前世の墓所/大宰相の駐屯地


 朝まだ暗いうちに、暗殺隊は出発した。

 ザイードの首都、マワジへ向かうのだ。そこに立て籠っている筈のワイズとシャルワーヌを殺しに。

 

 けれど、俺には関係ない。

 関係ないんだ。

 ユートパクス軍が、自分たちの指揮官を守るだろう。

 オーディン・マークスの将軍を。


 暗殺隊が出て行く物音に聞き耳を立てていた俺を、シャルキュが迎えに来た。ついてくるように目顔で促す。

 ラクダに乗って、長い距離を行った先は、何もない砂漠だった。


「何か感じることは?」

日の出前、ほの明るく光る砂地に降り立ち、シャルキュは尋ねた。


「感じる?」

「ここにお前を葬った」


 はっとして辺りを見回した。

 墓標も目印も何もない。砂また砂がどこまでも広がっている。薄明りに、砂の波紋が幾つも重なって見えた。うねる大地は、時に山となり、時に谷になって落ち、行きつく先もまた、砂漠だ。


 辺りはしんと静まり返っていた。あたかも別世界のように広大に、そして虚無の底のようだ。

 風に吹かれて砂が飛ばされ、砂漠は常に動いている。砂丘は形を変え、谷は埋まって山となり、また崩れてと繰り返しては移動していく。


 広大なこの砂漠のどこかに、前世の俺の体が眠っている……。


 「何も感じないか」

さして感慨もなさげにシャルキュが尋ねた。

「……うん」


 前世の自分の墓を見たら、どんな気持ちになるだろう。

 そんな風に考えたこともあった。

 けれど、実際にこうして立ってみると、案外、何も感じない。砂漠全体に広がる「墓」が、大きすぎるせいだろうか。


「そうか。お前はまだ、生きているもんな」

「生きて、いる?」

「墓など、虚しいだけよ」


 東と西の狭間の国の、不思議な死生観を持つシャルキュが言った。


「そうだ……な」


 また、生きることを許された。

 同じ時間、同じ地方で。

 ならば、前世と同じ目的に向かって邁進しよう。

 俺は、エドガルド・フェリシン。王を奉じる亡命貴族だ。


「これからどうする? やっぱりマワジへ行くのか?」

さばさばとした口調でシャルキュが問う。

もはや俺に迷いはない。

「いや、ユートパクスの西の国境へ向かう」

「西の国境?」

「そこで、王党派が民衆と結びついて、戦っているのだ」


 革命政府軍と。今では、オーディン・マークスの軍隊と。

 クーデターを起こしたオーディンは、武力を以って政府を掌握した。

 今、俺の敵は明確に、ユートパクス軍のトップ、つまり、革命政府を乗っ取ったオーディン・マークスだ。


 低い声でシャルキュは笑った。


「やっと元のお前に戻ったな。ラルフの元へは戻らないのか?」

「途中で立ち寄るよ」


 なるべく軽く聞こえるように答える。彼に別れを告げに行くことは言わなかったが、シャルキュは何かを察したようだった。


「お前は潔癖だな。自分に厳しい正義漢でもある。だがまあ、あの男ラルフ・リールを袖にしたい気持ちはよくわかる」


 俺に催淫剤月下麗を盛り、さらにラルフを焚きつけておいてよく言うと思った。

 いや。

 シャルキュのせいにしてはならない。全ては俺の弱さが招いたのだ。ラルフにはきちんと謝らなければダメだ。

 シャルキュにも、少しは反省する気持ちがあったのか。顎髭をしごきながら申し出てきた。


「船を出してやろう。ユートパクスの西の国境は海に面している。船で行った方が早いし安全だ。ユートパクスの西海岸の向かいはアンゲル王国だから、あの海域は、アンゲル艦の監視下にある。タルキアの旗を掲げた船で行けば、上陸には援護も期待できるだろう」

「恩に着る、シャルキュ太守」

「アンゲル海軍には、それこそ、ラルフ・リールに口利きを頼んだらいいじゃないか」

「いや、それは止めておこう」


 これ以上、ラルフに負担を掛けたくない。ただでさえ彼は、海軍の上官と馬が合わないのだ。というより、どういうわけか積極的に嫌われている。


「海軍将校というものは、変人が多いからな」

 ラルフか上官か、どちらを庇ったのかわからない評価を、シャルキュが下した。



 砂丘の向こうから太陽が登り始めた。

 生命の死に絶えたような砂漠にも、新しい一日が始まろうとしている。





 シャルキュ太守の出してくれた船は、メドレオン海を海岸線に沿って進んでいった。

 この海域は、アンゲル海軍が封鎖している。もちろん、同盟国であるタルキア船の航行は自由だ。


 途中、ティグル号にもオシリス号にも出会わなかった。宮殿でタルキア皇帝から聞いた話では、二隻とも、イスケンデル周辺を巡航しているらしい。


 そのイスケンデルには、補給の為に立ち寄った。暫く滞在して、アンゲル海軍と連絡を取るつもりだ。

 ラルフに別れを告げる為に。

 辛い仕事だが、避けて通ることはできない。


 イスケンデルには、タルキア大宰相の軍が布陣している。皇帝の解散命令は伝えられたはずだが、今、彼らはどうしているだろう。


 オーディン軍との戦いは、長く過酷な戦いだった。タルキア兵も大勢死んだ。皇帝に忠実とはいえ、大宰相は、実際に戦場に出て戦っていた。だから、停戦には賛同しきれない気持ちもあるだろう。

