酒宴


 キャプテン・アガの親衛隊が、シャルワーヌを殺しに? 

 ……暗殺。

 目の前が真っ暗になった。


 ……シャルワーヌ。


 革命政府からの危険を避ける為、オーディン・マークスの傘下に入った男。

 俺自身が遠ざかることによってしか、安全を保てない男。


 「それは、皇帝の命令なのか?」


 尋ねる声が掠れる。

 不審そうに俺を見て、シャルキュは首を横に振った。


「キャプテン・アガがあいつらに、そう言い置いて行ったのだ。ユートパクス軍の指揮官を殺せと。イスケンデルへ向かう前に」

「では、皇帝はこの件には関わり合いがないのだな?」

「カンダーナ皇帝は知りもしないだろうよ」


 深いため息が漏れた。少なくとも、皇帝はシャルワーヌ暗殺命令を出してはいない。それはとても重要に思われた。

 俺にとってタルキアの皇帝は、それほど大きな存在になっていたのだ。できるなら、ずっと彼を信じていたい。彼の味方でありたい。


「父の大宰相と共に、アガは皇帝に忠実なのではなかったか」

 敢えて尋ねると、シャルキュは爆笑した。

「忠実!? はっ、その通り! アガは、皇帝の命令に逆らってなんかいない。だって親衛隊のやつらは、気に食わない外国人をこっそり殺しに行くだけだからな」


 それが、タルキアのやり方なのだ。

 上辺だけではない。彼らの皇帝への忠誠は絶対だ。

 でも、自分の正義は曲げない。

 正しいと思ったことは貫き通す。

 つまり……。

 背筋に寒気が走った。


 ……シャルワーヌ。


 愛が叶わぬひとであっても、俺は今でも彼を愛し続けている。

 あいしている……。





 エイクレに到着すると、軍は散開した。ここで一晩休んだ後、暗殺部隊は、マワジへ向かうという。

 その夜、シャルキュ太守軍の慰労も兼ねて、華やかな宴が設けられた。


 「なんだ、エドガルド。お前は宴会が嫌いだったはずだが。自分から出てくるなんて珍しいじゃないか」

 薄物を纏っただけの俺を、シャルキュはじろじろと眺めた。

「人生は短いんだ。少しは楽しまなくちゃな」

当たり障りなく応じると、シャルキュは口を歪めた。

「なら、飲め」

 強引に盃を握らせ、酒をなみなみと注ぐ。

「ダメだよ、シャルキュ。俺はまだ未成年だから」

 この言い訳が通用するのも、あと数ヶ月だ。

「だがお前は、エドガルドだろうが」

「体はジウだ」

「けっ、都合のいいやつめ」

シャルキュは嘲った。押し付けた盃を奪い取り、自ら飲み干す。

「別の楽しみといこうじゃないか」


 好色な目で見てくる。

 薄い衣は、透けそうで透けないという、絶妙の透明度を誇っている。宴席に招かれた舞姫から借りたものだ。


「君は俺を諦めたのだろう、シャルキュ」

「諦めたわけではない。譲っただけだ。なにしろラルフ・リールは必死だったからな」


 急に飛び出してきたその名に、胸がずくんと痛んだ。


「お前のような男は、一刻でも一人にしたらダメなんだ。見ろ、あいつらの目を」

 マワジへ向かう暗殺者たちの一団を顎で指し示す。


 車座になって酒を飲んでいた男たちは、全部で6人いた。時折目を上げ、こちらを窺っている。薄い絹を透かすような目つきがまとわりついてくるのを、宴会が始まってからずっと感じている。


