荒野にて
「起こしてくれ。行かねば……」
ベッドに伏したフランの両手が泳ぐ。
「俺が行かなければ、ロロが死ぬ」
幹部会議で倒れたフランは、ひどい熱だった。起き上がることさえ覚束ないありさまだ。
戦闘に次ぐ戦闘、なかなか訪れない王や、相次ぐ離脱者……初めて会った時から、彼の顔色は優れなかった。心労が彼の体を蝕んでいたのだ。
「冷静に考えて、これは罠だと思う」
幹部の一人が言った。別の幹部も頷く。
「そうだ。フラン、君をおびき寄せる為の罠だ。行ったら、君が殺される」
「けれど、行かなければ……ロロが……」
なおもフランは起き上がろうとする。幹部らが彼を抑えつけた。
「よく考えろ。今君がいなくなったら、蜂起軍はどうなる。誰が、農民や山賊たちをまとめるのだ?」
「そうだ。中部蜂起軍との連携はどうなる? あいつら、君が来ないと話し合いに出て来ないじゃないか」
「どのみち、その体では動けまい。神の御指図だ。気の毒だが、ロロはあきらめろ。政府軍に投降してはいけない」
「畏れ多くも国王陛下は君に期待していらっしゃる。これからも君は、王のために戦い続けるのだろう、フラン」
王への献身の強さは、フランとて皆と同じだ。それあるがゆえに、彼らは戦い続けてきた。
起き上がろうとしたフランはベッドに崩れ落ち、すすり泣いた。
「君は寝てても大丈夫だ。ロロなら俺が連れ戻してくるから」
幹部たちの後ろで様子を窺っていた俺は口を挟んだ。全員が一斉に振り返る。
「エドゥ。君がか?」
「ああ」
「馬鹿な! 政府軍は、フランを要求しているのだぞ」
俺は立ち上がった。
「フランは行くべきではない。俺は、オーディン・マークスの残虐性をよく知っている」
「だからといって、君が行ってどうなる!」
「俺とフランは、同じくらいの背丈だ。遠目には、体つきもよく似ている。俺がフランだと名乗り出よう。それに……」
わずかに言いよどんだ。フランは俺のせいではないといってくれたが……。
「ユートパクスにロロを連れてきてしまったのは、俺の責任だ。こうなることはわかりきっていたというのに。だから、彼は俺が連れ戻す」
……命に代えても。
静寂が広がった。
「確かに、君はフランとよく似ている。そうだな。その水色の髪を帽子に隠し、顔に泥を塗ったら……。君の方が華奢だから、体に布を巻いて誤魔化せば、或いは」
幹部の一人がつぶいた。
別の一人が同意する。
「意外といけるかもしれない。どうせ政府軍のやつらは、遠くからしか、フランのことを見たことがなかろう」
俺の意見が通りそうだ。計画を話す。
「最初にロロを取り返す。俺が、政府軍のやつらを引き付けておくから、誰かが彼を連れて、できる限り遠くへ走ってほしい」
「だがそれでは、エドゥ。君はどうなるのだ?」
ベッドから苦し気な声が問うた。
熱を帯びた瞳が、心配そうにこちらを見ている。
「俺か?」
豪快に聞こえるように祈った。
「俺は、脱獄の名手なのだよ」
実際に脱獄したのはラルフだが。だが、彼を脱獄させたのは俺だ。
◇
広い荒野の向こうに、革命軍の駐屯地があった。
そこへ向かって、たった一人、徒歩で近づいていく。敵陣からは丸見えだ。
「誰だ!」
すぐに誰何の声が上がった。銃を構え、衛兵がこちらをにらんでいる。距離はかなりある。怒鳴りあわなければ、声が届かない。
大きく息を吸った。
「ルイ・フラン。西部蜂起軍指導者だ!」
すぐに、駐屯地から、数人の人間が出てきた。軍人だけではない。民間人の姿も見えた。政府から派遣された議員だろう。政府……今ではオーディン・マークスの政府だ。
「さあ、来たぞ。ロロを解放するんだ」
両手を縄で縛られた子どもが連れてこられた。腰の辺りにも縄を巻かれ、その端を、兵士が握っている。
「おい、あれはお前の兄か」
縄を持った兵士が、ロロを乱暴に小突いた。
ロロは顔を上げ、ひたと俺を見据えた。小さな顔には、何の感情も現れなかった。
息をのむような数秒が流れた。
ふいにその顔が、激情に歪んだ。
「兄上! 何で来られたんですか! 殺されてしまいます! 逃げて! 俺なんて放っておいて、早く逃げて!」
暴れる彼の体の綱を、兵士がぐいとひいた。
「うぐっ」
体を締め付けられ、ロロが呻いた。
俺は慌てた。ほぼ逆上したといっていい。
「おい、乱暴なことはするな! 希望通り、俺は来た。縄を緩めろ! ロロを離せ!」
「お願いです、兄上! 逃げて!」
せき込みながらのロロの絶叫が、荒野に響き渡る。
ロロは俺を兄と認めた。聡い子だ。兄の立場を考え、俺が代理を務めていると見抜いたのだろう。
政府軍の仕掛けた最初のテストを、どうやら俺は潜り抜けたようだ。
だが、敵は慎重で疑い深かった。
「弟の言うことだけでは、信じられない。反乱軍の子どもなら、なおさらだ」
「間違いなく俺はフランだ」
「よかろう。フランなら、右の脇腹に痣があるはずだ」
……痣?
聞いてない。フランはそんなことは言っていなかった。体まで検められることはないと思っていたのか。それともこれは、政府軍の罠?
