拷問


※残酷な描写が含まれています

※革命政府軍・蜂起軍鎮圧隊側からの描写になっています。

 最初は、師団長のトール視点。途中 ◇ から、派遣議員カミロ(前話「荒野にて」で、トールと一緒にいました)の視点に変わります

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 蜂起軍鎮圧部隊のトールは、師団長クラスの将軍だった。


 彼の昇進は、ここ、西海岸に来てからのものだ。

 西海岸の王党派蜂起軍を、彼の旅団は、徹底的に弾圧した。蜂起軍の大半は、同じユートパクス人だ。にもかかわらず彼は、ためらうことをしなかった。大勢の同国人を殺した。

 その功績が認められ、トールは師団長に昇格された。


 同僚の将校の中には、同じ国の民を殺すことをためらい、罪悪感を抱くものも大勢いた。

 蜂起軍鎮圧は、政府の命令だ。それゆえ、生ぬるい攻撃や温情は、命令違反とみなされる。

 捕虜の処刑の延期、または取り止め。

 潰走する敵軍を、最後まで追い詰めない。

 これらの行為に対し、軍に潜り込んでいる派遣議員たちは、目を光らせている。そして少しでもそうした言動を見つけると、中央政府へ報告した。


 こうして、蜂起軍に対し手加減した将校たちは派遣議員により密告され、次々と処刑されていった。


 ……敵を殺すべきところを、自分が処刑されるのは間違っている。


 トールはそうした考えの持ち主だ。

 だから、捕まえた敵……エドガルド・フェリシンとか言った……を殺すことに、何のためらいもなかった。

 尋問中に死んでしまったとしても、それは単に運が悪かったというだけだ。


 既に政府軍トールの軍は、蜂起軍を完全に包囲している。敵の補給路は断たれ、敵は、武器はおろか、食料、水さえ手に入らない状態だ。後は、弱って出てきたところを、一網打尽に討ち取ればいい。

 したがって、敵の首領フランの居場所など、それほど重要ではない。


 ただ彼は、この男を拷問したかった。

 顔を泥で塗りたくった、汚らしい男だ。けれどその眼の光には、抗いがたい何かがあった。是が非でも屈服させ、この手でへし折りたい何かだ。

 鞭でいたぶり、あるいは、そうだ、を用いてもいい。木で作った馬の背中に仰向けに貼り付け、垂らした手足を固定して、口から漏斗で水を注ぐ……。あの古典的な拷問を試してみるのも、楽しいかもしれない。



