それをデートという
シャルワーヌを乗せた小舟が、リオン号を離れていく。小さな舟を波が大きく揺らし、空にはカモメが悲し気に鳴きながら飛び交っている……。
いいや。
この情景は想像だ。俺は、船室から出なかったのだから。
「ここにいたのか、エドガルド」
ノックもせずにラルフが入ってきた。
「ユベール将軍は行っちゃったぞ? 見送らなくてよかったのか?」
「なぜ俺が、あんなやつの見送りをしなくちゃならない?」
怒りを込めてラルフを睨みつける。いや、ラルフはちっとも悪くないんだけど。
仔細ありげにラルフは首を傾げた。
「ルグランのやつが、君が落ち込んでるって言うから」
「落ち込んでなんかいない!」
「
「人が多すぎて、部屋が暑かったんだ!」
「ならいいんだ」
ラルフは満足そうに笑った。屈託のない、幸せそうな笑顔だ。見る者まで幸福にするような……。
「なあ、ラルフ」
聞いておかなくてはならないことがあった。たとえ、彼の笑顔が曇ることになろうとも。
「なぜシャルワーヌと同盟なんか結んだんだ?」
「同盟?」
「ほら。俺に手を出さないという……」
紳士同盟なんて、恥ずかしくて言えない。
「ああ!」
案の定、途端にラルフの顔が歪んだ。
「あのくそ野郎、放っておいたら、君に手を出し放題だからな」
「そんなの、君が止めればいいだろ? 俺は君の船にいるんだ。シャルワーヌを乗船させなければいいだけの話だろう?」
前世の俺とシャルワーヌの関係について、ラルフが何を知っているのか知りたかった。それが、ラルフがシャルワーヌと同盟を結んだ理由であるはずだ。
「いいか、エドガルド。あのシャルワーヌって男は、規格外だ。常識外れというか、常に人の思惑を超えたところを行く。ありとあらゆる予防線を張っておくのに越したことはない。紳士同盟は悪い選択ではないと思うよ」
その表情はいつものように飄々としていて、深い考えなどありそうもない。しかし……。
「なんだか君は、シャルワーヌと自分自身を同じ条件に置いているように見える。つまり、俺に関して」
「どういうことだ?」
「ラルフ。君は俺の恋人だ。そしてシャルワーヌはそうではない」
ラルフは嬉しそうに頷いた。彼には言えないが、シャルワーヌ自身の告白によると、あの男は俺を強姦しただけだ。
「そんな男と『同盟』を結ぶなんて。君らしくないぞ。何度でも言う。俺の恋人は、ラルフ、君だけだ。前世からずっと」
「その通りだ」
変に生真面目な顔になって、ラルフが近寄って来た。俺を抱き寄せようとする腕を、すんでのところで掻い潜った。空気だけを抱きしめ、ラルフは顔を顰めた。
「何か知ってるんだろう?」
大きく息を吸って、俺は尋ねた。
「何かって?」
「前世の俺は、シャルワーヌとの関係について、君に話したのだろう?」
強姦されたこととか?
