療養の勧め

※エドガルド視点に戻ります

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 リオン号から、オハラという医者が派遣されてきた。何やら酒臭く、顔も赤かったが、これは日に焼けたせいだと、強引に自分を納得させた。

 だって、他に医者はいない。


 オハラは、それでもきびきびと診察し、治療を始めた。

 撃たれたのが体の右側でよかったのだと、彼は言った。左だったら心臓が撃ち抜かれていたかもしれないと聞き、俺は震えあがった。


 シャルワーヌが死んでしまう……。

 いやだ。

 絶対に。

 何のために俺は、ジウに転移したというのだ? もちろん、王の復権の為だ。わかってる、そんなこと。


 しかしこの時の俺は、王のことなど、みじんも考えなかった。もう少しでシャルワーヌを失ったかもしれないという恐怖で、頭がいっぱいだった。

 シャルワーヌ。敵国の将軍を。

 我ながら矛盾していると思う。


 とはいえ、彼は幸運だった。弾はすでに抜けており、手術をする必要はない。縫合は済ませたから、後は、傷口を清潔に保ち、療養することだと、医師は言った。 


 オハラ医師が船へ帰る間際の短い会話から、ラルフが、祖国アンゲルから帰っているとわかった。医師の派遣は、ラルフが命じ、手配したということだ。

 やっぱり俺は、最後に、どうしてもラルフに頼ってしまう。

 ダメだとわかっていても、彼の好意に縋りついてしまう。


 でもこの場合、他に選択肢はなかった。

 シャルワーヌを死なせるわけにはいかなかったのだから。



 数日後、再び診察に訪れたオハラ医師は、意外なことを勧めてきた。

 シャルワーヌのアンゲルでの療養を打診したのだ。

 打診というより、すでに決定事項のようだった。

 明朝、船が迎えに来るという。



 夜を徹し、俺とサリは議論を続けた。過酷な移動とオハラ医師の施術で疲れ果てたシャルワーヌは、気を失うように眠ってしまっている。

 時折、俺かサリが席を立ち、寝息を窺いに行く。医師の処方した薬が効いたのか、寝息は穏やかなものに変わっていた。


 「ダメだ。将軍をアンゲルへなんかやれない」

 サリの鼻息は荒い。

 「アンゲルは、長年のユートパクスの敵だ。亡命した君だって、知っているだろう? そんなところへ、共和国の将軍を送り込んだらどういうことになるか! 捕虜にされるのは目に見えている!」


 俺の意見は、シャルワーヌの副官とは少し違う。


「だが、ここにいてどれだけの治療が期待できるというのだ? リオン号だって、そういつまでもイスケンデルに停泊しているわけではない。出航したら、医師も一緒にいなくなってしまうんだぞ」

「構うものか。あの医者はヤブ医者だ」


 そこは、俺としても、彼に同意したい気分だった。だが、現地の医者よりはましだということに、俺とサリの意見は一致した。少なくとも、呪術や瀉血で治療したわけではない。


「言ったろ。大宰相の軍はまだ、武装を解いていない。ここだって、いつ何時、戦禍に巻き込まれるかわかったものじゃない」

 俺が言うと、サリは肩を竦めた。

「そこを何とかしてくれたんじゃないのか、アンゲルの代将さんがよ」

「ラルフは精一杯のことをしたはずだ。タルキア皇帝の合意も取った。だが、現場の人間には、軍人としての考えがある。ソンブル大陸は、俺達ウアロジアの人間とは、常識が違うのだ」

「……」


 サリにも思い当たる節があったようだ。

 さらに俺は、推し進めた。


「捕虜と君は言ったが、タルキア軍の捕虜になるより、アンゲル軍の捕虜になる方が、ずっと安全だと思わないか? すくなくともアンゲルはウアロジアの文明国だ。捕虜に対し、そこまで残酷なことはしない」


 拷問したり。性器を切り取ったり。首を刎ねてその首を槍の先に突き刺したり。

 同盟国の手前、目を覆うようなひどいことはしないだろう。


「そうだな。シャルワーヌ将軍は有名人だしな」

 サリが同意し、大きく俺は頷いた。

「『品位ある侵略者』『公正な配分者』。シャルワーヌの、上ザイードでの人道的な統治は、ウアロジアの国々でも、新聞プレスで伝えられ、高く評価されている」

「そんな将軍を、無残な拷問に晒したりはできないよな?」

「ああ。牢獄でも、丁寧に扱ってもらえると思うよ」


 シャルワーヌほど有名人ではなかったが、シテ塔に幽閉されていたラルフは、看守を味方に引き込み、結構優雅な暮らしをしていた。時には町へ食事に行ったり、定期的に風呂にも入っていたらしい。