「平気だよ。あいつらは何もできやしない。だっていつもあんたがそばにいてくれるんだろう?」


「ああっ!」

 シャルキュは頭を掻きむしった。

「今すぐお前を抱きたい。だが、あのアンゲル人ラルフ・リールには恩がある。あいつが敵から武器を強奪してこなければ、タルキア軍に勝ち目はなかった!」


 未だにシャルキュは、エイクレ戦を共に戦った外国人ラルフに、深い恩義を感じているようだった。


 彼は、おずおずと酌をしてくれた舞姫の肩を、ぐいと抱いた。

「とりあえずはお前で我慢だ。来い!」

 さらうように彼女を抱き上げ、連れ去っていく。



 エイクレの長官であるシャルキュが中座し、他にも、相手を見つけた者が次々と姿を消していく中、車座の6人は、誰一人として、席を立たなかった。

 俺と彼らの間にいた酔漢達がいなくなり、距離がぐんと縮まったように感じられる。


 ちらちらとこちらを見ていた視線が、次第に大胆になり、露骨になっていった。嘗めるような視線に、剥き出しの方が総毛だった。

 遂に中の一人が手招きした。


 酒瓶を持って俺は立ち上がった。わざとよろめくような足取りで近づいていく。もちろん酒など一滴も飲んではいないのだが。

 車座まで行きつくと、勢いよく、すとんと腰を下ろした。


「酔っているのか?」

 中の一人が言って、馴れ馴れしく肩を抱く。

「はい、少し。お近づきになれて嬉しいです」


 そっとその手を外し、相手の盃に酒を満たす。男はぐっと飲み干すと盃を投げ出し、再び俺を抱き寄せようとする。


「待て、オマリー」

別の一人が言って、最初の男を押しのけた。

「面倒は嫌いだ。最初に聞いておこう。お前はシャルキュの寵童か?」

 俺は目を吊り上げてみせた。

「まさか」

「あの屠殺屋の愛人ではないのだな?」

 屠殺屋というのは、シャルキュのことだ。あまりに残虐なので、二つ名がついた。

「もちろんです。彼は、とてもいい人だけど」


 「いい人」のは、わざとゆっくり発音した。

 一座に忍び笑いが漏れた。


「なら、構わぬだろう?」

 オマリーと呼ばれた男が再び、俺に向かって手を伸ばす。

 手が触れるのを待たず、俺はその男にしなだれかかった。

「あなた方は明日にはお立ちと聞きました。僕も一緒に連れて行って下さいますか?」

「おうよ」


「おい、オマリー!」

「堅苦しいことはなしだぜ。これほどの上玉だ。ゆっくり楽しませてもらおうじゃないか」


 その手が、肩で止めたボタンに掛かる。これを一つ外せば、薄い絹は、腰まで落ちてくる。

 息を詰め、目をつぶった。

 今は何より、こいつらに信用させることが重要だ。一緒にマワジへ赴き、動向を把握することが。

 俺の体には、価値なんてない。身の純潔を守ったところで、いったい誰に捧げるというのだ? 恋を失い、人の心を傷つけたこの身は、生きるにさえ値しない。

 しっかりと目を閉じ、覚悟を決めた。





 「その手を離せ!」


 雷のような大音声が轟いた。俺の服を剥ごうとしていた男が、軽く2~3メートルほど吹っ飛んだ。

 そこに、シャルキュ太守がいた。屠殺屋と呼ばれている男が、怒りを滾らせて仁王立ちしている。


「あんたらは、キャプテン・アガの親衛隊だから、これ以上の制裁は加えない。だが、人のものに手を出すとは、許しがたい蛮行だ」

「この少年は、自分は太守のものではないと言ったぞ」

 最後まで慎重だった男が不満そうに口を尖らせた。

「俺の物だと誰が言った!」

再び割れ鐘のような声が轟く。

は、大切な預かり者だ。外国アンゲルの協力者からのな。大切な預かり者をキズモノにするなんざ、お前ら、俺の名誉に傷をつけるつもりか?」