 大宰相は、まだ、軍を解散させていない可能性がある。

 タルキア軍の動向が気になった。


 大宰相軍の駐屯地の様子を窺いに行くことにした。目立たないように、手勢は少数にとどめた。

 同行するのは、いずれもエイクレ要塞で共に戦った兵士達だ。彼らは、俺がエドガルドであることをシャルキュ太守から聞かされており、ごく自然に、以前の指揮官として受け容れてくれた。ありがたいことなのだが、ウアロジア大陸から来た俺には、タルキア皇帝やシャルキュ太守を含め、彼らの死生観が不思議でならない。


 途中、バザールの脇を通った。相変わらず鮮やかな色彩に溢れた市場は賑やかで、活気があった。

 今、俺の身近には、オウムも青い目玉もない。ここでラルフと休日を楽しんだことが、遠い昔のように思われる。


 ……感傷に飲み込まれてはダメだ。


 保護されるばかりでは、ダメになってしまう。俺ばかりではなく、ラルフまでもが。

 頑張って生きて行かねば。ラルフはラルフの幸せを。そして俺は、ユートパクスの王の為に。


 革命で殺されたブルコンデ16世には王子がいた。風の噂では王子は亡くなり、王弟殿下が亡命王ブルコンデ18世として即位したと聞く。

 17世を飛ばしたのは、17世は、亡くなられた16世陛下あにぎみの王子の為の称号だからだ。

 王子の生死は不明だが、新しく即位された18世陛下は、甥の存命を願い、彼のことを気にかけておられる。

 そういうメッセージだ。





 イスケンデルの外れのオアシスは、鉄の柵で囲われていた。茨のような鋭い突起で覆われた柵は、中へ入ろうとする敵も、砂漠へ逃げ出そうとする逃亡兵も、同じように足止めさせる。片方は外側に、片方は内側に。


 柵の内側は雑然としていた。馬だけではなく、牛や豚や人間が、入り乱れて動き回っている。

 中央にはテントが張ってあった。一際大きく豪華なのが、大宰相のテントだろう。


 俺たちは、はるか遠くからその様子を眺めていた。軍には活気があり、解散したようにはとても見えない。


 大宰相の軍は1万5千だ。ユートパクス軍は2万だが、この中には民間人も含まれる。また、病人や怪我人も多く出ている。戦えるのは実質、半分ほどだ。

 実際の戦闘員の数は、タルキア軍が勝っている。いざ戦争となれば、タルキア軍有利に展開するだろう。


 皇帝命令で開戦は禁じられてしまった。だがもし、ユートパクス軍の司令官が殺され、軍の規律が乱れたら。その結果、ユートパクスの兵士らが略奪に走り、住民を虐げるようになったら。

