第5話 聖女セレーナの導き
聖女のお役目の一つに《導き》というのがある。
聖堂に訪れた信者さんが女神様に自分の悩みを打ち明け、それに対して聖女が女神様の代弁者として解決の糸口になる言葉をかける。この一連の流れが導きだ。
聖堂の天井近くに嵌め込まれたステンドグラスには大小の異なる色ガラスによって女神様が抽象的に形作られている。そのステンドグラスから降る太陽光は祭壇へと注ぎ、祭壇の上に置かれた等身大の女神像を照らして、その影を赤い絨毯に伸ばす。
祭壇と聖堂の出入り口を結ぶ赤い絨毯の両脇に無数の長椅子が並んでいる。長椅子が整然と女神像を向く様は、熱心な信者さんたちが祈りを捧げているかのようだ。
聖女セレーナがステンドグラスの光と女神像が伸ばす影を半分ずつ背負い、口を開く。
「今日は、どうされましたか」
優しさのなかにも凛とした力強さを感じさせる声が、いつもより深みをもって響いた。聖堂は音が反響しやすいように天井が高く設計されているためだ。それがまた、この場所に独特な雰囲気をもたらしていた。
「今日はセレーナ様からのお言葉をいただきにまいりました」
そう答えたのは、セレーナの正面で膝立ちになり、両の手指を胸の前で組み合わせながら頭を軽く俯かせた青年だ。
そんな二人の姿を、アリアはセレーナの斜め後方から見守っていた。
まだ聖女ではないアリアに導きは許されない。これは将来のため、先輩聖女の導きを見て勉強させてもらっているのだ。とはいえ、聖女以外に秘密事を聞かれるのを嫌がる信者さんもいる。勉強の機会を与えてもらうには信者さんの協力も不可欠だ。
「わかりました。それではまず、女神カノンに簡単な自己紹介をしてください」
頭髪を短く刈りあげた青年は、はい、と返答したあとで続けた。
「僕はナタ・ホーク。年齢は今年二十七で、父と母とで畑をしています」
「ナタ・ホークさん、ですね。お話をうかがいましょう」
セレーナの対応は、まるで初対面の相手にする受け答えのようだ。けれど、ナタは導きの常連だ。それでも自己紹介から始めるのは、それが導きの決められた流れだからだ。
しかし、その形式的なやり取りもここまで。
ここからが本題。
聖女の見せ場であると同時に、聖女としての力量が試される。
「今回は……この前の話の続きなんです」
と、ナタが真剣な面持ちで顔をあげる。
「続き……ということは、お母様についてですね。前回のお話では、お母様が最近になって派手な恰好をするようになった、ということでしたが」
「急に色気づいて、ひょっとして浮気でもしてるんじゃないかと思ったんですけど、セレーナ様の助言で決めつけるのはよくないとわかったので……母の後をつけてみたんです」
導きに来る信者さんの相談は、家族や友人、恋や結婚についてのものがとくに多い。
「そうでしたか。それで、どうだったのですか」
「セレーナ様の仰るとおりでした。母は買い物に行ってただけだったんです」
「それはよかったですね」
セレーナに笑顔を向けられ、なぜかナタは表情を曇らせた。
「でも、町に行くだけなのに着飾るなんておかしくないですか?」
「おかしくなどありません。お母様も女性です。女性はどんなに歳を重ねても女性で、外見に気を使うのは自然なことです」
「それはわかります。でも、だったらはじめからそうしてるはずですよね? 母は外見に無頓着な人でした。だから着飾るようになったのも理由があるんじゃないかって母に訊いたんです。そしたら、どうやら父にもっと構ってもらいたかったみたいなんです」
話の内容を慎重に咀嚼したあとでセレーナは言った。
「それは……お父様にも浮気を疑ってほしかった、ということですか」
「はい。そうすれば会話が増えると思ってたみたいです」
「お母様とお父様は、あまり仲がよろしくないのですか」
「そんなことはないと思います。でも、母には足りないみたいで」
「なるほど。では、今回の一件でご両親の仲はよくなったのですね」
「……その反対です」
「それは、なぜでしょう」
「父は鈍感なんです。母が着飾っても気づかない。だから浮気を疑うようなこともありませんでした。それが母には我慢ならなかったみたいです」
「それで、ご両親の仲が悪化したのですね。では、現在はどのような状態なのでしょう」
そうですね、とナタが記憶を探るように続ける。
「母が父に対して色々やってますね。父のおかずが少なかったり、わざと父の言葉を聞こえなかったフリしてみたり。一つ一つは小さいんですけど、挙げればキリがないです」
「お父様は、それでもお母様の変化に気づかれないのですか」
「さすがにヘンだなとは思ってるようですが、あまり気にはしてないみたいです」
それで、とナタが改めてセレーナを見上げた。
「母の機嫌を直すにはどうしたらいいでしょうか? 家の雰囲気がピリピリして、早くどうにかしたいんです」
難しい問題だとアリアは思った。
単純に考えるならナタの父親にこっそり母親の気持ちを伝えてやればいい。だけど、それをはっきりナタに言えないのが問題だ。
カノン教では共生という考えを大事にしている。
《ひとの価値は本来、すべてが同じである。ひとは一人では産まれてこられず、一人では生きられない。だから、ひとは助け合うべきなのだ》
聖女という存在は、信者さんの上に立つ者ではなく、信者さんの横に寄り添って共に歩む者でなければならない。だから導きにおいても《こうしなさい》と信者さんに断定的な言葉をかけることはしないし、聖女の言葉は信者さんの選択肢を広げたり、考え方に深みを与えるような助言に留めなくてはならないのだ。
(聖女セレーナは、どう答えるのです?)
