のろけ? あてうま? プレイ?
宴は終わったらしく、辺りはしんと静まり返っていた。あちこちで、酒瓶を抱えた兵士達が、ユートパクス、アンゲル、両軍入り乱れて眠りこけている。かなりの無礼講だったようだ。
館を走り抜け、裏庭から別棟に回った。それが、「ハーレム」への一番の近道だ。
低い樹の茂みの前まで来た時だ。
「ジウ王子」
がさがさと木の葉を掻き分け、ラルフが出てきた。
剣舞の途中で俺は、アソムに連れ去られた。去り際のどさくさに紛れてラルフは、今夜の自分の居場所を知らせてきた。ハーレムと聞いて、アソムは露骨にいやな顔をしたが、疑いは全く持たなかった。
それはそうだろう。ジウ王子が、アンゲルの野蛮人と密会なんて! けれど、エドガルドだった俺は、強く彼を必要としていた。
……俺は、ダメになってしまったのかもしれない。
軍人として。王党派として。人間として!
……シャルワーヌを刺せなかった。ほんの少し、剣を進めることさえできなかった!
辺りには他に人影はなかった。二人きりで会えるよう、ラルフは人払いをしてくれたようだ。
暗がりの中、怪訝そうに首を傾げている。無理もない。彼は俺がエドガルドであることを知らない。
その胸に、一直線に飛び込んだ。
「ジウ王子。これはいったい……」
戸惑った声が上から降って来た。ますます強くラルフの胸に顔を擦りつける。
「罠か? どこかにシャルワーヌ将軍がいるとか?」
「違う!」
ラルフの胸の中で叫んだ。
「僕は、シャルワーヌを殺そうとした。でも、できなかった!」
「殺そうと……」
驚いた声だった。同時に肩をぐいと掴まれ、温かい胸から引き離された。
「どういうことだ。詳しく話せ」
たどたどしい口調で、俺は今までのことを話し始めた。但し、ジウ王子になってからのことだ。エドガルドからジウへの転移を話すことは、俺自身にとっても難易度が高すぎた。理路整然とラルフを説得できる気がしない。
ひどく感情的になっていた。悔しくて、自分が不甲斐なくて、地団駄踏んで泣きながら話した。
シャルワーヌに強い恐怖を感じていること。彼を殺そうと決意したこと。それなのに、貴重なチャンスを見逃してばかりいること。
「彼は僕に、自分の為に剣舞を舞えと言った。あの後……宴から連れ出された後で。チャンスだと思った。剣を持って、僕は舞った。そして貴方にしたように、彼に剣を付きつけ……」
低い声で、ラルフは笑い出した。
「何がおかしい」
むっとして問い返す。
笑みを残したままの声が返ってきた。
「君に彼は殺せないよ」
「なぜ!」
「だって……。だって君は、彼を愛しているのだろう?」
「…………………は?」
自分の耳が信じられなかった。シャルワーヌを愛している? この俺が? 王党派の敵を?
あり得ない。馬鹿も休み休み言って欲しい。
低く笑いつつ、ラルフは続けた。
「彼がそばにいると体が震える? 脈が増えて、胸が痛くなる? あと、何だっけ? 立っていられないくらい、ドキドキするとか! それって、恋の症状じゃないか。それも、よほど重症な」
「違う!」
即座に否定した。
「そんなわけ、ない!」
「さっきだって、彼が君を拉致した時、」
言いかけたラルフを思わず遮った。
「拉致?」
「浴布を掛けて、君を連れ出しに来た時さ。君はうっとりと彼の方へ顔を向け、連れ去ろうとする彼にしな垂れかかって、」
「しな垂れかかる?」
ぞっとした。俺はそんなことはしていない。
「うん。触れなば落ちんというか、完全陥落っていう感じだったな」
ラルフの言ってることが、さっぱりわからなかった。だって俺は、こんなにもシャルワーヌを憎んでいる。ユートパクスから王と神を取り上げた、革命軍の将校を!
「これは、のろけなのかな? 俺はいいアテ馬なのだろう。はいはい、ご馳走様。シャルワーヌ将軍は、あまりお勧めはできないがね。特に、純粋培養の君には。あの将軍は軽はずみで軽薄で、男も女も見境なく手を出すタイプだ。まあ、俺は、あんまり彼のことは知らないがね」
「僕は、純粋培養などでは……」
言いかけて絶句した。
ある可能性に思い至ったからだ。
そのど真ん中を、ラルフが衝いた。
「自覚したらどうだ? 君はシャルワーヌ将軍を愛しているんだよ、ジウ王子」
……ジウ王子!