 予備的な尋問が行われた。

 エドガルドというこの捕虜は、傲岸だった。敵の情報について、何一つ、漏らそうとしない。

 この時には、フードは外していた。フランは豪勢な金髪だが、この男の髪は、もっとずっと青みがかっていた。目の色も、かなり白っぽい。

 どうやら、ユートパクス人ではないようだ。


 フランと似ていたのは、本当に体型だけだったのだと、トールは気づいた。それなのに、単身、政府軍に乗り込んでくるとは。

 豪胆で無鉄砲な男だと思った。

 ますます、いたぶりたくなった。


 繰り出される質問に、男は、まともに答えようとしなかった。蜂起軍の駐屯地や、フランの居場所については、知らないで押し通す。

 埒が明かない。

 というか、すぐに飽きた。

 トールは彼を、駐屯地の真ん中にある拷問部屋に連行した。


「どうだ? 何かしゃべる気になったか?」

 冷たい床に座らせ、トールは尋ねた。手には長い鞭を握っている。

「何も話すことはない」

 この期に及んでも、男は首を横に振った。

「なら、仕方がないな。話したい気分にさせてやる」


 鞭を持って近づいてくるトールを見ても、男は平然としていた。

 鋼のような瞳は凪いでおり、恐怖はおろか、何の感情も読み取れなかった。


 静かなその顔を見ているうちに、無性に腹が立ってきた。

 なぜこいつは怯えないのか。

 政府をバックに控えた軍の拷問が、恐ろしくないのか。


 座ったまま背を向けさせ、高く振り上げた鞭を、思いきり打ち下ろした。


 男は、悲鳴ひとつあげなかった。ただ、座らされていた上半身が、前にのめっただけだ。思ったよりずっと華奢な背に、もう一度、鞭を振り下ろす。


 悲鳴も嘆願もなかった。苦痛の声さえ漏らさない。


 再びトールは、鞭を振り上げた。が、打ち下ろす前に気がついた。

 捕虜は気絶していた。

 たった数発、鞭打っただけなのに。情けない男だ。

 こんな奴に、ルイ・フランの偽物を騙る資格はない。


 意識のない体を足蹴にかけ、仰向けにした。

 びくとも動かなかった。死んだようにのびている。


 意識のないままではつまらない。兵士に水を持ってこさせた。手桶にいっぱいのそれを、男の上半身にぶっかける。


「……あ」

 小さな叫びがトールの口から洩れた。


 顔の泥が流れ、下から現れた肌は、驚くほどきめが細かく白かった。顔に塗られていた泥がなくなると、整った目鼻立ちをしているのがわかった。


 王族の顔というものを、トールは見たことがなかったが、この捕虜の顔は、王族と言ってもおかしくないほど、高貴であるように思えた。

 一瞬、行方不明のブルコンデ17世かと目を凝らしたほどだったが、さすがにそこまで子どもではない。


 若い男だ。大人になり切らぬ瑞々しさを宿している。


「トール将軍」


 兵士が言って、指さした。

 水でぬれたシャツが透けている。

 男は、体にきつく、布を巻いていた。フランと体形を似せる為だろう。フラン自身も細身の男だが、この男は、さらに華奢な体格のようだ。

 トールは舌打ちをした。


「剥ぎ取れ。このままじゃ、鞭の効果が半減だ」


 布は、何重にも体に巻き付けられていた。水をかけられぐっしょりと濡れていた。

 呆れたことに、水をかけられてもまだ、男は目を開けようとしなかった。

 ぐったりと倒れ伏したままの体に巻き付けられた布は、兵士一人では、なかなか取り外せない。


「くそ、手間取らせやがって」


 水にぬれた体を兵士に持ち上げさせ、トールも手を貸して、濡れた布を剥ぎ取っていく。

 やがて、肌が現れた。

 輝くような白さだった。ある程度は鍛えているのだろう。なめらかな腹部は、ほどよく筋肉で覆われている。胸板は薄く、肩幅もそれに見合った広さだ。


 水をかけられ、服を脱がされ、さすがに寒かったのか。

 眉間に皺が寄り、ふるふると瞼が震えた。ゆっくりと見開かれた目は、プラチナ色のまっすぐな光を放っていた。

 なよやかな肢体と、豪胆な眼の光と。

 なんという落差だろう。


 ……見たい。

 トールは思った。

 この男のもだえ苦しむさまを。

 痛みに震え、許しを乞うありさまを。


 「気がついたか」


 嘲るようにトールは声をかけた。その声が、危うく震えそうになった。

 興奮していた。


「どうだ。話す気になったか?」

「俺は言った。『何も知らない』」


 かっと頭に血が上った。

 湿った空気を切って、鞭がしなる。

