イサクのやり方


 真っ直ぐに港へ向かうと思っていたのに、思いがけず馬は、市街地へ入っていった。

 日干し煉瓦を積み上げた建物が増えてきた。道路も整備され、人や駱駝が行き交っている。


「どこへ行くんだ?」

さすがに不安になり、背後のイサクに尋ねる。

「言ったろ。俺はニワトリの鳴き真似がうまいって」


 そういえば、アガのテントで、イサクはそのようなことを言っていた。

 ニワトリの鳴き真似はスパイの合図だ、とも。


「まさか……」

 途端に胸が高鳴った。

「言え、イサク。君はどっちのスパイなんだ? タルキアのか? ユートパクスのか!」


 聞くまでもない。答えは明らかだ。イサク・ベルは、タルキア軍の駐屯地から、俺を救い出してくれた……。


「タルキア皇帝には親愛の情を抱いているし、永遠の忠誠も誓っている。だが俺は、にも、一目置いているのだよ」


 あの男。

 それが誰かは、言われなくてもわかった。


 ……いやだ。


 俺は、元の自分に戻ったのだ。

 王党派の亡命貴族、エドガルド・フェリシンに。


 ……いやだ!


 もう二度と会いたくない。

 オーディン・マークスのものになった男には。


 ……いやだ!!


 未来永劫、永久に。



 市街地の裏通りの、ごちゃごちゃした地区を馬は進んでいった。洗濯物が翻り、子どもが裸足で駆けていく。

 少し行くと、ぱたりと人通りがなくなった。乾いた道を風が吹き抜け、土埃が立ち上がる。

 馬が止まった。


「さてと。俺はここまでだ」

俺を馬から助け下ろし、イサクは言った。

「シャルワーヌ・ユベールなら、次の角を曲がった3軒目の家にいる。出航は一週間後だ。早く会いに行くがいい」

「出航?」

地面についたばかりの足がよろめいた。

「一足先に帰国するのだそうだ。軍の総司令官に呼ばれたとかで」

俺を支え、イサクが教えてくれた。


 洋上でラルフは、シャルワーヌにイスケンデル近郊にタルキア軍が集結していると教えた。ここまでは俺も知っている。俺がタルキアの都ディオンへ出発する前のことだ。


 タルキア軍が攻めてくる可能性を、シャルワーヌは、マワジの新司令官ワイズ将軍に報告した。彼はその後すぐ、港町イスケンデルに取って返したという。

 一番早く出航する船に乗り、ユートパクスに帰国するのだそうだ。オーディン・マークスに召喚されたから。


 悔しさと無念に、唇を強く噛んだ。


 そんな俺を置き去りに、イサクが馬の背に飛び乗った。

「ひとまず大宰相の駐屯地に帰る。しばらくお別れだ。俺に会いたくなったらいつでも、上ザイードに来るがいい」

「いや、……おい、何言ってんだ。俺はイスケンデル港へ行きたいんだ! そこにシャルキュ太守の船が……俺はユートパクスの西の海岸で王党派の蜂起に加担……、」


 口角泡を飛ばしてまくしたてる俺を、イサクが涼しい顔で遮る。


「気にしなくていい。一度や二度の寄り道を咎めたりしない」

「寄り道?」

「シャルワーヌ・ユベールだ。言ったろ。俺はあいつの力量を認めている。お前があいつで道草を食っても、怒りはしない」

「何を馬鹿なことを! あんなやつには会いたくもない!」


 強い口調になる。だって、俺が絡んだら、彼は死ぬ。オーディン・マークスに殺される……。


「だったら、最初に俺がやった短剣で殺しておくべきだったな」

「う……」


 そうだ。

 殺しておくべきだったのだ。

 何も知らないうちに。何も思い出さないうちに。

 革命軍の将校なんか。オーディン・マークスに身も心も売り渡した、王党派の敵なんか!


「ああ、あ、俺の妾は、シャルワーヌ・ユベールが総司令官殿に会いに行くのが気に入らないのだな?」


 馬の上からイサクが見下ろしている。

 むっとした。


「オーディン・マークスは人でなしだ。大宰相の軍にいたのなら、それくらい知っているだろう?」

「異論はない。だが、権力者にはおもねるものだ」

「おもねる? 君が?」


 意外だった。

 イサク・ベル、傍若無人のムメール族の長の口から、こんな言葉が飛び出すなんて。


「そうだ。大抵は、自分の娘を差し出す。娘がいなければ、妹、姉、叔母、とにかく、できる限り、血の濃い女を差し出すのだ。彼女が子を産めばしめたもの。何しろ、のだからな。こちらの身は安泰だ。血の繋がりを通して、富のおこぼれにも預かれる」