 吹っ飛ばされたオマリーが立ち上がった。口の端に垂れた血を袖で拭う。

 しかし、彼も逆らうことはしなかった。エイクレの「屠殺屋」に逆らう勇気のある者は、誰もいない。

 一座の男たちは互いに顔を見合し、気まずそうにその場を立ち去って行った。



 「この大馬鹿者が! 不用心にもほどがある!」

広間から人がいなくなると、シャルキュの怒りは俺に向けられた。


「太守、あんたは部屋にひきとったのでは?」

 舞姫と共に彼が部屋を出て行ったのは、ついさっきのことだ。


 ……もう少しであいつらの仲間になれたのに。

 思わずふくれっ面になる。

 シャルキュは激昂した。


「こんな時に女とよろしくやってられるか! いったいお前は、何を考えているんだ? そんなひらひらした布だけで宴会場に現れるなんて! 変だと思ったのだ。いいか。あれは、アガの部隊でも指折りの荒くれどもだぞ。それなのに、酒瓶片手に全裸で近寄っていくとは!」

「全裸ではない」

「見えそうで見えないのは、全裸よりまだ悪いぞ!」


 ますます怒り狂っている。

 俺は、声のトーンを下げた。


「マワジに行きたかったのだ」

「マワジ?」

さすがに太守は驚いたようだった。

「エドガルド、お前、まさか……」

「あいつらに、ユートパクス軍指揮官の暗殺を止めさせたかったっ!」


 叫ぶように吐き出すと、シャルキュは大きなため息をついた。


「そんなことだろうと思った。……で、どっちだ?」

「どっちとは?」


 シャルキュの意図がわからない。


「決まってる。お前の想い人だ。ワイズかユベールか?」

 全身の血が逆流する思いだった。

「違う!」

 咄嗟に否定する。


 屠畜屋の異名を持つシャルキュは、恐ろし気な眉を上げた。


「違わないだろ。気の毒なラルフ・リールは捨てられたわけだ」

「そもそもラルフとは、そんな関係じゃなかった!」

「ほう。あいつとは寝てないとでも?」


ぐっと言葉に詰まった。


「そうだろうそうだろう」

満足そうにシャルキュが頷いている。

、俺はお前の酒に月下麗催淫剤を混ぜておいたからな」

とんでもないことを明かす。

「お前がエイクレ要塞の青の間を使っていた時のことだ。心当たりはないか?」


 必死で俺は記憶を手繰る。青の間を使っていたのは、俺の死の少し前、オーディンに停戦を拒絶されてすぐの頃だ。


「媚薬だと? なぜそんなことを?」

「もちろん、つれないお前を強引に我が物にする為だ。ところがそこへ、外洋からラルフが帰って来てな。やつのお前へのあまりの執着ぶりに負けて、心優しい俺は、この千載一遇のチャンスを譲ってやることにしたのだ」


 すると、俺がラルフと関係を持ったのは、シャルキュのせい……。

 いや、全面的に彼のせいにはできない。

 当時の俺は、オーディンとの会見を経て、自分がシャルワーヌを失ったことを知ったばかりだった……。


「それなのにラルフの奴め、あっさり袖にされやがって。今のお前は、ユートパクスの将軍様に夢中だ」

 再び俺は息を詰まらせた。

「違う! 俺はただ、ユートパクスとタルキアの間に戦争を起こさせたくないだけだ。それはラルフの意志だから!」


 ラルフが結んだエ=アリュ講和条約を存続させるのは、俺から彼への、最後の奉仕だ。タルキアに戦闘の口実を与えるわけにはいかない。


「安心しろ。アガの親衛隊は、ユートパクスの将軍二人を暗殺しに行くだけだ。戦争を仕掛けにいくわけではない」

「同じことだ! 今、司令官を殺されたら、 ユートパクス軍は総崩れになり、収拾がつかなくなる。規律は乱れ、略奪に走る奴も出てくるかもしれない。そうなれば、タルキア軍進軍の、絶好の口実になるだろう?」


