ロロの密航
恐怖も心配も憂いも。
嫉妬も悲しみも怒りも。
すべてを置き去りにして、船はイスケンデルから出向した。
空は晴天、波穏やかな、またとない門出だ。
そうだ。門出だ。王の為に全てを捧げるのだ。
俺はいつまでも甲板に残って、遠く離れていくザイードの岸辺を眺めていた。
この大陸で、一回死んで、再び生き返った。全くの別人の体を借りて。そして、自分にとって、最も大切なものを失った。それなのに、むしろ晴れやかな気分でいる自分に驚いている。
解放された気分だった。それに、安堵。だって俺はシャルワーヌを、考えられる限り、最も安全なところへ送り込んだ。オーディン・マークス、ユートパクスの首席大臣となった男の元へ。
この戦乱の時代を、とりあえずシャルワーヌは、生き延びていってくれるだろう。その為なら、オーディンとの関係など、二の次だ。
シャルワーヌの無事、そして生存。それ以上のことを、俺は望まない。
「フェリシン大佐」
舷側にぶつかり白くはじけ飛ぶ波頭を眺めていると、タルキアなまりのガラガラ声で呼びかけられた。この船の船長、シャルキュ太守の部下だ。
「密航者が忍び込んでいたぞ」
「密航者だって!?」
驚いて振り返ると、項垂れていた小さな頭が持ち上げられた。屈強な海の男たちに羽交い絞めにされていた少年が、負けん気の強い目をして、唇を噛みしめている。
「ロロじゃないか!」
ラルフの
「なぜここに?」
敢えて厳しい声で問い掛ける。特に海の上では、規律は守られねばならない。ほんの小さな叛意が、重大事故に繋がるからだ。ことは、命に関わるのだ。
「リール代将から手紙を書くよう言われました。西海岸のフラン将軍……僕の兄へ」
張りつめた声が答える。
「君が書いた手紙は受け取った。
俺が応じると、ロロは必死の表情になった。
「お願いです、フェリシン大佐。僕も連れて行って下さい。兄さんに会いたい」
「だが、リール代将からは許可が下りていない。君がしたのは、密航だ。密航は重罪だぞ?」
気持ちはわからないでもないが、けじめは必要だ。いくら幼くても、海軍の掟には従ってもらわなくてはならない。
「そやつは、厨房の倉庫に忍び込んでいたのだ」
「ひえぇーーーーっ、お許しください!」
船長が言うが早いか、男たちの後ろの方で悲鳴が聞こえた。前へ突き出されたのを見ると、船のコックだった。
泣きながらコックは喚いた。
「少年は、ラム酒の樽に忍び込んでいたのでございます!」
「ラム酒だと? おい、酒の方はどうなった?」
俄かに船長が慌てだす。酒は、樽いっぱいに詰め込まれる。少年が忍び込んだとあらば、当然、その分の酒は外へ出されたわけで……。
「ご安心ください。単純に樽がひとつ、積み荷に追加されただけでございます」
「一つ増えた樽に気づかず、船に運び込んだというのか?」
僅かに安堵を見せつつも、怒気を孕んだ声で船長が問い質す。
「気がつかなかったのでございます。他の二人の少年に気を取られていて……多分、あの時でございます。この子が入った樽が追加されたのは!」
「気がつかなかったで済むか! 管理不行き届きである」
船長が怒鳴り散らした。今にも三日月刀を振り回しそうな彼を、俺は制した。
他の二人の少年? 嫌な予感しかしない。
「待て。いったいどういう状況だったんだ?」
ようやく話を聞いてもらえると思ったのか、コックは一気に話し始めた。
「出航間近のことでございました。生鮮食料の荷積みをしておりましたら、アンゲル人の少年が二人、やってきたのでございます。彼らは船乗りだと自己紹介して、うらやましそうに、野菜の入った籠を見ておりました。なんでも彼らの船では、ろくな食べ物が出されないそうで……特に、新鮮な果物や野菜が。そのうちの一人は、くるくるした金色の巻き毛に青い瞳の、大層、可愛らしい少年でした」
俺は頭を抱えた。
ジョシュアだ。金髪に青い目。
「ただでさえ、アンゲルの料理はまずいのに、まだ年端もいかない子どもがろくなものを食べさせてもらえないと聞くと、もう気の毒で……。つい、食べ物を与えてしまったのです。なに、野菜の切れ端です。どうせ港へ捨てていく屑です」
慌ててコックは言い添える。
「少年たちは大喜びでした。ああ、あの天使のような笑顔! 船長様がご覧になったら、きっと私めのしたことを褒めて下さったでしょう!」
「褒めんわ! 太陽神ラーマは、少年に手を出すことを禁じていることを忘れたか!」
船長が吐き捨てると、コックは慌てた。
「誓って、よこしまな気持ちは一切ございませんでした。純粋に、育ち盛りにも関わらず、食べられればいいというレベルの料理で腹を満たす少年たちが気の毒で」
