砂漠の戦闘

※ジウ(エドガルド)とシャルワーヌ目線が交互に入ります。ジウ的には「さよなら、提督」の直後です

 ◇で切り替わります

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 欲望を掻き立てられるだけ掻き立てた後、シャルワーヌは部屋を出て行った。

 ぼろきれのように投げ出され、独りぼっちになった俺の目から、大量の涙が溢れ出した。

 涙はびっくりするくらい、後から後から流れ、クッションを濡らした。


 頭が痛くなった。じんじんと頭全体が揉まれるようだ。焼け付くように喉が渇くが、無気力に陥っていて、水を飲む気力さえ出ない。頭痛はますますひどくなり、眩暈と吐き気を覚えた。

 赤く腫れた顔をクッションに埋め、意識を失った。


 どれくらいそうしていたのか。


 目を覚ました時、空っぽの胸に、なにか、とてつもない喪失感を抱えていた。涙に濡れた頬にクッションの繊維がちくちくと痛い。


 喪失感の底から、次第に怒りが湧いてきた。

 なんだというのだ。

 あのシャルワーヌは。

 なぜキスなどしたのだ。


 キスには、何の必然性もなかった。彼が俺に愛情を持っていたなんてありえない。というか、あれは、愛を伝えるキスなどではなかった。

 ただ俺を辱め、痛めつける行為であったとしか思えない。


 ……痛めつける為の?


