蛇のような冷たい目
◇
ムメール族のキャンプ地で、一番端のテントに俺は連れ込まれていた。周りには、俺をさらった男どもが下品な笑みを浮かべている。
……それをどうするつもりだ。
ずり下ろされたズボンから現れたものから目をそらせた。同じものを、俺も持っている。前世の記憶から、他人のそれの凶悪さはよく知っている。
別の男が、懐からナイフを取り出した。
「っ!」
大ぶりのそれで、腰まで裂けた衣服を、さらに下まで切り裂く。
ウテナの習慣で、下穿きを着けていた。現れた純白の衣類に、男は舌打ちをした。
「止めろ!」
無駄だと思っても叫ばずにはいられない。
男の両手が下穿きにかかった。俺の顔を覗き込んで、にやりと笑う。
……いやだ! シャルワーヌ将軍!
……だから、なぜここで、シャルワーヌ!?
俺の前で己の下半身を顕わにし始めた男と、それ以上に、わけのわからない自分自身の惑乱に、俺は激しく混乱した。
いきなり、太陽の光が射しこんだ。周囲にいた男たちが戸惑ったように目を瞬かせる。俺を犯そうとしていた男も、片手で目の上を覆った。
テントの入り口には、見知らぬ男が立ってた。
「*!」
何事か強く口にし、男は中に入ってきた。
男たちの間を進み、俺の前まで進んできた。胸に赤いやけどの跡を認め、不快そうに顔を顰めた。
「**」
声が落ちてきた。どうやら俺についてこいと言っているようだ。
俺を襲おうとしていた男達が恭順しているのを見ると、彼らの上の人間だとということがわかる。だが、こいつが味方かどうかわからない。というか、同じムメール族だ。味方であるわけがない。
動こうとしない俺の腕を、彼は掴んだ。強引に、腕力で立たせる。
思わずふらついた。
立ちつくす男たちの間を通り、テントの外に引きずり出された。
「痛いっ!」
腕を引かれる力の強さに耐えきれず、俺は思わず声を上げた。
「そうか。痛いか」
前を向いたまま、俺を引きずり出した男は言った。土着の言葉ではない。タルキア語だった。
「だが、あいつらは痛いどころではなかろうよ」
その時、屈強な男たちの一団がやってきた。手に手に剣を持っている。稽古でもするのか。彼らとすれ違う時、僅かに汗のにおいがした。
俺の腕を握る男の手に力が入った。
「くっ」
馬鹿にされるのが嫌で、痛みに堪える。
目に涙が浮かんできた。気を紛らわせようと、遠くに視線を飛ばした。色とりどりのテントが張られていた。深緑と紺色のテントの間からそれは見えた。
「……大砲?」
見えただけでも、四基、並んでいた。
「ブドウ弾砲だな」
男がつぶやく。そこだけアンゲル語だった。
アンゲル語……。ラルフ・リールが使っていたのと同じ言語だ。懐かしい、海賊。破天荒な男。
男は、アンゲル語の「大砲」が俺に通じたと思わなかったようだ。各国の王族が、教養として教え込まれるのはユートパクス語だ。ウテナの王子が、アンゲル語を習得する機会はない。ましてや砲弾の名称など、普通にしていたら知る筈もないのだから無理もない。
何事もなかったかのように、男は砂の上を歩き続けた。腕を掴む万力のような力も相変わらずだ。
一際立派なテントが見えた。折からの涼風に入り口の布がはためいている。
男は垂れ幕の間から俺を中に押し込んだ。自分は入ろうとしない。テントの内側に向かい、胸に手を当て恭順の仕草をしてから、立ち去っていった。
中は、がらんとしていた。豪奢な絨毯の上には、クッションにもたれた、白いカフタン(ガウン)を身にまとった若い男が一人、長いキセルをふかしているだけだ。
「ウテナ王子ジウ」
彼は言った。
「そうだ。あんたは?」
俺もタルキア帝国の言葉で返す。
ふっと男は笑った。
「イサク・ベル」
「ベル……」
ベルというのは、ムメール族の長を表す。
軍事力を誇るムメール族は、タルキア帝国から、上ザイードの支配を認められている。砂漠を移動しながら、あちこちのオアシスの村から、税を取り立てている。
従って、彼らの長であるベルは、地方長官のようなものだ。大抵は、一族の長老が務める。
このイサクという男は、随分若かった。ジウとしての俺よりは上だが、シャルワーヌや、ラルフ・リールよりも若く見える。
「座るがよい」
男は、紐を複雑に編んだ
ぷかりと、煙管から煙が上がった。
「お前か。ユートパクスの総督が執着しているのは」
「執着?」
ぞっとした。シャルワーヌが俺に執着している? あり得ない。あいつは俺を、馬鹿にしている。剣を振り回すことも馬を乗りこなすこともできない、ひ弱なジウ王子を。
「俺の兵士らが見た。彼がお前を同じ馬に乗せて砂漠を走っているのを」