「こちらから女を差し向ける。昔、お前の恋人だったが、今ではすっかり心を入れ替え、わが軍の味方だ。彼女には随分、蜂起軍の情報を流してもらったよ」
敗因の一旦は、スパイの存在にあったのか……。
王党派は、民間、外国人を問わず、多くの兵士を受け入れてきた。兵士が不足していたせいだが、同時に、警備の甘さを招く。
不敵な笑みを浮かべた女が現れた。両腕を組んで、こちらを睥睨している。
この距離では、顔の細部までは見えていないはずだ。
「久しぶりね、フラン」
腕組みをしたまま、女は言った。
「……」
フランの元カノ……。
必死で俺は記憶を探った。
そういえば酒の席でフランが武勇譚を語っていた……。
「アビゲイル」
低い声でその名をつぶやいた。さっきはロロを傷めつけられ逆上して叫んでしまったが、これ以上大声を出したらダメだ。声が違うことがわかってしまう。
幸い、俺とフランは声質も似ている。低い声で理性的に会話を交わさねば。
彼女の名を呼んだことで、再びテストに合格したようだ。だがまだ、予備の段階だ。本番はこれからだ。
そして、彼女が間近に来たら、俺がフランでないことは一目瞭然だ。
「今からアビゲイルをそちらへやる。おとなしく脇腹の痣を検めさせるがいい」
敵の陣営から声が飛んだ。
「待て!」
俺の脇腹に痣なんかない。何より、近づけば俺がフランではないことがすぐにバレてしまう。
いや、バレたっていい。その場で射殺されたって構やしない。俺の目的は……。
「ロロを一緒に連れてこい。間違いなく俺は、フランだ。約束は履行しろ。ロロは即座に解放されなければならない」
俺がいる場所は、政府軍からの射程距離に入っていない。二人がここまで来たら、女を抑えつけ、ロロを逃がす……。
もちろん、少しでも変な動きがあったら、政府軍の兵士たちが駆けつけてくるだろう。
兵士たちが到達するまでの間、ほんの少しのタイムラグが生まれる。そして、俺のすぐそばにある立木の陰には、銃を持った蜂起軍の仲間が隠れている。大丈夫。ロロは逃げきれる。
政府軍の奴らは、額を集めて相談を始めた。
すぐに結論は出たようだ。
間もなく、ロロの手を引いて、女がこちらへ向かって歩き始めた。後ろから政府軍の銃が狙っている。少しでも俺が不審な動きをしたら、ロロを撃ち殺すというのだろう。
俺は俯き、顔が陰になるようにした。アビゲイルに顔を見られたらおしまいだ。もう少し……ロロがこちらの手に入るまで。
二人が、数メートルの距離まで近づき、敵陣からの射程距離から外れた。
俺は、アビゲイルに襲い掛かった。
不意を突かれ、倒れかけた彼女が、ロロの手を放す。即座に彼の背中を力いっぱい押した。
「逃げろ、ロロ!」
「フェリシン大佐!」
振り返ってロロが叫ぶ。
「あの木の陰に仲間がいる。あそこまで全力で走れ!」
だがロロには全てがわかっているようだった。何より、彼の兄の双肩には、蜂起軍全体の運命がかかっているのだ。
うるんだまなざしで俺を見つめ、すぐにロロは走り始めた。
木の陰から仲間が顔を出す。
「乱暴して悪かったね。それに、フランじゃなくて、気の毒だった」
押し倒した女に囁く。
「どういたしまして」
いつのまにか、彼女の手には、小銃が握られていた。
「もう一度、謝っておこう」
言いながら俺は、女の手から銃を叩き落とした。
重い靴の足音がいくつも重なり、兵士たちが走ってきた。
あっという間に俺は捕らえられ、縛り上げられてしまった。
「フランの偽物だな」
俺の顎を持ち上げ、軍人の一人が尋ねた。
「お前の名前は?」
「エドゥ・ヒュバート」
「本名だ」
「エドゥ・ヒュバートだ」
「そいつ、フェリシンという名よ。身分は大佐。フランの弟がそう呼んでいた」
俺に叩かれて赤くなった手首をさすりながら女が口を出した。
それを聞いた将校は、思いきり、俺の横っ面をはたいた。
痛くなんかない。ただ、ぐらりとめまいがした。
「
再び将校が尋ねる。
エドゥ・ヒュバート……。結構、気に入っていたんだけどな。
「エドガルドだ」
答え終わるなり、用は済んだとばかり、足元に引き倒された。
「こいつをどうする?」
足元に無様に倒された俺の脇腹を、ブーツの先で邪険に蹴った。続けざまに俺の頭を踏みつける。
「この場で処刑だ」
私服姿の男が吐き捨てた。派遣議員だろう。
「本来なら、『オーディンの木』の下で処刑される栄誉を与えるべきだが、町まで連れて行くのも手間だ。ここで殺してしまえ」
……オーディンの木? なんだ、そりゃ。オーディンのやつ、自分を偶像化させようとしているのか。
とにもかくにも、彼は生きているらしいと思い、安堵した。
「罪名は? 裁判ぐらい受けさせろ」
顔を地面にこすりつけられたまま抗議する。じゃりじゃりと砂が口の中に入ってくる。
「裁判だぁ? 生意気言うんじゃない。皇帝陛下に逆らったのだ。死罪は当然じゃないか!」
上から、将校の激高した怒鳴り声が降ってきた。
……皇帝陛下?
蹴られた脇腹の痛みを一瞬、忘れた。
……オーディンのことか?
「おい、オーディンは、」
「陛下を呼び捨てにするんじゃない!」
後頭部を抑えつけるブーツに力が加わった。再び顔が砂にこすりつけられた。
「だがそいつは、蜂起軍の情報を知っているかもしれんな」
派遣議員のつぶやきが聞こえた。
「トール将軍。君にまかせた。ぜひとも、本物のフランの居所を吐かせてくれたまえ」
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