バーンでの休養 3
◇
「おい、人が話している最中に、何をボケっとしている! 君はいったい何しに来たんだ?」
一際大きく罵声が轟いた。
はっとラルフは我に返った。目の前のシャルワーヌに焦点を合わせる。
「今日は、君に知らせに来たのだ。ユートパクスから、捕虜交換の要請があった」
「やった!」
踊り上がってサリが喜ぶ。
「そう来ると思ってました。さすがはオーディン・マークス首席大臣。政権を担ってからも、仕事が早い!」
手放しで喜んでいる副官を、シャルワーヌが複雑な顔で見つめた。
「貴方は彼のお気に入りですからね」
自分では何も言おうとしないシャルワーヌに代わって、ラルフは言った。捕虜交換の要請が通常より早いのも、オーディンが彼を、一刻も早く取り戻したかったからだというのは、火を見るよりも明らかだった。
「リール代将は、捕虜交換に反対なのですか?」
恐る恐るという風にサリが問う。ラルフは首を横に振った。
「いいえ。シャルワーヌ将軍に代わって、ユートパクスの牢獄から出されるのは、昔の私の指導教官ですからね。そろそろ彼にも、ゆっくりしてもらいたいところです。シテ塔ではない場所でね」
「それはよかった。八方丸く収まりますね!」
「サリ。お前はちょっと外へ出てろ」
シャルワーヌが命じた。
政治的な話になると判断したのだろう。敬礼し、サリは部屋の外へ出て行った。
「帰るんですか、オーディンの元へ」
副官の姿が消え、ドアが閉められるとラルフは聞いた。
「当たり前だ。俺は彼に永遠の忠誠を誓っている」
「エドガルドはそうは思っていません。オーディン・マークス自身も」
「なんだと? おい、エドゥはいまどこにいる!?」
「その話は後です。エドガルドは、貴方の記憶を取り戻しました」
「知ってる。本人から聞いた」
「彼が記憶を失った理由は?」
「理由? そんなもの、あるのか?」
「貴方は何もわかっていない」
ラルフはため息をついた。
「いつまで彼に甘えているつもりですか? 彼から守られたままでいるのか?」
「俺が彼に守られている? いったい、何から守られているというんだ?」
「オーディン・マークスからです」
何か言い返そうとするシャルワーヌを遮り、ラルフは、エドガルドが記憶を失った経緯を話した。
エイクレ戦で、ユートパクスへの休戦を提案する大使として派遣されたのがエドガルドだったこと。
にべもなくオーディンがそれを断ったこと。
彼のシャルワーヌへの愛着。それを阻害するエドガルドを敵とみなしたこと。
「俺への愛着? オーディン・マークス将軍が?」
シャルワーヌが目を丸くした。
「違う。彼が俺に求めるものは、心からの忠誠だ。愛などではない」
「だが、オーディンはそうは思っていない。彼が抱いているのは、貴方への愛だ」
「ありえない」
「なら、どうしてエドガルドは、死に臨んで、貴方の存在を記憶から消去したのだと思いますか?」
「それは……」
シャルワーヌには答えられない。
「ひとつ、質問があります、シャルワーヌ将軍。貴方とオーディン・マークスは、全く別の場所で戦っていた。さらに軍での地位も経験も、また兵士たちの人望も、貴方の方が格段に上だった。それなのになぜ貴方は、オーディン・マークスの下に入ったのか」
東の国境にいたシャルワーヌは、自らクルス半島北部に駐屯していたオーディン・マークスに会いに行った。そして……。
答えは迅速に帰ってきた。
「決まっている。わが軍にはどうしてもなしえなかった勝利を勝ち得た彼に、敬意を抱いたからだ」
「クルスの地形を見てわかったでしょ? あそこは、山の多い複雑な地形だ。ユートパクスの東の国境のように、軍が隊列を組めるほどの平野がない。オーディン軍の勝利は、ひとえに奇襲の賜物ですよ。歩兵たちに多大な犠牲を強いた結果なのだ」
それでなくとも、クルスへ進軍するには、急峻な山脈を超えなくてはならない。そして、休む間もなく敵に奇襲をかけ続けていては、兵士達が疲弊するのは目に見えている。
