相手が望むものを与える力があります」

「……それくらいのことなら誰でもやっていると思うのです」

「頼まれてすることなら多くのひとができるでしょう。ですが、アリアちゃんは頼まれなくてもすることができる。あなたにはそれを直感的にやれる力があります」

「それは……よく気が遣える、ということなのです?」

 

 そういうことならあるかもしれない。

 両親が死に、祖父母に引き取られた環境が育んだ能力なのだろう。いくら祖父母でも悲しいことに結局は他人だ。だから子供心に甘えすぎてはいけない、その境界を見誤ってはいけない、そう思って生活していた。

 

「そういう意味にも近いかもしれませんね」

 

 近いということは、正解ではないのだろう。いったい何がどう違っているのか。アリアが質問する前にセレーナが言葉を継いだ。

 

「それでは、そろそろ始めましょう」

 

 アリアは無言で頷いた。

 

「これから誓願式を始めます。アリア・ローレル、あなたは聖女になることを望みますか」

 

 聖女然としたセレーナの問いかけに、アリアは間を空けずにはっきりと答える。

 

「はいなのです。わたし、アリア・ローレルは聖女になることを望むのです」

「わかりました。では、アリア・ローレル。その場で祈りの姿勢を取りなさい」

 

 アリアは短く返答し、言葉のとおりにした。

 頭上からセレーナの神聖さすら感じさせる声が落ちてくる。

 

「アリア・ローレル。聖女として、あなたはどのように修道生活を送っていきますか」

「わたし、アリア・ローレルは、清貧さを忘れずに慎ましく、祈りと感謝の心を持って修道生活を送ってゆくことを誓うのです」

「アリア・ローレル。聖女として、あなたはどのように人々と生きていきますか」

「わたし、アリア・ローレルは、人々の心に寄り添い、共に生きてゆくことを誓うのです」

「アリア・ローレル。聖女として、あなたは女神カノンになにを誓いますか」

「わたし、アリア・ローレルは、聖女として優しさと奉仕の心を忘れずに、いつまでも慈愛の精神を持ち続けることを誓うのです」

 

 そこで、ひと時の静寂。

 

 アリアは瞳を開けることも身じろぎをすることせずに次の言葉を待った。

 すうっ、とかすかに頭上で息を吸い込む音が闇に溶ける。

 

「アリア・ローレル、あなたの覚悟はわかりました。しかし、あなたが聖女となるかを決めるのはわたくしではありません。すべては女神カノンがお決めになることです」

 

 アリア・ローレル、とセレーナが再び名前を呼ぶ。

 

「さあ、祈りなさい。さすれば女神カノンへの道が開かれるでしょう」

 

 これまでの独特な問答のせいか。

 それとも夜の聖堂という、日中とはまったく異なる雰囲気のせいなのか。

 まるで暗示にかけられたようにアリアは祈りを捧げ続けた。


 どれくらい、そうしていただろう。


 時間の感覚が引き伸ばされて一瞬が永遠にも感じられるような空間。

 アリアは意識だけが遠くに、ここではないどこかへ運ばれてゆくような気がした。

 


        ✝

 


「――そしてカノン様にお会いして、わたしは聖女になれたのです」

 と、アリアは言った。

 

 ここまで話を聞き終えたソロが眉根を寄せる。

 

「ちょっと信じられないね。神様がいるなんてさ」

「他の神様はわからないのです。でも、少なくともカノン様はいらっしゃるのですよ。これが、その証拠なのです」

 

 アリアは左手の甲を掲げた。左手の甲には、しっかりと二重円が刻まれている。

 

「それでもアタイは信じない。自分の目で見たものしか信じないって決めてるんだ」

「それでいいのです。神様を信じるどうかは、その人の自由なのですよ」

 

 普段は見えない存在を相手に信じさせるのは困難だ。だからアリアは女神カノンと会ったときの詳しい話を省いた。信者さんに信じられている女神カノンとアリアが会った女神カノンは、あまりにもかけ離れていたからだ。その話をしても、ただでさえ神様を信じていないソロを余計に混乱させてしまう。

 

「それで結局、なんで姐さんの導きは聖女セレーナと違うんだい? これまでの話は姐さんが聖女になるまでの話じゃないか」

 と、ソロが不満そうに唇を尖らせる。

 

 アリアは浅く息を吐いた。

 

「やっぱり覚えていたのです」

「なんだい? もしかして話をすりかえて誤魔化そうとしてたのかい? アリアの姐さんともあろう人が、往生際が悪いよ」

「わかったのです。観念するのですよ」

 

 一泊置き、アリアは意を決して続けた。

 

「事件は、次の日の夜に起きたのです」

 

 忘れたくても忘れられない、過ちを語り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る