第2歩 美少女より優先すべきものがある。

「アル」という名の男児として転生した僕は、前世の記憶と知識を持っていた。

目が開いて自力で動けるようになった頃にわかったことだが、優しく朗らかな母と豪快で涙もろい父は、ふたりで牧場を営んでいた。

規模としてはそれなりで、村外れの丘の上にウシかヤギに似た乳を採るための家畜(両親がホルンと呼んでいた。確かに両側に伸びた角が立派だ)を10数頭と、庭でニワトリのような黒いトリ(こちらはフックという種らしい、くちばしがカギ状になっている)を20羽ほど飼っている。

僕は牧場シミュレーションのゲームも嗜むオタクだったので、成長する中でふたりの様子を真似しつつ、すぐに環境に順応した。

3歳の頃、フックの卵を採って籠に入れたときには「うちの子は天才かもしれん」などと父がおおげさに泣いていた、という程度の手伝いからだったけど。

うちの親は過保護だ。


ひとつ驚いたのは、ここがいわゆる「異世界」と呼ばれる地だということ。

ホルンやフックが人の言葉をある程度理解している様子があるのも含め、この地に住む人々にとっては全てが普通なのだが。

たとえば雨の日に、薪がしけって火が点かず困っていると、村の役場から炎の魔法を習得した役人がやってきて、一軒一軒かまどや暖炉に火をつけて帰っていくとか。

小さなワイバーンのような生き物の「エスヴィング」が家畜に悪さをしようとしたとき、いつも笑顔の母さんが鬼の形相で雷の魔法を放ったときは本当に驚いた。

そんな風に、この世界に住む人々の暮らしには魔法が密接に関わっているのだ。

なんてファンタジー、と思っていたら、実際この地の名前は「ファンタジア」というらしいと聞いて僕は笑いそうになってしまった。

とはいえ、僕が16になった頃には、そんな生活が当たり前になりつつあった。


「アルって、たまにあたしにはわかんないことで笑ってるよね」


木陰にある石積みの段差に座り、本を眺めていたときだった。

いつの間にか隣にいた少女が、僕の顔を覗き込んでいる。

彼女は牧場がある丘の斜面に果樹園を展開する農家の娘で、名をリリアンといった。

長い髪をツインテールにしているが、寝ぐせなのかクセ毛なのか、いつも髪の結び目から左右に、短い髪の房が飛び出ていた。

それはそれで、萌えキャラっぽくて可愛いなと思ったりもするのだが。


「ほらー! また笑った! 今、あたしの髪の毛見てたでしょ。

これは……うまく結べないんだもん。しょうがないでしょ」


リリアンと僕は幼馴染だ。

ご近所さんで、歳も僕のひとつ下、今年で15だったと思う。

はじめはこんな勝ち組人生でいいのか、と震えたりもしたが、リリアンみたいな美少女が毎日のように僕に話しかけてくれるという事実は嬉しいというより「有難く」て、感謝と尊さと希望と情熱が溢れるあまり、好きとかいう下品な感情には至らなかった。

リリアンは可愛いけど、僕にとっては手を出すことも憚られる聖域なのだ。


「ねえアル、」


「……なに?」


「今日もあのお弁当、食べるの?」


「ああ、アレ? もちろん」


そんなリリアンが、僕に複雑な目線を送るときがある。

本を置いて、隣によけてあった紙の包みを解いたとき、リリアンはわあ、と声を上げた。

ホルンの乳でできたチーズをはじめ、この村で作られたふかふかのパン、新鮮な野菜、そして分厚い肉を挟んだ特製ハンバーガーに、僕は大きな口でかぶりつく。

これがもう、たまらなく旨い。

仕事の疲れを優しく労うパンの歯ごたえ、失態でモヤモヤした気持ちすら吹き飛ばすようにガツンとくる肉のうまみ。

一日の楽しみ、このために生きているといっても過言ではないくらいだ。

僕は牧場の仕事を手伝うようになって間もなくこれを開発したのだが、まさに天才的で悪魔的な発明だと思った。

この世界にハンバーガーに似た食べ物は存在しないみたいだから、僕が発明したと主張してもきっと許されるだろう。

仕事はとてもハードでお腹も空くから、手のひらから溢れそうなハンバーガーでもあっという間に平らげられてしまうのだ。


「すごいねそれ、いつ見ても……

あたし、そんなの見たことなかったからびっくりしちゃった。

そういえばアル、作り方ってどこで聞いたの? おうちで?」


「ん? ううん。んと……なんか、思いついた」


「へー、アルが発明したんだ。なんていうか……

食べすぎには気をつけてね。それ、すごく、その……こってりしてそう」


リリアンは、初めて見たときは美味しそうとも言っていた。

だけど僕が毎日食べる様を見て、流石に胃もたれしたのかもしれない。

太るよ、とか直接的な言葉を使わずに僕に忠告をくれるところがリリアンは優しいなと思った。


でもごめん、リリアン。

僕の女神は君じゃなく、ハンバーガーなんだ。

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