異国の港町


 南国の港町は色彩が豊かだった。

 バザールは活気があった。道路にまではみ出した露台には衣類や陶器、硝子、それに食べ物まで、鮮やかな色の品物が所狭しと並んでいる。


 目立たぬ服装を俺は配慮した。原色ばかりの中では、青白い肌と薄い色味の髪を持つウテナ人の少年は、逆に人目を惹きかねない。クーフィーヤ(頭に掛ける布。紐をはめ込んでまとめる)で髪を隠し、ゆるやかな衣で全身を覆った。


 さすがにラルフも軍服姿ではなかった。彼もまた、地元の白い長衣カンドゥーラを身にまとっている。ただ、首元に巻いたスカーフが問題だった。凝った織地なのだが、赤を基調とした派手な色使いなのだ。長身の金髪碧眼にくるぶしまである白の長い衣、その首に赤い布を巻いていたら目立たないわけがない。


 俺の目線に気づいたのか、ラルフが得意げに首元のスカーフの説明を始めた。

「これはシャルキュ太守から貰ったんだ。ほら、サッシュだよ」


 なんと、軍功を讃えて、タルキアの太守から与えられたサッシュ(儀礼的に用いるリボンや帯。体に斜めにかけたりして用いる)だった。


「縁起を担いだおしゃれをしてきたんだ。シャルキュ太守は、俺達のキューピッドだからな」


 シャルキュ太守は、エイクレ要塞の司令官だ。オーディン・マークスに爆撃された要塞は、今は完全に復旧したという。


「キューピッド?」

「ほら。彼の宮殿の青の間で、俺達は初めて……最初で最後だったけど……結ばれたんだったよな」

「ラルフ!」

「気の利くシャルキュ太守が香油を用意してくれてて」

「しっ!」


 飛び上がって俺は、彼を黙らせた。

 まだ日も高い。アンゲル語が理解できるとは思わないけど、周囲にはたくさんの現地の人々がいる。

 特にタルキア人は、性的な話に厳格なのだ。彼らにとって、同性間のそれは、罪ですらある。


「大丈夫だ」

だらしなく締まりのない顔で、ラルフがにやにやしている。

「これだけ人が多いんだ。誰も俺達のことなんか見ちゃいないさ」

「君は気楽でいいな」

「それだけが取り柄だからね」


 黒檀色やコーヒー色の肌に混じって、ウアロジア大陸の人間の姿もちらほら見えた。彼らにはアンゲル語も理解できるかもしれない。しかし白い肌の客達は皆、真剣に手元の商品を見比べ、売り手と商談している。確かに、他人のことなどどうでもよさそうだ。