「おい!」


 余りの言い草に呆れ返ってしまう。平然としてイサクは続ける。


「だが、女がいなかったら? 娘も姉妹も従姉も叔母も、女が払底していたら? そうしたら、自分が体を結ぶしかないじゃないか」

「体を、結ぶ?」


 尋ねる声が震えた。

 シャルワーヌとオーディンの間には、血の繋がりなどない。だから彼は体を……。

 イサクが頷く。


「そうだ。血の繋がりが作れなければ、自分と相手の体を繋げるしかないのだ。特に忠誠が重んじられる社会では、それは重要だ。体の繋がりがあれば、命を擲ってでも守ろうとするものだからな」

「それは、愛の行為ではないのか? 体を繋げることは!」


 イサクは鼻で笑った。


「俺の妾はロマンチストだな。愛など関係ない。ただの主従関係に過ぎない。オーディン・マークスとシャルワーヌ・ユベールのそれは」


 息が詰まった。


「だが、俺とお前の間には愛があるぞ。だから安心して俺の妾になるがいい」

「断る!」


 言っていることは滅茶苦茶だが、イサクの温かい気遣いが伝わってきた。

 彼は、シャルワーヌの行為は俺への裏切りなどではないと主張しているのだ。到底、受け容れ難いが。少なくともオーディンは、シャルワーヌを愛している。そうさせる何かが、シャルワーヌの行為にはあったということだ。

 つまり、心が。それは、シャルワーヌからオーディンへの敬愛……違う。「特別な」敬愛だ。


 イサクは肩を竦めた。


「よいよい、照れずとも。ああ、そうだ。あの男に教えてやるがいい。もう2~3日したら、タルキア軍がここへ攻めてくる」

「は? どゆこと?」


 話の展開が急すぎてついていけない。


「決まってるじゃないか。俺が大宰相に申告するからだ。イスケンデルの路地裏にシャルワーヌ・ユベールが潜んでいると」

「おい!」


 本気で腹が立った。

 いったいこいつは、どっちの味方だ?


「あのな」

 出来の悪い子どもを見るような目で、イサクが俺を見ている。

「駐屯地で俺達を通してくれた見張りは、俺の友達だ。裏切ったりはしない。だが、何かのはずみで、俺がお前をここに連れてきたことがバレたら、俺はアガに八つ裂きにされるんだぞ」

「……え?」

「アガのがいなくなった。時を同じくして、駐屯地から出て行った奴がいる。そいつのを連れて。1と1を足したら2だろうが」


 俺は絶句した。

 そうだ。俺を逃がした疑いは、真っ直ぐにイサク・ベルに向けられてしまう。おまけに、イサクとシャルワーヌとの接触を疑われたとしたら? イサクがシャルワーヌのスパイだと見抜かれてしまったら!


「俺はやつのスパイなどではない」

 イサクは平然としていた。

「俺がシャルワーヌ・ユベールと会わないのは事実だからな。それは、この町の連中が証言してくれる」

「わかった。俺に唆されてここまで連れてきたと言えばいい」


 言いながら俺は、下着の裾を引き出し、千切ろうとした。豪華な白い下着には、タルキア皇帝の紋章が刺繍されている。


「皇帝の紋章だ。君はこれを見せられて、俺を逃がすことを強要されたと言えばいい」


 だがイサクは首を横に振った。


「そこまでする必要はない。お前は俺の妾だ。駐屯地の見張りともだちも、俺が連れだしたのは確かに俺の妾だったと証言してくれる。後は、シャルワーヌの居場所を、大宰相に教えてやれば、万事、片が付く」

「シャルワーヌを売るのか?」


 声が裏返った。やはりどうしても、シャルワーヌを傷つけるような真似はしたくない。理屈はどうであれ、感情がいやだ。

 怪訝そうにイサクが首を横に振った。


「売る? そもそも俺はスパイではない。。でも俺は、あの男が嫌いではないからな。だから、アガの手の者が攻めてくると忠告してやっているのだ」

「……」

「さっさと行け。そして教えてやれ。それから、ああ、そうだ。俺がよろしくと言っていたと伝えといてくれ」


 ソンブル大陸とウアロジア大陸では価値観が違い過ぎる。

 ここはソンブル大陸だ。ならば、そのやり方に従うしかない。

 しかし、俺にだって譲れない一線がある。


「何度も言っているが、俺はシャルワーヌになんか会わないぞ。一生。金輪際だ」

「勝手にするがいい」


 ふっとイサクは笑った。

 馬の腹を蹴り、走り去っていく。








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