 惨めな気持ちでよろよろと立ち上がり、そして、悟った。

 兵を引き連れ、シャルワーヌは出陣した。

 ここを抜け出す、絶好のチャンスではないか。

 ラルフの指定した二度目の満月まで、そう遠くはない。ためらっている時間はない。猶予はあまり残されていない。


 床板を外し、イサク・ベルから貰った剣を取り出した。これは持って行こう。


 床から顔を上げた時、柔らかな色が目に入った。

 低い椅子の上に、カシミヤが畳んで置かれていた。シャルワーヌがくれたストール。アソムに、だ。


 彼の屋敷から、何かを持ち出すのは嫌だった。しかし、なら、構わないだろう。

 別に、記念にとか、贈り物だから、とか、そんなんじゃない。くどいようだが、アソムが貰ったものだし。

 屋敷の外に出れば金が必要だ。このカシミヤは、高価な物らしい。売れば、金になるだろう。


 剣とストールを袋に詰め、俺は、部屋を抜け出した。





 ジウ(シャルワーヌはそれがエドガルドであることを疑わなかった。けれど、かつてあったジウという少年を消し去ることは、彼にはできなかった)の言ったことは正しかった。


 ジウの言葉を信じ、戦闘経験のないラクダ部隊の出動は取り止め、軍の騎馬隊を率いて出陣した。僅か数騎の精鋭部隊だ。


 丘を越えるか越えないうちに、大きな刀を振り上げ、ムメール族が襲い掛かってきた。一瞬も怯まず、騎兵たちは馬を走らせる。

 少数の騎馬隊であったが、敵の騎馬軍は押され気味だった。


 味方の劣勢を見極めたのか。向こうの丘の上に、突如それは姿を現わした。

 大砲だ。5基ある。

 いずれも、ゆっくりと砲首を下げ、ユートパクス軍に照準を合わせている。


「一発も撃たせるな。続け!」


 シャルワーヌは叫び、軍の先頭で馬を走らせた。

 慣れない大型武器の扱いに、敵は手間取っているようだった。それでも訓練を続けてきたのだろう、耳を弄する轟音が砂漠に響き渡った。


 臆病な馬が前足で立ち上がる。馬が逃げ出そうとするのを、シャルワーヌは許さなかった。強引に抑えつける。


 今の砲撃で、騎馬軍は、シャルワーヌの他たった3騎になっていた。

 残った部下を引き連れ、さらに馬を走らせる。


 砲首を下げ、2基目の大砲から、放火が放たれようとしていた。あれが近くで炸裂したら、自分を含め、麾下の3騎は全滅だ。


「まだか!」

シャルワーヌは叫んだ。


 その時、丘の上に赤い業火が炸裂した。敵の大砲が粉々に砕け飛ぶ。

 続いて、もう一発。

 ユートパクスの砲撃隊だ。丘を迂回し、敵の背後に回ったのだ。


 「砂漠に零れているムメールの騎馬軍は、俺らが殲滅するぞ!」


 補佐官のブルースが吠えた。彼の右腕からは、血が流れている。突撃を続ける彼は、痛みさえ感じていないようだ。

 ブルースの宣言通り、シャルワーヌ麾下3騎は、ムメール騎馬隊を蹴散らした。




 「知らない。アンゲルのやつなんて」

 ふい、と、イサク・ベルは横を向いた。


 大砲の後ろに布陣していたムメール族の首領イサク・ベルは、攻め込んで来たユートパクス軍に捕えられていた。


「知らないわけがないだろう!」

砲兵隊長が威嚇する。

「この大砲は、アンゲル製だ」


「お前らが粉々に打ち壊してくれたがな」

「なんだと!」

「せっかく運んできた大砲を、お前らが滅茶苦茶にした。神の怒りを買うぞ」

「言うに事欠いて……この蛮族が!」


「まあ待て」

シャルワーヌが割って入った。

「あんたか」


 それまで余裕あり気で、どこかこの状況を楽しんでいる様子さえ見せていたイサクの態度が一変した。

 不快そうに眉を寄せている。


「何か言いたいことがあるのか。俺はあんたの持ち物に手を出した覚えはないぞ」

「出したじゃないか」


 ぼそりとシャルワーヌ。

 イサクが首を傾げる。


「あれは、あんたの持ち物か?」

「……いや、違う」


イサクの顔に、冷笑が浮かんだ。


「あんたこそ、俺の妾を奪いやがったじゃないか」

「妾だと?」


 傷のある顔に憤怒の気配が立ち上る。

 イサクは肩を竦めた。


「先に手を出した方が勝ちだ」

「手を出したのか!」


 ひと睨みでイサクを射殺しそうな勢いだ。だが、肌の色の違う男の怒りにも、イサクは全く動じない。


「何もしていないと言ったろう? 手紙を渡したはずだ」

「……確かに貰った。本人から証言も得た」


 小さい声で、シャルワーヌは応じた。

 傍らでは、砲兵隊長を始め、同行してきた諸将らが戸惑っている。彼らには、何の話かさっぱりわからなかった。

 小さな咳ばらいを一つ、シャルワーヌはした。


「話を元に戻そう。ラルフ・リールを知ってるな? アンゲル海軍代将の」

「ラルフ・リール? 知らんなあ。聞いたこともない」

平然と、年下の男は嘯いた。


「……将軍。時期が合わないでしょ。こいつらは、上ザイードにリール代将が来るもっとずっと前から、大砲を所持していたようです」

 砲兵隊長が囁いた。彼は、大砲の側にいたムメール兵から、大砲の手入れや訓練方法などを聞き出していた。

「大砲を扱えるようになるには、時間がかかります。リール代将から大砲を受け取ったとしても、そうそう早く砲撃できるようにはなりませんよ」


「わかってる」

 仕方なく、シャルワーヌは頷いた。


 砲兵隊長は再び、イサクに向き直った。さっぱり頼りにならない上官に代わって、尋問する。


「アンゲル製の大砲だぞ? いったいどこで手に入れたんだ?」

「皇帝から貰ったのだ」

あっさりとイサクが答える。

「皇帝?」

「偉大なる太陽の覇者、タルキア皇帝だ」

「……」


 ユートパクスの将校らは顔を見合わせた。


「聖地巡礼に出掛けた際、ありがたくも下賜頂いたのだ。これを使って、悪魔の手先どもユートパクス軍を叩き潰せ、と」

誇らしげに、イサクは言い放った。


「ラルフ・リールだ!」

 シャルワーヌが飛び上がった。

「タルキア宮廷と繋がりがあるのは、あいつだけだ。それにやつは、総司令官オーディン・マークスのタルキア遠征の際、せっせと、タルキア軍に武器を供給していやがった。アンゲルのフリゲート艦で! くそう。やっぱりあいつだ! あいつ、俺の邪魔ばっかしやがって!」