 背中に激痛が走った筈なのに、男は呻きもしなかった。


「……くそっ」


 続けざまにトールは鞭を振り下ろした。

 本能的に丸くなり、身をよじるほっそりとした体に、容赦のない制裁を加える。


 滑らかな肌に赤い血が、禍々しい花のように飛び散った。そのうちの一滴が、トールのブーツに付着したのが見えた。

 とんでもなく貴重で神聖なものを手に入れた気がした。


 窓からの光だけでは、十分な明るさは得られない。ほの暗い中、白い体がのけぞり、それから、芋虫のように丸まる。

 息をのむような蠱惑的な情景だった。


 鞭を振るう手を止めた。じっと見下ろすトールの口から、短い、間欠的な喘ぎが漏れた。

 彼は、勃起していた。



 執務室へ向かう途中、派遣議員のカミロは立ち止まった。

 気になる。

 どうしても気になる。

 あの捕虜、蜂起軍の首魁を騙った男の名は、確か……。


 取調室へ向かった。部屋は空っぽだった。事務官が書類の整理をしているだけだ。


「あの男はどうした。さっき捕まえた……」

「ああ、つい今しがた、トール将軍が拷問室に連行していきました」

 事務官は答えた。

「素早いことだ。よっぽど……」

カミロは苦笑した。


 蜂起軍を待ち伏せるばかりで、このところ、戦闘はない。トールは血にはやっている。ちょうどいい玩具を見つけたと思っているのだろう。


「彼の名前を確認したいのだが」

「書類一式は、トール将軍が持っていかれました。私は今交代したばかりで」

 事務官は言葉を濁す。おそらく、引継ぎが十分にできていないのだろう。

 カミロは肩を竦めた。

「仕方ないな。直接本人に確かめよう」


 拷問室の中は静まり返っていた。

 ……遅かったか?

 急いでカミロは扉を開けた。


 鞭を握ったまま、トールが棒のように突っ立っていた。その眼は、自分の前に倒れた捕虜の体に注がれている。


「おい」


 カミロが声を上げると、夢から覚めた人のような顔で、トールが振り返った。

 青白い顔に、血走った眼が見開かれている。

 あまりの面変わりにカミロは驚いた。


「何の用だ」

トールが問う。激情を抑えているような、低くざらついた声だ。

「殺したのか?」

思わずカミロは問うた。

「いや」

「意識は?」

「ある」


 カミロは捕虜を見下ろした。

 気の毒な男は、半分裸身をさらし、冷たい床の上に倒れ伏している。

 床も男も、水でぐっしょりと湿っていた。


 異様な光景だった。


 残忍な打ち傷をあちこちに負い、内出血を滲ませながら、それでもなおかつ、濡れたその白い体から、カミロは目を離せない。

 匂い立つほどの色と、そして……。


 鞭を握ったトールが、じっとこちらを見ている。地獄の業火で焼き尽くそうとでもいうような、恐ろしい目だ。


 カミロは頭を振り、妄念を打ち払った。床に倒れ伏している捕虜に向かって問うた。


「お前の名前は、何と言ったか?」

「く……そ、くら……え」


 帰ってきた返事は途切れ途切れで、その上掠れていた。けれど、まごうことなき侮蔑を孕んでいる。傲然と顔を擡げ、硬い光を放つ目で睨み返してきた。

 これだけ体にダメージを受けながら、未だ反骨の心が健在なことに、カミロは感心した。それから、空恐ろしくなった。


 けれど、それが彼の限界だったようだ。ぐったりと濡れた床に首を落としてしまった。


「エドガルド・フェリシンだ」

 割れ鐘のような声で返したのは、トールだった。カミロなど、見向きもしない。仁王立ちのまま、燃えるような目を捕虜に向けたままだった。

「エドガルド・フェリシン。聞き覚えがある」


 カミロは、胸の隠しから紙片を取り出した。もう何度も取り出しては眺めていたので、紙は、くしゃくしゃになっていた。


「ああ、やっぱり。おい、トール。そいつには、召喚命令が出ている。エドガルド・フェリシンという亡命貴族には」

「召喚命令だと?」

「これを見ろ」

よれよれの紙を、カミロはトールに押し付けた。

「生死は問わないが、可能なら生きてシテ塔まで輸送のこと、とある」

「なら、ここで殺してしまっても構わないだろ?」


 トールが不敵な笑みを浮かべる。

 カミロが首を横に振った。


「死体を運んで何になる。生きて連れて行った方が、俺らの評価も上がる。そいつは殺さない方がいい」







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