 潔癖なシャルワーヌは、特別扱いを望まないかもしれないが、大切な囚人として扱われることは間違いない。


「アンゲル側だって、大切な捕虜に死なれたら困る。運動や食事にも気を使うだろうし、もちろん医療だって、ちゃんと受けさせてもらえるはずだ」

「なるほど」


 サリが考え込んでいる。さらに俺は、言葉を重ねた。


「そうしているうちに、ユートパクスから、捕虜交換の申し出があるはずだ」

「捕虜交換……なるほど。その手があったか」

 サリが大きく頷いた。

「そうだ。だが、タルキアの捕虜になったら、それは望めない」

 拷問の果てに殺されるだけだ。


「わかった」

ついにサリは折れた。

「俺が、将軍に同行して、最後まで彼をお守りする」

「頼んだぞ、サリ」

「君は一緒に来ないのか、エドガルド」

「うん」


 ユートパクスの西海岸で、王党派に合流する途中だということは、伏せておいた方がよかろう。

 俺が言葉を濁した時だった。奥の寝台から掠れた声がした。


「……かない」

「あ、将軍、お目覚めですか?」


 弾かれたようにサリが立ち上がる。ちらりと俺に目をくれてから、ベッドサイドへ向かう。

 二人の話し声が聞こえた。


「俺はいかない」

「え?」

「俺はここに残る」

「ですが、医者の勧めももっともです。過酷な気候の下で療養しても、体調は悪化するばかりでしょう」


 荒い呼吸の音がする。やがてシャルワーヌが言った。


「お前が邪魔で……見えない」

「何が?」

「エドゥが」


呆れたようにサリは振り返った。

「大怪我をして、将軍、すっかり甘えん坊になっちゃってる」


 邪魔者扱いされるサリ副官が気の毒で、俺はシャルワーヌの側へ寄っていった。やつれた顔に喜色が広がった。


「来たぞ」


 声を掛けると、手を突き出してきた。苦笑して、その手を握った。


「サリ、邪魔」

まだそんな憎まれ口をたたく。俺の方が恐縮してしまう。

「す、すまない、サリ大尉」

「エドゥが謝ることはない」


 応えたのはシャルワーヌだった。

 すっかり慣れたのか、サリは肩を竦め、立ち去っていく。

 ぎゅっと、大きな手が握り返してきた。体温を取り戻し、温かくなった手だ。


「エドゥ、君に聞きたいことがある」

「長い話は傷に堪えるだろ?」

「大丈夫だ。君の声を聞いていると落ち着く」


 子守歌代わりにつきあってやってもよかろうと思った。

 俺の顔に承認の色を読み取り、シャルワーヌが尋ねた。


「どうやって俺のいるところを知った?」

「イサク・ベルが連れてきてくれた」

「イサク……。君の話が聞きたい。リオン号に乗っていた君が、なぜ、俺の所へ?」


 それで俺は、今までのことを、簡単に話した。

 タルキア皇帝の所に、休戦を交渉に行ったこと。(宮殿に幽閉されたことは割愛した)

 シェルキュ太守とともに、帰路についたこと。

 キャプテン・アガの暗殺計画。(宮殿で彼に部下をけしかけられたことと、暗殺部隊の兵士らに色仕掛けで迫ったことは省いた)

 そして、様子を探りに行った大宰相のキャンプで、イサク・ベルに再会したこと……。(キャプテン・アガに襲われそうになったことは黙っていた)