「なら、その金髪碧青眼の少年が悪魔だったと申すのか? 彼の方から、お前を誘惑しようとしたのだな?」
船長は意外と、真実を突いている。確かにジョシュアは悪魔だ。もっとも、船長が言っているような意味ではないが。
「いえ、彼はやっぱり天使だったようです。なぜなら、ラーマ神の制裁は、もう一人の藁色の髪の少年に下ったからです。久しぶりに食した新鮮なキャベツが当たり、彼は、腹を下したのでございます」
「なんだと! 船に積む糧食の前でか!?」
「いえ、最悪の事態は回避しました。私は彼を港の厠に連れて行き……」
その隙にジョシュアが、
「お前への罰は後で考える」
船長が告げると、コックは絶望的な顔になった。
思わず俺は割って入った。
「斬首はダメだ。投石などの死刑も、もちろん。ムチ打ちもしてはいけない」
「俺の船の中で起きたことに口を出すな」
すごい迫力で船長がどやしつけてきた。ロロが怯えたように首を竦める。
成人したとはいえ、俺も未だ少年のような体つきをしている。だが、前世の俺は軍人だ。罵声ごときに怯むわけがない。
冷静に指摘した。
「ことが起きたのは、港の荷積み場だ。船の中ではない」
「それは……そうだが」
「それに、コックは巻き込まれただけだ。彼が密航を企てたわけではない」
「うん、そうだな」
「第一、腕のいいコックがいなくなったら、君らだって困るだろ? 拷問で体が利かなくなっても同じことだ。彼は、シャルキュ太守の自慢のコックだというぞ?」
俺を乗せるに当たり、シャルキュ太守は、ことさらに腕の立つコックを乗り組ませてくれた。彼のせいいっぱいの好意と、
「慣れない航海でのハプニングだ。今回のことは不問に付してやれ。いいな」
「……わかった」
しぶしぶと船長は頷いた。コックは拘束を解放され、ほっとしたように厨房へ戻っていった。
「さてと、君だ」
俺は
「密航は重罪だということはわかっているよな? 君のせいで、危うくコックは、首を刎ねられるところだったんだぞ?」
「コックさんには、申し訳ないことをしました。でも、僕はどうしても、兄のところへ行きたい……他に方法がなかったんです! リール代将は行ってはいけないと止めるし」
「当たり前だ。今、ユートパクスがどういう状態か知っているだろう? アンゲルへ亡命していた君が帰国しようなんて、死にに帰るようなものだ」
ユートパクスでは、亡命貴族に対し、厳しい制裁措置を取っている。王党派蜂起軍のリーダーの弟とあらば、なおさらだ。
「フェリシン大佐だって、帰るじゃないですか!」
この期に及んで言い返して来る。なかなか、見どころがあると思った。
「俺はいいんだよ。二つも人生を生きたしな。王へ忠誠を尽くす他、やり残したことはない」
そう言い切るには、少し、寂しい気がした。絶対に認めない。認めはしないけど、何かとてつもなく大きな欠落を身内に抱えている気がする。
シャルワーヌ・ユベールという名の、巨大な欠落……。
「僕だって、ブルコンデ十七世陛下に、心からの忠誠を誓っています!」
「十七世陛下は亡くなられたよ」
「嘘だ!」
「嘘じゃない」
十七世、処刑された十六世の王子は幽閉されているうちに亡くなったという情報が、つい最近流れたばかりだ。亡命王朝は、十七世の叔父、殺された十六世陛下の弟君の即位を公言した。
自分と年齢の誓い王子の死に、ロロは大きなショックを受けたようだ。
「今、ユートパクスで繰り広げられているのは、ゲリラ戦の内乱だ。王党派と革命軍、同じ国の民同士が殺し合っている。君は兄上に会いたいと言ったが、そのような修羅場を、彼は君に見せたくなかったのだ」
一度、俺は言葉を途切らせた。
再度、ダメ押しをする。
「いずれにしろ君の年齢では、味方の足手纏いになるばかりだ。だから、君の兄上は、君をリール代将に預けた」
「足手纏いになんてならない! 誓って! 僕は体が小さく、どこへでも潜り込める。敵だって油断するだろう。僕にできることだってあるはずだ!」
「だが、君は、兄上の
がくんと、ロロの頭が前へ落ちた。
さらに俺は言葉を重ねた。
「兄上の気持ちを理解してやれ」
「こいつ、どうします?」
ロロを拘束していた船員が、後ろから小突いた。
「乱暴してはいけない」
強く諫めると、船員は肩を竦めた。
船長が割って入る。
「フェリシン大佐、あんたを上陸させたら、俺達は、エイクレへ帰るよう言われている。もしその子が足手纏いなら、一緒に連れて帰ってもいい」
そこで彼は、にやりと笑った。
「あんたがいなくなって、シャルキュ太守はお冠だからな。その子じゃ役者不足だが、少しは足しになるかもしれん」
ぞっとした。こんな年端もいかない少年を、屠殺屋と名高いシャルキュの愛玩に供する? 冗談じゃない!