実際、オーディン軍の兵士の多くが、病気、あるいは栄養の不足で亡くなっている。
シャルワーヌは俯き、答えない。
「もう一度尋ねます。シャルワーヌ将軍、貴方はなぜ、オーディン・マークスの下にくだったのか」
俯いていたシャルワーヌが顔を上げた。
「エドガルドと戦いたくなかったのだ。東の国境にいたら、亡命貴族軍にいる彼と、顔を突き合わせる可能性があった」
「……嘘ですね」
ラルフが指摘すると、シャルワーヌは気色ばんだ。
「嘘じゃない! 俺は、彼と戦うことが恐ろしかった!」
血を吐くような声だった。僅かにラルフは肩を竦めた。
「嘘だというのが言い過ぎなら、取り下げましょう。だが、それが主な理由ではない。だってエドガルドは、国境を越えてユートパクス国内へ入国しましたからね。もはや東の国境にはいない」
シャルワーヌ自身が通行証を発行した時だ。
「東の国境にいたデギャン元帥の亡命貴族軍も、軍単体では存続できなくなって、ツアルーシに移住していきました。貴方が東の国境に駐屯していても、エドガルドと顔を合わせる機会は、ほぼなくなったはずです」
「マークス将軍の遠征に参加すれば、エドガルドのいる大陸から離れることができると思ったのだ!」
ラルフの顔が皮肉に捩れた。
「だが、エドガルドはタルキアにいた。ほかならぬこの私の船に乗って。彼と顔を合わせたくないという理由でオーディンに付き従ってザイードまで来たというのに、その地に彼がいたというのは、皮肉な話ですね」
「貴様が悪いのだろう! 貴様が彼を巻き込んだのだ!」
抑えきれぬといった風に、シャルワーヌが吠える。ラルフは取り合わなかった。平然として話題を変える。
「エドガルドの気持ちについて、申し述べましょう。転生した後、私の身近に来てからの、エドガルドの気持ちです」
ラルフの身近にエドガルドがいたことを思い出し、シャルワーヌは露骨に嫌な顔をした。しかし、話の腰を折るような真似はしなかった。黙って続きを待っている。
「彼は、貴族である貴方が、革命軍の将軍でいることは危険だと考えていました。軍には、政府からの派遣議員が目を光らせている。いつ裏切り者と密告され、処刑されるかわかったものではない。だからこそ彼は、貴方を再び、オーディン・マークスの傘下へ送り込もうとした」
「そんな、」
抗議しようとするシャルワーヌをラルフは封じた。殆ど怒っているような口調で続ける。
「彼は貴方を守りたかったのですよ。たとえ
「俺は言った。オーディン・マークス将軍は、エドガルドの恋敵などではない、と」
そう言う声は、さっきとは打って変わり、どこか弱々し気だった。
「そもそも、愛の行為と忠誠の行為が同一だとは! 貴方の不器用さと表現力のなさには、驚くばかりですよ」
あきれ果てたようにラルフは吐き捨て、それから独り言のように付け加えた。
「けれど、他の軍でも、全くないわけではない。私としては、
「俺のマークス将軍への気持ちは、純粋に忠誠だ。革命歌に懸けて誓ってもいい。そして将軍のそれは、部下への信頼に過ぎない」
断固としてシャルワーヌは言い張る。そんな彼を、ラルフはじっくりと見据えた。
「士官学校で、エドガルドとオーディン・マークスは恋人同士でした。それが突然、お互いを敵とみなすようになった。なぜでしょう?」
「実際に敵味方に分かれて戦うようになったからだろ、もちろん」
「いいえ。……あのね。変だと思ったのです。二人の間には、確かに愛のようなものがあった。それが突然、憎みあうなんて。けれど、貴方という存在があったのだとしたら……」
「止めろ」
悲鳴のような声でシャルワーヌが制した。だがラルフは動じない。
「いいえ、止めません。オーディンを組み敷いたエドガルドを、貴方は強引に自分のものにした。それと同じ行為をオーディンにもしておいて、単なる忠誠だと言われても、到底、納得できないでしょう」