 「どうして君は……」

それなのに、掠れた声が抗議した。

「どうして君は、そんなに危険なところにばかりいたんだ? どうしてラルフ・リールは、君をそんな……」

「しっ!」

唇に指を当て、黙らせた。興奮させたら傷に響く。

「俺の意志だよ。俺は、ユートパクス軍をタルキアの捕虜にしたくなかった。無事に名誉ある帰国を果たしてほしかった」

「それは、ラルフ・リールのエ=アリュ和約を成功させたかったからか? 彼を喜ばせたかったから?」

「違う。君に無事でいて欲しかったからだ。戦場で傷つくことなく、無事に祖国へ帰って欲しかったからだ」


 迷いはなかった。

 全ての虚飾を剥ぎ取り、残った真実を俺は告げた。


「エドゥ……」

青い顔がこわばって見えた。彼は、極度に緊張している。

「俺は君を、強姦したわけではないのだな?」

「強姦?」

「東の国境で。弱った君を、毎日抱いた。昼も夜も、何度も何度も」

「ば……馬鹿」


 何を言い出すかと思えば。

 だが、どうやらそれを、シャルワーヌはずっと心配していたらしい。

 自分の行為は、一方的な乱暴ではなかったのか、と。


 だって俺が、忘れてしまったから。彼のことも、行為そのものも。


 胸がいっぱいになった。

 彼に安らぎを与えたかった。本当の気持ちを伝えたかった。

 中指を曲げた関節で、青ざめた頬にそっと触れた。


「薄暗い洞窟で、俺はいつだって、君が来るのを待っていた。君が出て行くとすぐ、君が恋しくなった。ずっとずっと、君を待ち続けていた」

「……」


 沈黙が下りた。

 勢いよく、シャルワーヌが起き上がろうとした。


「シャ、シャルワーヌ!」

「ううっ!」


思わず俺が叫んだのと、彼が勢いよくベッドに崩れ落ちたのは同時だった。


「シャルワーヌ、この馬鹿が。なんてことすんだ。痛くないか? 傷は開かなかったか?」

「大丈夫だ。それよりエドガルド、もっと……」


こっちへ寄れとばかりに両腕を差し出して来る。


「ば、ばか、右腕を上げたらダメだ。肩に傷があるんだぞ?」

「抱いてくれ」

「へ?」

「俺を抱いて」


 このままでは本当に出血しそうだから、慌てて彼に向かって屈んだ。傷だらけの体を、壊れ物のようにそっと抱きしめる。


「強く」

「馬鹿、痛いだろ」

「だいじょぶ。だから」


 少しだけ力を入れた。

 ぐいと引き寄せられた。


「ダメだって! 本当に、お前……」


「思い出したんだな?」

確信を持った声だった。

「前世の記憶……俺のことを、思い出してくれたんだな?」


 咄嗟に否定しようと思った。

 だってその方が、彼と別れやすいから。


「……ああ」


 それなのになぜ、肯定してしまったのだろう。きっと俺は、もう隠せなくなってしまったのだ。シャルワーヌへの想いのたけを。

 シャルワーヌの目が輝いた。とてもきれいに光っていて、なんだか泣いているようにも見える。


「ありがとう。エドゥ、俺のことを思い出してくれて、ありがとう!」


 本当は忘れたわけじゃなかったと言いたかった。魂は覚えていて、だから、同じ気持ちを持つジウの体に招じ入れられたのだと。


 でも、それにはオーディン・マークスのことを話さなければならない。彼が俺をシャルワーヌから遠ざけようとしたこと。シャルワーヌを安全地帯へ送り込む為に、前世の俺は、死に臨んだ時にシャルワーヌを忘れようとしたこと。

 つまりオーディンはシャルワーヌを愛しているのだと、教えなければいけない。そんなことはできない。断じて。


「ごめん。君のことを忘れてて。許してほしい」

「エドゥらしくない」

シャルワーヌは、すっかり上機嫌になっていた。

「もっと、さっきみたいに俺を罵ってくれ。馬鹿とか阿呆とか」

「そんなひどいことを言ったか?」

「ひどくない。嬉しかった」


 ぐいぐいと抱きしめようとする。無理矢理、その体を引き離した。これ以上こうしていたら、本当に傷が開いてしまう。


「ダメだ。おとなしくしてろ」

「いやだ。せっかく君がそばにいるのに」

「随分長いこと、話してしまった。もう寝ろ」

「いやだ」

「明日は船に乗るんだ。今夜はゆっくり休んだ方がいい」

「いやだ」


「アンゲルへ行きたくないのか?」


 恐る恐る尋ねる。行きたくないと言われても、行かせるしかない。だってそれが一番いい。タルキアと違ってアンゲルなら、そこまでひどいことはしないし、上ザイードでのシャルワーヌの評判を考えれば、厚遇してもらえる可能性が高い。加えて、いずれは捕虜交換でユートパクスへ帰れるはずだ。

 シャルワーヌが首を横に振った。


「そうじゃない。エドゥはここに残るのだろう? だったら俺も残る」

「行くよ、シャルワーヌ。俺も一緒にアンゲルへ行く」


 一瞬のためらいもなく嘘を吐いた。


「本当に?」


 信じられないという風に、けれど、再び強く、その目が輝く。

 力強く見えるよう祈りながら、俺は頷いた。


「もう君から離れない。ずっと一緒だ」

 ああ、そうできたら、どんなに幸せか!


 こけた頬で、シャルワーヌが微笑んだ。

 それが彼の体力の限界だったようだ。

 重い瞼が閉じられた。



 翌早朝、軍医が現れた。眠っているシャルワーヌの鼻の下に、眠り薬で湿らせた布を宛がう。

 深く眠り込んだまま、シャルワーヌはアンゲルのコルベット艦に乗せられた。傍らにサリが寄り添っている。


 軍艦が迎えに来たことに、アンゲル側の誠意を感じた。ユートパクスの将軍、シャルワーヌに対し、軍の敬意を捧げているのだ。

 それは、サリにもわかったようだ。固い表情が少しだけ弛んだ。


 シャルワーヌにはああ言ったが、もちろん俺が同行するわけにはいかない。

 俺には俺の使命がある。

 先祖から続く王への忠誠、即ち、ユートパクスを王の手にお返しするという、神聖な任務が。


 これでもう、心残りはない。シャルワーヌは安泰だ。一時的にアンゲルの捕虜になるだろうが、すぐに捕虜交換が成立し、彼はユートパクスへ帰っていくだろう。


 ユートパクス……オーディン・マークスが首席大臣として君臨する祖国へ。

 オーディン・マークスの待つ祖国へ。


 シャルワーヌは、オーディンの保護下に入る。彼に関してはもう、案ずることは何もない。むしろ、俺がいたら邪魔なのだ。


 シャルワーヌとサリを乗せた船は、どんどん小さくなっていった。青い空には、群れからはぐれたカモメが二羽、舞っている。


 港に残された俺には、最後の難関が待ち受けている。

 最後の……ラルフとの会見だ。







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