自分ならどう答えよう。
あれこれ考えているうちに、先輩聖女が答えを出した。
「なぜ、わたくしたちは言葉を持っていると思いますか」
一瞬、ナタがぽかんとなる。まさか質問が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。やがて思考が状況に追いついた彼は、考えるようにしながら言葉を選んでいった。
「……それは……自分の考え、とか……あとは……気持ちを伝えるため、だと思います」
「そのとおりです。言葉とは他者と交流するためにあります。ですが、まだ地上に神々がおられた時代は言葉がなかったとされています。神と神の間では言葉を用いなくても意志を伝達できたからです。しかし、わたくしたちは、とても不完全な生き物です。ちょっとしたことで傷つき、怒り、悲しみます。そして、どんなに言葉を尽くしても相手に伝わらない。そういったことは悲しいことですが、よく起ってしまいます」
「……鈍感な父には何を言っても母の気持ちは伝わらない、ということでしょうか?」
一泊の間を空けて、セレーナは言った。
「言葉は誰もが使える優れた発明であっても、決して万能ではないということです。だからこそ人間は、言葉以外でも自らの気持ちを伝えようとする。とくにそれは、付き合いが長くなるほど効果を発揮します。なかには数秒のあいだ目が合っただけでも相手が何を言いたいのかを読み取ることがあるほどです」
「あっ! それは父と母にもあります! 父が振り向いただけで母が水を持っていったりとか!」
「ですが、そういった現象は、ただ付き合いが長いだけでは起りません。相手を知り、相手に興味を持ち、相手のことを思いやり続けなければできないものです」
「思いやり続けなければ、ですか」
そう呟いたナタは軽く瞼を閉じ、沈黙する。
しばらく微動だにしなかった彼が次に口を開いたのは、外から聞えてくるスズネドリの声が三度を数えたあとだった。
「考えてみれば父が鈍感なんて母は最初からわかってるんです。小さい頃から知ってるんですから。それでも好きになって、結婚して、今まで一緒にやってきたんですよね」
「きっと、お母様は怒っているのではなくて寂しいのだと思います。女性なら愛する人にはいつまでも興味を持たれていたいものですから」
「寂しい、ですか。そうかもしれません」
ナタは憑きものが取れたように晴れやかな顔でセレーナを見上げた。
「もう少しだけ二人を見守ろう思います。あの二人なら大丈夫な気がしてきました。あまり長引くようなら父にそれとなく母の気持ちを伝えてみようとは思いますけど。それでもやっぱりこれは夫婦の問題ですからね。できれば二人だけで解決してもらいたいです」
「お役に立てましたか」
そうセレーナが微笑みかけると、ナタは深々と祈りの姿勢を取った。
「はい、セレーナ様。今日は本当にありがとうございました」
「今後もあなたに女神カノンのご加護がありますように」
と、セレーナが立ったままで両の掌を胸の前で組む。
これにて導きは無事に終了。
ナタの満足げな表情を見て、アリアは今日も感心していた。
(聖女セレーナはさすがなのです)
アリアならきっと、いかにナタの父親に母親の気持ちを伝えさせるかばかりを考えてしまっただろう。年季の差を見せつけられた気分だ。
「そうだ、セレーナ様」
すっくと立ちあがったナタが、脇に置いてあった背負袋から何かを取り出す。それは布にくるまれた包みだった。
「今朝、うちのサファルドリが産んだ卵です。よければ受け取ってください」
「ナタさん、いつも助かります。ありがたくいただきますね」
これは今回の導きに対しての対価、というわけではない。
導きは奉仕の精神で行われるものだ。いかなる見返りも求めたりはしない。だけど、信者さんからの《お気持ち》は別だ。善意という形であれば謝礼を受け取ることが許される。
聖女の生活、そして修道院の運営は、こうした信者さんからの《お気持ち》によって成り立っているのだ。
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