ウテナで、大切に育てられたこのプリンスなら、その可能性もあったかもしれない。
捕虜にはされたけど、シャルワーヌは、厳しい気候や襲い来るムメール族から彼を護ってくれる総督だ。父王の名の元に、彼の身辺に気を配ってくれていた。若干挙動不審な面もあるが、世間知らずなプリンスにとって、充分おとなで、頼もしく見えても不思議ではない。
そうか。
ジウ王子は、シャルワーヌを愛していたのか。
淡い恋だったのだろう。けれど彼は真剣だった。純粋な、全身全霊の恋。刻み込まれた思いの深さが、ジウの魂の消えた後もこの体に遺され……。
「ジウ王子、君はシャルワーヌ将軍に剣を突き付けたというが、それは単なる剣舞の所作に過ぎない。俺にそうしたようにね。君はまさか、俺をつけ狙っているわけじゃなかろう?」
言いながらラルフがいたずらっぽい目をした。
大きく俺は、首を横に振る。
ラルフの口調は、小さい子どもを宥めるようだ。
「彼も気にしていないよ。俺が舞いの一部だと理解しているように、彼も演出だと認識しているに違いない。物陰であいつ、俺の前で踊っている君を見ていたからな。すごい目をしてたぞ。怖い怖い」
ぶつぶつとわけのわからないことをつぶやいてから、ラルフは続けた。
「そして、君だ。そもそも君にあったのは彼への愛で、殺意なんかではありえない。というか、なんだか当てられた気がする。それ、君らのプレイなんじゃないか?」
「プ、プレイ?」
「うん、プレイ」
けろりとしてラルフは言う。この男は、ちっとも変っていない。
「でもまあ、ちょうど良かった。俺も君に聞きたいことがある」
組んでいた腕を、ラルフは外した。
がらりと雰囲気が変わっていた。じろりと俺を見下ろす。冷たい、厳しい眼差しだ。
「ジウ王子。なぜ君は、彼を知っている? 君は、ウテナの王宮で、俗世界とは隔離されて育ったと聞いた。それなのになぜ、彼が俺と初めて会った時に口にした言葉を知っているのだ?」
今ここで転移の話をして、ラルフは信じてくれるだろうか。下手を打つと、彼の信頼を、永遠に失うことになりかねない。
じわりと俺は、前進した。
「その人は、僕の親しい友人でした」
「その人?」
さそうようにラルフが眉を上げる。意を決して、俺は誘いに乗った。
「エドガルド・フェリシンです」
「信じられない」
ラルフがつぶやいた。
「彼に、いつ、君と知り合う機会が? ウテナの王子に? 俺が、ユートパクスの牢に収監されていた時か?」
そこでラルフは声を改めた。
「エドガルドが死んだことは?」
「知っています」
「……なぜ、」
言いかけてラルフは言葉を切った。それきり、口をつぐんでいる。俺は何か疑わしいことを言ってしまったのだろうかと気になった。そろそろと駒を進める。
「僕は、あなたのことも良く知っています、
「そんなことは、調べればすぐわかる」
すげなくラルフは躱した。
さらに付け加える。
「あなたは、しぶとい紅茶派だ。ミルクと砂糖は多め。お茶は、カップからソーサーに注いで飲む。たとえ戦闘中でも、この習慣は変えない」
「部下の誰かから聞いたのだろう」
「初恋は、13歳の時。相手はご友人の妹で、」
「もういい」
ラルフは遮った。
「全てエドガルドが知っていたことばかりでしょ? 信じて下さい、ラルフ。僕と彼は、とても親しい関係にある」
だって俺の前世は、エドガルドだ。
「彼の意を汲んで、僕は、王党派として戦いたい」
驚いたように、ラルフは俺を見つめた。
「君は、王党派なのか?」
「もちろん」
間髪入れずに答えた。この瞬間、過去と現在が混じり合ってしまったことには、気がつかなかった。
ラルフが繰り返す。
「ウテナの王子は、王党派なのか」
しまった、と思った。もう夜明け近い。短い時間で、ラルフに転移の事実を信じさせられる自信がない。
だが、王党派であることを認めないと、話が進まない。
「王党派として、僕は、革命軍のシャルワーヌを殺したい。さらに、最高司令官のオーディン・マークスを」
ラルフの目が、大きく見開かれた。
「ちょっと待て。オーディンを殺すのは構わない。むしろ推奨する。だが、シャルワーヌを殺そうなどとは、エドガルドは夢にも思っていなかったはずだぞ」
