第6話 マルイモ
ナタが帰ったあとにも五人の信者さんがやって来た。
いずれの導きもアリアは感心させられっぱなしだった。
最後の信者さんを見送るころには、ステンドグラスから注ぐ光も赤みを帯びていた。
「アリアちゃん。今日はもう信者さんもいらっしゃらないでしょうから、わたくしたちも夕食にしましょうか」
そう言ったセレーナの顔は涼しげで疲労の気配は見られない。アリアはただ見学していただけでも若干の疲弊を覚えているというのに、どこまでも頼りになる先輩だ。
修道院に戻ったアリアとセレーナは二人で台所に並び、夕食の準備にとりかかった。
「聖女セレーナ、お鍋にお水を入れておいたのです」
「ありがとうございます、アリアちゃん。こちらもマルイモが洗い終わったところですよ」
修道院での作業に当番はない。
料理も、清掃も、洗濯も、あらゆる作業は修道院に暮らす全員で行う。全員と言っても今は二人しかいないのだけれど、仮にもっと大所帯だったとしても同じだ。それがカノン教の、修道院での生活なのだ。
今夜の食材はマルイモだ。
今夜のというか、修道院での食事はほぼ毎日、毎食がマルイモだ。
マルイモとスープ。
マルイモとサラダ。
献立の中心には常にマルイモがある。
《修道生活は清貧であるべきだ》
というのがカノン教の教えだからだ。
マルイモは安く、庶民の主食だ。けれど、安価だからといってマルイモをみくびってはいけない。
マルイモは、とても優秀な食材なのだ。
マルイモは薄茶色の皮をして、中身は白く、名前のとおり球形をしている。
煮れば中までしっかりと味がしみ込み、焼けば外はカリカリで中はホクホク。
皮まで食べられて栄養価も高い。
まさに完全食材。
しかも冷暗所に置けば一年ほど保存が利く。ただし長期保存によって生えてくる芽には毒があるため、そこだけは注意が必要だ。
今夜のマルイモは塩茹でにした。
簡単な調理方法だから三十分も要さなかった。
食事は台所と扉一枚で隔てられた多目的部屋で摂る。
多目的部屋には長いテーブルが一台と、テーブルを挟んで椅子が三脚ずつ置かれ、壁には大きな暖炉がある。
アリアとセレーナは、それぞれの特等席に座った。どこに座っても構わないのだけど、二人はいつも端で向かい合う。そのせいで、ただでさえ長いテーブルが実際以上に広く感じられる。修道院は急場の宿泊場所という側面も持ち、集団生活を想定して造られているから、いちいち物が大きかったり、数が多かったりするのだ。
テーブルに置かれたロウソクの灯りを挟んで、いつものようにアリアとセレーナは食前に感謝を捧げた。
「「慈愛と豊穣の女神カノンと、この食材を育んでくれた自然、そして先人たちの努力に感謝をここに捧げます」」
当たり前のように繰り返される、食事という行為。しかし、食べ物を口にできることを当然と思ってはいけない。安全な食事が可能なのは、食物を育む大地と、今では顔も名前も知らない先人たちの努力があってこそだ。
「それじゃあ、冷めないうちにいただきましょうか」
「いただかせてもらうのです」
セレーナに続いてアリアも木製のスプーンを手に取る。
木の器に盛られたマルイモからはモクモクと白い湯気が立ち昇っていた。その、ほのかに甘い香りに食欲をそそられないわけがない。
アリアが火傷しそうになりながらはふはふとマルイモを頬張っていると、セレーナがおもむろに言った。
「アリアちゃん、食事が終わったら聖堂まで来てもらえますか」
その言葉に、アリアは思わず咀嚼物を喉に詰まらせた。
むせ返るアリアにセレーナが心配そうな声を出す。
大丈夫なのです、とアリアがどうにか答えると、セレーナが水の入ったグラスを差し出しながら続けた。
「前々から伝えていたとおり……今夜、アリアちゃんの誓願式を行います。ですので、スカプラリオを脱いで聖堂まで来てください」
「……はい、なのです」
心臓が、暴れる。
(とうとうなのです)
ついに待ちに待った瞬間がやって来るのだ。
食事の後片付けもセレーナとアリアは二人でした。
そのあとでセレーナが聖堂へ、アリアは二階へ向かった。
階段を上ると、右手側に通路が左右にまっすぐ伸び、六つの扉が等間隔に並ぶ。向かって一番左奥がセレーナの部屋で、その隣がアリアの部屋だ。
六部屋はいずれも同じ造りになっている。
扉を開けると正面に窓があり、右手側の壁にベッドが、左手側の壁に一人用のテーブルと椅子、その横に姿見が置いてある。
自室に入ったアリアは言いつけどおりにした。
ヘッドベールを外してベッドに置き、脱いだスカプラリオを畳もうとして、その途中で見慣れた茶色の生地に見入ってしまう。
「このスカプラリオとも今日でお別れなのですね」
聖女になれば新しいスカプラリオを貰うことになるし、聖女になれなければ修道院での生活が終わる。どちらにしても、この茶色いスカプラリオを着ることは二度とない。そう改めて思ってみると悲しいような苦しいような気持ちが込みあげてきた。
アリアはスカプラリオを綺麗に畳んでベッドに置き、その上にヘッドベールを乗せた。
「今までありがとうなのです。ご苦労さまなのですよ」
部屋を出る前に姿見で身だしなみを確認しておく。
赤色の髪が肩を軽く撫で、白いチュニックから伸びた手足は、ここへ来た時よりも細くなった。けれど、それは修道生活で痩せ細ったわけではない。畑での作業などの様々な労働によって引き締められたのだ。
二年という歳月は体を見違えるほど成長させてくれた。
アリアは育ったのが体だけではないことを切に願いながら階下へ向かった。
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