 季節は冬、乾季に入っていて比較的涼しく、過ごしやすい。爽やかな風が濃い緑の木々の梢を通り、街中まで吹き込んでくる。


「温度は結構あるけど、乾燥しているから気持ちがいい」

俺がつぶやくと、不意にラルフが立ち止まった。

「喉が渇かないか?」

「うん? それほどでも」

「水分は早めに補給しないと。喉が渇いてからでは遅すぎる。ちょっと待ってろ」

「あ、おい、ラルフ……」


 呼び止める間もなく、彼は走り去っていってしまった。


 一人残され、所在ないまま、出店を覗く。色彩の洪水に圧倒された。色味の薄いウテナ人には、全く目の回るようだ。


 ふと、人工的な色彩を吸い込むような、静かな一角があった。太陽の光だけが白く満ち溢れている。

 荷車が止められていた。荷台いっぱいに、大きな丸い、野菜のようなものが積まれている。真ん丸ではなく縦長の球体で、とにかくばかでかい。


 シンプルな自然の緑が目に優しくて、ついじっと見てしまう。すると、荷台の脇にいた男が手招きした。荷台から、緑色の球体をひとつ、両手で下ろす。


「……え?」

 好奇心に負けて近づくと、腰のあたりからいきなり、牛刀を取り出した。

「うわっ!」

「見てろよ。血のように赤い」


 タルキア語で、そんな物騒なことを言う。

 けれど、男は笑っていた。牛刀も錆びだらけで、武器として通用する代物ではない。

 まな板の上に置いた球体に、男は刃物を当てた。大して力を入れるまでもなく、球はぱかんと真っ二つ割れた。

 中から、言葉通り、真っ赤な果肉が現れた。転々と並んでいる黒い粒は種だろう。半分をまた半分に割り、さくさくと三角形に切り分けていく。


「ほら」

中の一つを取り上げ、差し出してきた。

「くれるの?」

 貰ってもいいのだろうか。

「食え」

「え?」

「そのままではじき、倒れるぞ」


 自分では気づかなかったが、脱水症の一歩手前だったらしい。倒れたら大変だ。楽しいデートがフイになる。ラルフもがっかりするだろう。


 赤い三角形を受け取り、恐る恐るてっぺんに歯を立ててみる。口いっぱいに甘い水が広がった。


「あまい……」

「カルプだ」

「カルプ?」


 果物の一種だろう。赤い果肉は、ほぼすべて甘い水だ。


「うまかろう?」

「うん」

「こんなの、俺の畑にごろごろしてるぞ」


 自覚はなかったけど、喉が渇いていたようだ。むさぼるように俺は、三角形に切り分けられたカルプを平らげた。


 「エドガルド!」

 大声がした。どこからか駆けてきたラルフが、俺の手から皮だけになった果物を取り上げる。

「ダメじゃないか。知らない人から貰った物を食べたりしたら」

そんな失礼なことを言う。

「この人はいい人だよ。俺の具合が悪そうだったから、助けてくれたんだ」


 タルキア語で言うと、そうそう、とばかりに、男が頷く。


「なあ、坊や。さっきも言ったろ。俺の畑にからは、水気たっぷりのカルプが大量に採れる。もし一緒に来たかったら……」

「ダメだ」

皆まで言わせず、ラルフが一刀両断した。

「何言ってんだ、あんた。失敬な。この子はだぞ。ほら、代金」

強引にコインを握らせる。

「アンゲル人か。ちっ」

小さな舌打ちが聞こえた。


 肘で俺の肩の辺りを押すようにして、ラルフは歩き始めた。彼は両手に、子どもの頭位の大きさの実を、二つ持っていた。実は、麻糸のような繊維で覆われている。


 「水なら俺が持ってきたのに」

 持っていた一つを差し出す。尖ったてっぺんには、葦の茎が尽き刺してある。

「何、これ?」

「パルマの実だよ。こうやって飲むんだ」


 自分の分の葦を、ラルフはちゅうちゅうと吸った。かなり力を入れて吸っているようだ。

 つられて俺も、渡された実に刺された葦を吸ってみた。思ったほど力は要らず、すぐに水が口の中に入ってきた。

 申し分なく甘い水だった。だが、さきほどのカルプがあまりにも甘くて水気たっぷりだったせいで、パルマの方は、少し、なんというか、生臭く感じた。


「うまいか?」

「うん」


 それでも、せっかく持ってきてくれたのだ、ラルフに聞かれて、頷いた。


「うむ。俺のはあまり甘くない。騙されたかな。エドガルド、君のをくれ」

 言うなり、返事も待たずにひったくった。

「あ、それ……」


 取り返そうとしたが、難なく躱されてしまった。一瞬のためらいもなく、ラルフは葦の茎に口をつける。俺が吸っていた葦だ。


「うむ。うまい。エドガルドの味がする」

「何言ってんだよ……」


 俺は変な病気は持っていない。だがこれは、あまりに無防備ではないか? つまり、一般的に見て、だ。他人が口をつけたものを咥えるなんて。


 ちらり。

 ラルフが流し目を寄こした。


「自分だけいい思いをしたらいけないな。はい、交換」


 手に持ったパルマを俺に返し、ラルフは自分の分を取り戻した。片手で持って、吸い始める。

 手元に返ってきたパルマに、俺は目を落とした。ラルフが吸った葦の茎……。

 病気の心配をしていたわけではない。つまりこれは、間接キスってやつだよな。前世のあれやこれやを思うと今さらだが、ジウとしては、俺とラルフの間には何もない。そういえば、彼とはキスさえしていなかったと、唐突に思い至った。


「いらないの?」


 ラルフが尋ねた。ひどく優しい声だった。

 首を横に振り、俺は葦の茎の先端に口をつけた。


 「なあ、ラルフ。あの緑の縞々の果物……カルプっていうそうだけど」

 パルマの実を吸いながら俺は切り出した。

「あれ、大量に買い付けられないかな」

「ダメだ。君に色目を使うような商人の物なんか、誰が買うか」

「色目?」

「一緒に来いって言ってたじゃないか」

「そうだっけ?」


全く心当たりがない。


「そうだよ! ほんとに君は無防備なんだから」

ラルフは怒り心頭だ。

「あの人は商人じゃないよ。農家の人だよ。彼の畑には、カルプがごろごろしてるんだって」

「おい、エドガルド。まさか農家の生活に靡いたなんて言うわけじゃなかろうな……」

 ラルフが泣きそうな顔をしている。

「殺伐とした戦闘ばかりだものな、俺といたら。君が、穏やかなシンプルライフに憧れる気持ちもわかるけど……」

「君こそ、下らないこと言うなよ」


 むっとして言い返した。だって俺は、骨の髄まで軍人だ


「そんなに大量に収穫できる果物なら、軍の籠城や遠征の時に使えないかと思ったんだ。いつも水源の確保が大問題になるだろう?」

 包囲した要塞の近辺に水場がなければ、水の調達に大変な労力を強いられる。また、籠城した城内の水が枯渇したら、降伏するしかない。

「あの果物を持って行けばいいと思って。あるいは、戦場近くにカルプの畑を確保するとか」


「エドガルド……」

呆れた声が降ってきた。

「今日は、軍や戦争の話はナシだ。俺達は羽を伸ばしに来たんだ。完全オフ! いいか、任務のことを考えたらダメだ。プライベートな一日にしよう。なんたって、デートなんだからな!」








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