「なぜ?」
「なぜ?」
ラルフの声が裏返った。咳ばらいをし、彼は喉を整えた。
「言いたくない」
「言いたくない? ですって?」
ラルフにも言いたくないことがあるのかと、不思議に思った。なんでもズケズケ言う男なのに。
そして今は、ラルフの慈悲に縋るしかない。
「アンゲルは対ユートパクス同盟に参加している。そしてあなたは、王党派の味方だ。お願いです、
「そこまで考えていたのか」
ラルフは爪の際の皮を毟っていた。彼が考え込んでいる時の癖だ。
「君がどうしても王党派として活動したいというのなら、俺に止める権利はない。ただ、俺は
上ザイードの港ハラルは、タルキアとの間を細く隔てる内海、ロゼミ海に面している。一方、ラルフの守備範囲は、北のメドレオン海だ。
ユートパクスの占領地を避けて、ここ上ザイードへ来るには、一度、タルキア帝国の港に上陸後、陸を横切り、ロゼミ海に出なくてはならない。ラルフ自身の船は使えない。
「だが、どうしても君がここを脱出したいと考えるなら、」
脱出、と言った。彼は、俺のシャルワーヌへの憎しみを理解していないのだろうか。王党派として戦いたいという気持ちを、信じてくれないのだろうか。
「ルビン河を下る船に乗るといい。上ザイードから定期的に
ラルフは部下の名を教えた。海賊だった頃の手下で、エドガルドだった前世でも顔見知りだ。マワジには、
「そいつと合流して、メドレオン海まで下っておいで。河口のイスケンデル港に来れば、俺の船が拾い上げる」
にもかかわらず彼は、港まで
「月が二度満ちるまで待とう。もし君に来る気があるのなら」
「行きます」
俺は即答した。
「シャルワーヌは殺さなくてもいいぞ」
笑みを含んだ声でラルフは揶揄した。
「彼は君の、
「違う!」
「むきになるな。言ったろう? シャルワーヌを殺す? エドガルドは望んでいないよ」
「なぜそんなことを!」
腹が立った。ラルフは、俺自身より、俺のことがわかるというのか。
問い詰められ、彼はそっぽを向いた。
「個人的には、俺はあの将軍が大嫌いだ。死んでくれたらいいとさえ思っている。それも苦しんで苦しんで、苦しみの果てに」
「……」
打って変わったどす黒さに、俺は息を呑んだ。まるで、深い怨念があるようだ。彼とシャルワーヌは、そんなに深い知り合いだったか? 聞いたことがない。二人の接点はなかったはずだが。
「だがまあ、俺も、彼に恨まれたくはない。その意味でも、俺の仕業だとわからないように、君を連れ出さねば」
ほくそ笑みつつ、ラルフは言い放つ。
「シャルワーヌは、高潔で有能な将軍だ。ユートパクス兵達の信頼も厚い。オーディン・マークスに太刀打ちできる者は、彼しかいないのだよ」
「なんですって!?」
青い目の闇色が濃くなった。
「考えてみれば、君を連れ去るというのは、案外、いい考えかもしれん。シャルワーヌの奴、さぞやがっくりくるだろう。あいつ、俺の一歩先を行きやがって。お陰でとうとう、欲しいものが手に入らなかった」
意味不明だった。
だが、追及している余裕はなかった。
オーディンに太刀打ち? シャルワーヌが!?
それを、このアンゲル海軍将校は目論んでいるというのか?
月の放つ今宵最後の光の下で、捉えどころのない微笑みを、ラルフは浮かべていた。
________________
※河と海、首都や港など、ちょっと入り組んでて申し訳ありません。地図を再掲しときますが、そこまで厳密にご理解戴く必要はありませんので、ご安心を。
https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330666143167794
茶色の矢印が、ラルフが来た行路(帰りも同じです)、
青のルビン河に沿って上へいくのが、彼が提案した、ジウの脱出ルートです。
緑で囲まれたザイード全域は全て、ユートパクス占領下です。アンゲル人のラルフは通行できません。
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