すっかり我を失っているように見える。


 「将軍。シャルワーヌ将軍」


 再び、部下の将校が諫めた。

 はっと、シャルワーヌは我に返った。


「そうだ。イサク・ベル。俺はお前に、ちょっとした提案があるのだが」

「わかってる。捕虜になれというのだろう? だが俺は、少年と呼ぶには年を喰い過ぎているように思うぞ」


 ……品位ある侵略者。公正な配分者。

 ユートパクスの総督の高貴な度量の深さを褒め称える一方で、砂漠の民は、シャルワーヌ・ユベールの良からぬ性癖についての伝聞を拡げることを忘れなかった。

 噂は、砂漠をさ迷うイサク・ベルの耳にも入っていた。


「……違う!」


 食いしばった歯の間から、シャルワーヌが声を絞り出した。

 イサクは嘲笑った。


「お前の家へ行くのなら、あの妾は俺のものだな。何といっても、早い者勝ちだから。どうせお前はまだ、愚図愚図しているのだろう?」

「ダメだ!」


 シャルワーヌは歯噛みした。大きく呼吸を繰り返し、危ういところでイサク・ベルの挑発を回避する。


「そうじゃなく……この国の未来の話だ」

「未来?」

「上ザイードの未来についてだよ。聞く気はあるのか」

「よかろう。詳しく話せ」


イサク・ベイは、ゆったりと後ろのクッションに寄りかかった。





 砂山の向こうで聞こえていた、ぞっとするような砲弾の音が止んだ。

 シャルワーヌはやはり、大砲を持って行ったのだ。俺の言うことを信じてくれた。彼の持って行ったのは、オーディン・マークスに押し付けられた榴弾砲かもしれないけど。


 ラルフも言っていたけど、シャルワーヌは、オーディンに忠実過ぎる。彼の言うことなら、何でも聞く。


 総司令官の指令を聞くことは、規律を守る上で必須だということはわかっている。

 それにしても、シャルワーヌの場合は極端すぎる。彼は自分の命さえ、オーディンに捧げかねない。ケビール大王、現地人の言うところの、悪魔に。


 ひどく心がささくれだっていた。シャルワーヌの、オーディンへの行き過ぎた忠誠を考えると、俺はいつも平常心を失ってしまう。なぜなのか、自分でもわからない。


 足音を忍ばせ、内庭に降りる。ムメール族との戦闘に出掛けたのだろう、庭に人の気配はない。


 少しだけ、罪悪感を感じた。ここでよく、剣の稽古をつけてもらった。ベリル将軍やサリなど、ユートパクスの将校達はとても良くしてくれた。

 彼らに一言の挨拶もなく、行ってしまうなんて。


 だが仕方がない。俺は王党派だ。王の為に戦う。これ以上、革命軍の禄を食むわけにはいかない。


 西棟の前にさしかかった。シャルワーヌのハーレムのある建物だ。

 ハーレム。でも、シャルワーヌが集めていたのは、性の奴隷じゃなく、戦士の卵だった。彼の品位を疑って、そこだけは、本当に悪かった。


 ……ん?

 ラルフは、シャルワーヌのハーレムを解放してもらったと言っていなかったか?

 それって……。


 ハーレムでは、伝令に来たラクダ部隊のラフィーしか、顔見知りはいない。シャルワーヌのハーレムなんて、積極的に近寄りたい場所ではないのだ。


 暑いので、その日は、窓が開け放しになっていた。開放的な部屋の中に、数人の美しい女性たちが思い思いに寛いでいるのが見えた。足を伸ばして座ったり、櫛で長い髪を梳いたり。


 ……女性?


 中の一人が、俺に気づいた。

「!」

 小さく何か叫び、窓に近づいてくる。俺より年下ではなかろうか。くりっとした瞳の、あどけない少女だ。


 ……こんな子どもまで!


 結局シャルワーヌは、オットル族の族長の捧げる女奴隷を受け取ったのだなと、俺は思った。族長の息子は、シャルワーヌには少年でないとダメだと言っていたが。


 ……女性。


 澄んだ眼差しで、少女は俺を見つめている。奴隷としてシャルワーヌに売られるまで、いったいどれほどの辛い思いを、彼女はしてきたことだろう。

 そして、ここ、シャルワーヌのハーレムでも……、


 ……くそっ、あの男!


「あげる」


 袋を開け、カシミヤを取り出した。

 高価なストールを押し付けられ、少女は目を丸くした。

 春色のストールは、彼女の方がふさわしいと思った。


 振り返らず、今度こそ本当に後ろを見ずに、俺はユートパクス軍の駐屯地を後にした。





 ムメール族との戦いに勝利し、帰陣したシャルワーヌは、ジウ王子が失踪したと知らされた。








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