「それはダメだ。なんとかリオン号かオシリス号のいるところへ連れて行ってもらえないだろうか」
「無理だね」
「そこをなんとか。シャルキュ太守には、今度会った時に、俺から言っておくから」
「それまでに俺らの首が飛ぶ。文字通りな」
にべもない拒絶に途方に暮れた。
再びロロが、強い瞳を上げた。
「お願いです、フェリシン大佐。僕も連れて行ってください。僕だって戦える。僕も兄さんの役に立ちたいんだ!」
そこでロロは限界を迎えたようだ。大きく見開いた目から、涙が滝のように溢れ始めた。
結局、ロロは俺が預かることになった。行く先は、野戦状態の西海岸だ。戦場に子どもを、それも蜂起軍のリーダーの弟だ。危険だからと兄が案じ、ラルフが預かった……そんな少年を連れて行くなんて、先が案じられた。
しかしこのままタルキアに返してしまったら、彼は屠殺屋といわれるシャルキュ太守の言いなりにされてしまうだろう。兄への面目が立たないという点では、同じことだ。
どうせなら、本人の要望を優先することにした。彼の、兄への強い愛情と役に立ちたいという決意に絆された面もある。
俺には兄弟はいない。母は生まれてすぐに亡くなり、幼児だった俺を手放してすぐ、父も死んだ。
家族の絆というものに、敬意と憧れを抱いている。
「ここまで来てしまったのだ。仕方がない。君は連れていく」
俺が告げると、ロロは文字通り飛び上がって喜んだ。
「ありがとうございます、フェリシン大佐! この御恩は一生、忘れません!」
「俺への恩など、今すぐ忘れろ。いいか、ロロ。兄さんへの助太刀とか、仲間との連帯とか、いろいろあるだろう。だが君が行くのは、戦場だ。しかも、内戦の修羅場だ。そこでは、同じユートパクス人同士が殺しあっている。君が第一に考えなければならないことは、わが身が危なくなったら、すぐに逃げろ、ということだ」
俺が諭すと、ロロは目を丸くした。
「すぐに逃げろ? できません! 俺は、仲間と一緒に、最後まで戦う!」
「それじゃだめだ。タルキアへ送り返す」
「だって、ジョシュアたちと約束した! 立派な戦士となるって!」
やっぱりジョシュアか。
すでにわかりきっていたことだが、再び俺は、頭を抱えざるをえなかった。
「ジョシュアとアレックスとした約束はナシだ。さもなければラルフに連絡して、あいつらもリオン号から下すぞ」
「えっ! それは困ります、フェリシン大佐」
友人たちに迷惑が及ぶのを見てはいられない、というわけだ。
少しだけ、俺は語調をやわらげた。
「君は戦うというが、9歳の子どもに、何人の大人が殺せるというのだ? 確かに君は、標準より体が大きい。しかし、子どもであることに変わりはない。しかも敵は、兵士達だ。蜂起軍と違って、プロの兵士も含まれている」
オーディンの軍も、民間からの徴兵によって成り立っている。しかし、雑多な住民たちの寄り集まりである蜂起軍と違い、訓練を受け、武器の扱いを教えられた兵士たちによる、組織された軍隊だ。むろん、彼らを率いる将校達はプロだ。
「君の使命は、むしろ、後日にある」
「後日? ですって!?」
「そうだ。戦場で君は、最後までしぶとく生き残らなければならない。そして、苦しみに耐え、それが何年先であろうと、再起を図るのだ。それが、君の使命だ。わかるか?」
懇々と諭すと、ついにロロは頷いた。
よかった。
とりあえず、この子に、無茶をさせたくない。子どもを戦闘に駆り出すなんて、間違いだ。
________________
※
ジョシュア他の悪童たちは、
Ⅱ章「敵艦襲来!」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667385751185
及び、
Ⅱ章とⅢ章の間のSS「嫌われる理由」
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330665612772654/episodes/16817330667903284650 ~
で、元気に悪さをしています。
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