内気な王子の遺したもの
ジウ王子はシャルワーヌに恋をしていた……。
これはもう、間違いのない事実に思われた。
シャルワーヌと一緒にいるときの、体の異変……かっと上がる体温、痛いほどの胸のときめき、頬の紅潮。
確かに、恐怖というには違和感があった。何より、体の底に感じる、あの甘さ。酸味にも近い、遠慮がちな甘さは、言われてみれば、確かに恋だ。
ひたむきな恋だったのだろう。しかし、報われた形跡はない。体もそうだが、彼の恋には、喜びが感じられない。
……ただひたすら、相手を想うだけの恋。
無私な思い。幼い、想像だけの愛撫。深窓で育った王子であるからこその、夢見がちな美しさだ。
可愛そうなジウ王子。内気な恋は報われぬまま、彼は魂を失った。残された体には、強い恋心だけが残った。
魂を失った体は、にもかかわらず、シャルワーヌを慕い続けた。
だから、俺は失敗したのだ。
無防備に眠っているシャルワーヌを、毒を塗った短剣で傷つけることができなかった。剣を持って舞いながら、その剣で、心臓を貫くことができなかった。この体に残存したジウ王子の恋心に妨げられて。
殺意を漲らせる俺への、必死の抵抗だったのだろう。それだけ、ジウの想いは強かった。俺の剣を鈍らせるほどに。
だが、相手はあの、シャルワーヌだ。
おとなしいプリンスの目に、どんなに頼もしく、大人に見えたとしても、所詮、シャルワーヌ・ユベールは裏切り者、革命政府の貴族将校だ。
この体の元の主が、どんなに恋い焦がれていようとも、俺は、彼を憎んでいる。
それなのにラルフは、おかしなことを言った。
……「シャルワーヌを殺そうなどとは、エドガルドは夢にも思っていなかったはずだぞ」
そんなことはない。俺は彼を殺したい。オーディン・マークスを殺す第一歩として。
それにラルフの言い方は、まるでエドガルドだった俺が、シャルワーヌを知っていたみたいじゃないか。
俺には、エドガルドだった頃の、シャルワーヌの記憶がない。
国境越えの際、革命軍国境警備のシャルワーヌ隊に見つかった辺りまでは覚えている。状況からみて、間違いなく彼らに捕縛されたはずだ。しばらく監禁されていたことと思う。だって俺は、一緒に国境を越えた同志たちと、最後まで合流できなかった。
次の記憶は、蜂起の鎮圧されたシュエル地方に飛ぶ。革命軍の蜂起鎮圧隊に捕えられた王党派の同志たちを救おうと、命がけで走り回っていた頃だ。
その過程で、俺はラルフと出会った。ようやく助け出した王党派の死刑囚達を、彼に託したことは、よく覚えている。
これは、稀な成功例だ。つまり、同志の救出に成功することは、滅多になかった。
シュエル地方では、敗れた王党派に対し、過酷な刑罰が処された。必死で活動したにもかかわらず、救えたのは、ほんのわずかだった。その時の無力感と、あまりに悲惨な同志たちの処刑に、記憶に混乱が生じているのだと思う。
そういえばエドガルドだった頃、ラルフと、シャルワーヌについて語り合った記憶もない。それだけではない。あの頃俺は、シャルワーヌのことなど、思い出しもしなかった。やっぱり、この男のことは、知らなかったんじゃなかろうか。
それにしても、なぜラルフは、シャルワーヌを知っているのだろう。海で戦っていたラルフが、敵の、国境警備の山岳部隊の隊長と知り合う機会などないはずなのに。
いずれにしろ、シャルワーヌの部隊に捕まったせいで、俺の活動は、著しく制約された。あのまま、同志達と国境を超えていたならば、もう少しマシな活動ができたはずだ。ひょっとして、蜂起軍勝利の目もあったかもしれない。
あるいは俺も、彼らと一緒に死んでいたかもしれないが。
国境警備隊が、なぜ俺を逃がしたかは、わからない。いや、ひょっとしたら、俺は、脱走に成功したのかもしれない。
きっとそうだ。
いずれにしろ、国境の山岳地帯で足止めされたことが問題だった。仲間とはぐれた俺は、思うように戦うことができず、それゆえ、司令官であるシャルワーヌに対する大きな憎しみが生まれた。
これは、ジウに転移してからのことだ。エドガルドだったころは、そこまで突き詰めて考える余裕がなかった。
エドガルドの時からずっと抱いているのは、ユートパクス革命軍、総司令官であるオーディン・マークスへの憎しみだ。士官学校の同窓生でもある彼は、敵のタルキア兵の中に俺を認めた。オーディンは砦を爆撃し、エドガルドだった俺を殺した。
シャルワーヌは、そのオーディンの有能な部下だ。遠征軍の第二司令官ともいわれている。彼自身も、オーディン・マークスに心酔している。
シャルワーヌへの殺意と憎しみは増すばかりだ。
あれからラルフには一度も会うこともなく、アンゲル軍は旅立っていった。
途中、砂漠の水場を案内するとかで、現地の有力者が同行した。水場の所有者に話をつける為だという。
ユートパクス兵もつけようというシャルワーヌの申し出を、ラルフは馬鹿丁寧に断っていた。
シャルワーヌがラルフを嫌うように、ラルフもシャルワーヌを嫌っているようだ。それでも、彼のことを高潔で有能と言い切ったラルフに、俺は矛盾を感じた。
月が2回、満ちるまで待つ、と、ラルフは言った。上ザイードからマワジまで、2週間はかかる。そこからうまくラルフの手下に会えたとして、マワジからイスケンデルの港までだって、何日かはかかるだろう。
あまり猶予はない。
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