少し間を置いて続けた。
「エドガルドも、オーディン・マークスも」
シャルワーヌが頭を抱えた。
「知らなかったのだ。二人がそんな関係にあったなんて!」
「知った時点で、オーディンと手を切るべきでしたね。あるいは、エドガルドへの想いを諦めるか」
そう言うラルフの頬に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「いずれにしろ、オーディンの軍にいる限り、エドガルドは貴方の敵です。彼は再び、王党派の戦いに飛び込んでいきましたから」
ラルフを見つめたシャルワーヌの顔が、驚愕に歪んだ。
「なんだって! 王党派の蜂起に加わったというのか? エドガルドが!?」
怒り心頭に続ける。
「なぜ止めなかった!」
「止めましたとも。けれど、彼は、聞く耳も持たなかった」
「手足を縛ってでも、引き留めるべきだったっ!」
「貴方なら、そうしたでしょうね」
「ああ、したとも」
前世のエドガルドを国境付近の洞窟に閉じ込め蹂躙した過去を、シャルワーヌは思い出した。
そもそもあれは、亡命貴族のエドガルドを、革命軍の仲間たちから守る為の緊急手段だった。なにしろ、死刑執行の現場から強引に連れ出したのだ。再び捕縛されたら、その場で射殺されるに違いない。
……半分は、いや、9割が自分の欲望だったことも、否定すべきはないのだが。(2)
じっくりとシャルワーヌの様子を窺っていたラルフの顔が、みるみる歪んだ。意志の力を以て、彼は全力で、湧き上がってきた嫌悪感を抑え込んだ。
「私はあなたと違う。私は、彼の意に逆らうことはしない。決して」
「きれいごとを言ってる場合か!」
「黙れ!」
ぴしゃりとラルフは、シャルワーヌを黙らせた。
彼自身、エドガルドを引き留めることができなかったことを、心底悔いているのだ。わざわざシャルワーヌに指摘されるまでもない。
……けれど、自分は決して、エドガルドを抑えつけたりしない。彼の意志に逆らい、拘束するような真似は。ジウに転移し、か弱い体になってしまった今なら、なおさらだ。
大きく息を吸い、ラルフは態勢を整えた。
「もう一度言います。貴方がオーディン・マークス傘下にいる限り、エドガルドは貴方の敵だ」
「……エドガルドを愛している。だが、俺には……」
俯いてしまったシャルワーヌの言葉は、不明瞭に途切れて消えた。
ラルフは正確に彼の気持ちを読み取った。シャルワーヌがオーディン傘下に下った、本当の理由だ。
辛抱強く彼は、シャルワーヌが顔を上げるのを待った。
「シャルワーヌ将軍。貴方に会わせたい人がいます」
「エドゥか? 今のは冗談だったんだな?」
彼に会うことだけを夢見ていたのだろう。傷のある顔に、期待が浮かぶ。
「いいえ。申し上げた通り、エドガルドは海を渡りユートパクスへ向かいました。ですが私が貴方に合わせたい人は、貴方にとって最も大切な人の一人です。エドガルドと同じくらいに」
「彼が一番だ。同じくらい会いたい人間など、この世に存在しない」
「会ってからも、そう言えますか?」
含み笑いをラルフは浮かべた。
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*1
Ⅱ章とⅢ章の間のSS「嫌われる理由」の「ハーマー伯爵家の客」、ご覧ください
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667903572339
*2
Ⅰ章「捕らえられた亡命貴族」で、ご確認できます
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666466449271
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