シャルワーヌの言った双方向の愛、という言葉が気になっていた。前世で、万が一にも俺が彼を愛していた可能性はあるのだろうか。ラルフの前に、たとえ、ほんの一時でも。
「いいや。なにも」
あっさりとラルフが否定する。
「本当に?」
「本当に。あのな、エドガルド。俺がユベール将軍と同盟を結んだのは、君の体がジウだからだ。ジウ王子はユートパクス軍の捕虜で、彼の保護下に置かれていたからな。ジウ王子に関しては、彼の権利を認めてやってもいい」
「そういうことか!」
ぱっと憂いが晴れた思いだった。
「それだけだよ」
優しい目でラルフが言う。その瞳は青く澄んでいた。
双方向性の愛、シャルワーヌへの恋心、などという奇怪なものが否定されて、俺は心の底から安堵した。
そうだ。
俺の恋人はラルフだけだ。
立ち上がり、ラルフは紅茶を淹れ始めた。湯を沸かし、アンゲルから持ち込んだご自慢の茶葉を蒸らしている。
香しい湯気の上がる白磁のカップを、彼はそっと俺の前に置いた。
「どうだ? 気晴らしにイスケンデルへ上陸してみるか?」
イスケンデルは、メドレオン海に面した港町だ。ルビン河の河口でもあり、遡れば首都マワジ、そして、上ザイードに通じている。
「ユートパクス軍とタルキア軍の間には、和平が結ばれたことだし。俺の尽力で。少しは羽を伸ばしてもいいんじゃないかと思ってな」
洋上でのエ=アリュ講和条約のことだ。アンゲル人のラルフの仲介の元、ユートパクスとタルキアは講和を結んだ。
つまり、暫くは戦争はないということだ。
「だが君は船を離れていいのか、ラルフ?」
「うん。俺にも気晴らしは必要だ。なあ、エドガルド。一緒にイスケンデルの町を歩こう。珍しい果物を食べたり、バザールで民芸品を冷かしたり、楽しいことがいっぱいあるぞ?」
「……いいね」
口では言ったものの、今一つ、気乗りがしない。
シャルワーヌがオーディンの元へ帰っていく。そんな時に、楽しい街歩きなんかできるものだろうか。船に残って、オーディン・マークス追撃の作戦でも練っていた方が時間を有効に使えるのでは?
「よし、決まりだ!」
ラルフがぽん、と手を打った。
「明日、船を降りよう。善は急げだ」
「ルグランや
小さな少年たちには、またとない休日になるだろう。買い食いしすぎて、お腹を壊さなければいいのだが。
ラルフが目を丸くした。
「ルグラン? ミッドシップメン? 何を言ってるんだ? 2人だけ行くんだよ、エドガルド。君と俺! 2人きりで!」
◇
「イスケンデルへ上陸されるんですってね」
翌朝、支度を終えて船室を出ると、副官のラビックが通りかかった。にこにこしている。
「バザールへ行くんだ。珍しい物がいっぱいあるんだって。君も来るか、ラビック?」
「とんでもない!」
途端に顔色を変え、ラビックは首と両手を横に振った。
「フェリシン大佐とリール代将とのデートに割り込むような、そんな無粋な真似はできません」
「ずっと海の上にいたんだ。君だって陸を散策したかろう。遠慮しなくていいんだぞ。……ん?」
今、なんか変なワードが紛れてなかったか?
「デートって言ったか? 誰と? 誰が?」
「だから、大佐とリール代将です」
俺は呆れた。これは、留守番組の僻みに違いない。
「いったい誰がそんなことを?」
「昨日からリール代将があちこちで言い回ってますよ」
「……」
「デートじゃないんですか?」
改めてラビックが問う。生真面目な副官は、心配そうな顔をしていた。
「もしかして、視察とか?」
「いや、個人的な外出であることに変わりはない……」
考えてみれば、ラルフと二人きりで遊びに出かけたことなど、前世含め、今まで一度もなかった。いつも戦争中だったし、そもそも前世の俺は、亡命貴族だ。人目につく場所に出るなど、とんでもないことだった。
確かに俺とラルフは恋人同士だ。でも、彼と外出することを「デート」と呼んでもいいものだろうか。
ユートパクスの亡命貴族とアンゲル海軍将校。今はウテナの王子の体を貰ったが、中身は王党派であることに変わりはない。「デート」という言葉の浮き浮きした雰囲気が、なんだかとても気恥ずかしい。第一、デートって、何をするものなのだ? バザールを見て回ることがデートなのか。
ラビックが、慈愛深げな目をしている。
「それをデートっていうんです。恋人同士が一緒に出掛けることをね。それとも……」
俄かに表情が曇った。
「大佐には、他にデートしたい人がいらっしゃるんですか? リール代将以外に」
「いるもんか!」
即座に答えた。迷いなどない。ラルフは、前世からの恋人だ。
「よかった」
ほっとしたようにラビックが笑った。
「なら、楽しんでらっしゃい。お邪魔はしませんから」
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