 だって最初から大宰相の狙いは、ユートパクス兵を捕虜にすることだ。残酷に拷問してから処刑し、今までの仕返しをしたがっている……。


 感心したようにシャルキュが頷いた。


「なるほど。そういう考え方もあるな。だが全ては神の御心だ。お前が思い煩う必要はない」

「戦争はダメなんだ! エ=アリュ講和条約は守られなければならない!」


 ラルフの為に。

 それなのに、みるみるシャルキュの顔が渋くなった。


「小難しいことばかり言うな。隠したって、俺には全部お見通しさ。暗殺の話を聞いてから、お前は変だった。めっきりと無口になり、人の話もろくに聞いていない。挙句の果ては、そのひらひらだ」

 目顔で俺の衣装を指し示す。

「舞姫に借りたんだってな。一番艶っぽい服を貸してくれと頼んだそうじゃないか」


 その時のことを思い出し、思わず両手で顔を覆った。

 驚いたような舞姫たちの顔。服を渡してくれた時の意味ありげな含み笑い。立ち去る背後に聞こえた、華やかな励ましの声。


「考えてみれば、そもそもの初めからおかしかったのだ。亡命貴族のお前が、ユートパクス軍を捕虜にすることに反対するなんて」

「だからそれは、ラルフがそう考えたからで……、」

「ラルフ・リールは変人だからいいのだ。平和だか架け橋だか、あいつの考えていることは理解しがたい。だがお前は違った、エドガルド。お前は敵味方をしっかりと弁え、祖国であるにもかかわらず、決してユートパクス軍に肩入れすることはなかった。いつだってタルキア軍にとって最良の道を選んだ」


 エイクレ要塞防衛戦のことを言っているのだ。

 なかなかタルキア兵の信頼が得られず、俺は焦っていた。あまりよい指揮官ではなかったと思う。おまけに、戦闘の途中で死んでしまったし。

 ダメな戦闘員だった俺のことを、シャルキュ太守はそんな風に思ってくれていたのか。


「皇帝に休戦を直訴しに来たというから変だと思ったのだ。ユートパクス軍を完膚なきまでに叩きのめす絶好の機会だというのに、それをフイにするような進言をしにきたなんて。だがユートパクス軍の中にお前の想い人がいると考えると、全てがきれいに治まる。お前はそいつを救うために皇帝の元を訪れたのだ」


 息を求め、喘いだ。

 まさか、俺はそのように考えていたのか? シャルワーヌを残虐なタルキア軍の捕虜にしたくないと、最初から俺は……。

 だからラルフを説得して、タルキアの都ティオンへ赴いた……。


「ワイズか?」

 シャルキュは言って、俺の顔色を窺った。

「なるほど。ユベールか。長らく上ザイードの奥地に入り込んでいた方だ」


 懐かしい名前を聞いて心臓が跳ねた。自分の感情に動転し、必死で押し隠す。


「違う。俺はラルフの結んだエ=アリュ講和条約を反古にしたくなかったから、だから……」


 ラルフの功績を守りたい。

 その気持ちに嘘偽りはない。


「それならなぜ、暗殺隊と行動を共にしたいと望むのだ? その身を差し出してまで」

 答えられない。

「自分を犠牲にして、彼らの仲間となり、お前は何をしようとしたのか」


 追い詰められたのを感じた。

 自分に対して、認めるしかない。

 少なくとも俺は、暗殺を止めようとした。シャルワーヌを殺させまいとした。

 けれどそれは、亡命貴族のエドガルド・フェリシンとして、正しい行いか?


 だってシャルワーヌは敵将だ。オーディン・マークスに絶対の忠誠を誓っている危険人物でもある。

 そして俺は、もう二度と、彼に近づかない。そう決意したばかりではないか。


 暗殺部隊が必ずしも成功するとは限らない。それに、シャルワーヌを守るのは、オーディンの仕事だ。オーディンは既に帰国したとか、そういうことは関係ない。ならば、彼の残した軍が、自分たちの将軍シャルワーヌを守ればよいのだ。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る