 シャルキュ太守は取り合わなかったが、首都マワジ進軍の、絶好の口実になる。

 タルキア軍はその時を待っているのではないか……。



 考え込んでいると、同行者の間から奇妙な叫び声が上がった。それを合図に、皆が一斉に馬に鞭を当てる。悲鳴を上げる馬を駆りたて、一目散に走り去っていった。

 いずれも勇敢なタルキアの兵士達だ。エイクレ攻防戦で共に戦った俺にはよくわかっている。それなのに、なんだ、この慌てぶりは。


 呆気に取られている俺の馬の前に、巨大なアラビア馬が立ち塞がった。


「久しぶりだな、大使」


浅黒い顔が残忍に笑う。彼の後ろには、数十人ほどの騎馬兵が追従していた。


「キャプテン・アガ……」


 宮殿で、アンゲル側の提案した休戦協定を嘲笑った男。そして俺を、部下の将校らに投げ与えた男。

 彼は、大宰相の息子だ。皇帝の休戦命令を伝えに、ここイスケンデルに来ていた……。


 剣を抜こうとしたが、あっという間に取り押さえられてしまった。問答無用で馬から引きずり降ろされる。そのまま拘束され、駐屯地へ連行された。


 柵を越えると、引っ立てられるようにして、一番外れのテントに連れ込まれた。

 俺をテントに放り込むと、兵士らは姿を消した。青いテントの中には、俺とアガだけが残された。


「駐屯地まで追ってくるとは、そんなに俺に会いたかったのか?」


 からかうような口調だ。

 俺は答えなかった。彼の隙を窺う。けれど、手足を拘束されたままでは、反撃できない。


「相変わらずきれいなツラしやがって。俺の部下たちに可愛がられた気分はどうだ?」


 部下たちの凌辱が成功したと思っているのだ。にやにや笑いが気色悪い。かっとした。


「あいつらにやられたりなんかするものか!」


 はっと口を噤んだ。余計なことはしゃべらない方がいい。

 だが一瞬、遅かった。アガが顎を撫でた。


「やつら、失敗したのか。……そうか。近衛将軍が嗅ぎつけたのだな」

「……」


 皇帝の側近である近衛将軍が、アガ軍を監視下に置いていたおかげで、俺は、危ういところを助けられたのだ。


「今までどうしていた? 皇帝の囲われ者にでもなっていたか?」


 俺の顎を指で持ち上げ、アガが問う。

 その顔に、唾を吐きかけた。


「ほう。威勢がいいな。だが、この俺に逆らって、無事で済むと思うなよ」


 腰の短刀を抜いた。外から僅かに差し込む光に、反り返った白い刀身がぬめりを帯びて光る。

 アガは短刀を振り上げた。

 次の瞬間、俺の手足を拘束していた縄は、ばらばらになって落ちた。


「近衛将軍の機知で得た、せっかくの僥倖を無にするとは。愚か者めが。後悔してももう遅いぞ」


 戒めが溶けた瞬間、俺は、後ろに飛びのいた。その肩越しに、白い光が飛ぶ。小ぶりのナイフだった。耳に熱い感触が走る。びんという音を立て、ナイフは背後の衝立てに突き刺さった。

 生温かいものが頬を伝う。肩が赤く染まった。血だ。耳たぶが切れたようだ。

 俺はアガを睨みすえた。


「いいね、その顔。特に、憎しみに満ちた灰白色の目が。赤い血が、白い頬に良く映える」

「……死ね」


 だが俺にはエモノがない。銃も剣も、馬から引きずり降ろされた時に、取り上げられてしまった。


「おやおや。口だけは達者だな。その調子で頼むぞ」


 素手でどこまで戦えるか。ましてやジウ、この弱い体で。

 とにかくテントの端を目指そうと思った。布をめくれば、外に出られる。

 運が良ければ。


「まるで、追い詰められた子羊だな。そうだ。もっと走るがいい。ほら!」

 ナイフが俺の行く手を遮り、置かれていた甲冑に当たって甲高い音を立てた。

「外に行きたいか? 構わぬぞ」


 テントの端に追い詰められた。だが、布をめくりあげる余裕などなかった。あっという間に両手を掴まれ、押し倒された。


「動かない獲物を犯すのは、趣味ではない。温かい体が恐怖の汗で濡れ、暴れ、抵抗し、泣き叫ぶのがよい」


 やすやすと俺の上に馬乗りになり、アガが言う。


「死体も好きだぞ。冷たく強張った体を抱くのも好みだ」

「この鬼畜が!」

「何とでも言うがいい。お前は俺の手の内にある」

「くそっ、離せ!」


 アガは爆笑した。


「俺に会いに来たのだろう? ティオンからはるばる」


 服の前を止めていたボタンが吹き飛び、服の前が一気にはだけられた。ズボンのウエストまで肌が露出する。

 全身が総毛だった。


「放せ! 誰がお前なんかに!」

「気の強いのは好きだ。その調子で叫ぶがいい」


 手が腰紐にかかる。

 死ぬ気で抵抗した。


「ほら、鳴け。もっと俺を楽しませろ」


 これ以上声を出すものかと、唇を固く噛みしめた。悲鳴などあげようものなら、変態を喜ばせるだけだ。


「無粋なものを身に着けているな」


 アガが力任せに腰紐を引っ張った時だった。


「グトゥー! グトゥー!」


 家禽の声? それにしては、ひどく大きい。思わずといった感じで、紐を引き千切ろうとするアガの手が止まった。

 だが すぐに、裸の胸に手が当てられた。滑らかな皮膚を撫でまわし、胸の突起を捻り上げた。


「……っく!」

「もっと声を出せ」


 指に力が入る。胸の先端がむしり取られるかと思った。


「グーグー、グトゥー、グトゥー!」


 再び大きな鳴き声がした。

 アガの目線が、テントの布を透かすように外に向けられた。明らかに集中を殺がれている。


「グトゥ、グトゥ、グダーク!」


「ええい、くそっ!」

乱暴に吐き捨て、アガは立ち上がった。

「様子を見てくる。逃げようとしても無駄だぞ。外には銃を持った兵士が立っている。テントを出た途端、穴だらけになる」


 彼は着衣のままだった。そのまま、テントの外へ出て行く。


 床に引き倒された時に、頭を打っていた。

 朦朧とした状態で、起き上がる。

 テントの外には銃を持った兵士が?

 構いはしない。

 こんなところでやられるのを待ってられるか!


 「俺の妾は無事だったかな」

 誰かが中に入って来た。








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