「あれは!」
臆病な俺の馬が暴れ、駆けつけてきた将軍の馬が、止まれなかったからだ。
あの後、彼はひどく不機嫌だった。それから顔を合わせる機会もないうちに、首都へと出かけてしまった。
今日、マワジから帰ってきた彼を久しぶりに見た。ひどく機嫌が良さげだったけど、それは、部下たちに囲まれていたからだ。
彼は俺のことなど、すっかり忘れているだろう。
……オーディン・マークスに会って浮かれてるんだ。
密やかな思いが身の内を走った。俺は頭を打ち振って、不可解な心の乱れを打ち消した。
「男同士とて、恥ずることはない」
俺の様子をじっとみつめていた男が言った。イサク・ベルと名乗った男の様子は、忌々しいくらい鷹揚だった。
「しかし、タルキアの男どもには言わぬことだ。やつらはお前を八つ裂きにする」
「っ!」
タルキア帝国が、同性愛に厳しいことは、前世の知識で知っていた。同性愛だけではない。女性に対する蔑視も歴然としている。
イサクが、顎をしゃくり上げた。おもむろに尋ねた。
「もちろん、向こうが上なのであろう?」
「違う!」
シャルワーヌ将軍との関係を疑われたことは、衝撃だった。まずはそこを否定した。だって俺と彼との間には何もないから。第一、彼は俺の敵だ。
浅黒い顔に、意外そうな色が浮かんだ。
「では、向こうが下か? 世の中には意外なことがあるものだ」
「下?」
「うむ。そういうことなら、砂埋めの刑は、ユートパクスの将軍の方だな」
砂埋めの刑とは、砂に埋めて、石や岩などをぶつけて殺す過酷な刑のことだ。男同士の恋愛では、受け身の方が罪が重い。弱いと見做されるからだ。
「違う!」
腹を立て、一際強く否定した。
上か下かはともかく、俺は、シャルワーヌとの間の関係を認めてはいない。
「違う?」
不審そうにイサクは首を傾げる。
どうしたらこいつに信じてもらえるのだろう。俺達の無関係を。
もはや真実を晒すしかない気がした。転生。そして、シャルワーヌ・ユベールを殺害しようと決意したことを。
ムメール族は、ユートパクスの敵だ。つまり、潜在的な俺の味方という事になる。亡命貴族、エドガルド・フェリシンの。
信じて貰えるだろうか? 確証はない。だが、これしか道はない。ジウとして覚醒してからずっと胸に秘めていた思いを、とうとう俺は口にした。
「俺と彼は敵同士だ。俺は、彼を殺そうと計画している」
初めて、イサクは驚いた顔になった。
「お前が?」
だが、何か思いついたらしく、一人、頷いた。
「なるほど。ウテナはユートパクスに占領されたのだったな」
「……そうだ」
一瞬遅れて肯った。味方になってくれるなら、前世のことは話さなくてもいいだろう。話したところで信じてもらえるとは思えない。嘘つきと決めつけられ、殺される可能性もある。
「そうか。なよなよして見えるが、お前は意外と芯があるのだな」
イサクは感心したようだった。
「なよなよしているは余計だ」
すかさず言い返す。
「だが、お前に、それができるかな」
彼は破れた腕から覗く俺の腕を見ていた。ひどくきまりが悪い。それでも言わずにはいられなかった。
「馬鹿にするな。これでも鍛えている」
「鍛えてその程度か」
それを言われると辛い。組んだ両脚も細く頼りない。筋肉が全くつかないのだ。持久力も乏しい。ジウ王子の体は、本当に鍛えがいのない体だった。
イサクは、少しの間、俺を見つめていた。三白眼に近い、冷たい眼差しだ。さっき俺を襲ったやつらもそうだったが、砂漠という厳しい環境に生きる彼らには、一切の妥協というものがない。それが、目つきの冷たさに表れている。
組んでいた足を解いて、彼は立ち上がった。ためらいもなくテントの外に出ていく。
すぐに戻ってきた。
「逃げなかったのか」
「こんなに短い時間で逃げられるものか!」
「弱い奴だ」
言いながら、手にしていた箱を差し出す。
「これをやろう」
「なんだ、それは」
問うと、イサクは、ゆっくりと箱を開いた。中には、宝石で縁取られた、美しい小刀が納められていた。
「お前にユートパクスの将軍を刺し殺す力はない。この小刀の刃には、毒が塗ってある。牛一頭、楽々殺せる毒だ」
思わず俺は後じさった。
薄く、イサクは笑った。
「鞘を払う時、刃に触れないように気を付けるがいい。小さな傷であっても、すぐに全身に毒が回る。この毒には、解毒法はない。お前が、ユートパクスの将軍の
「それはない!」
断固として否定した。
傷つけるだけで相手を殺せる小刀は、確かに魅力的だった。だが、シャルワーヌとの間を誤解されたままというのは、腹に据えかねた。
俺の抗議に少しも応えた様子もなく、イサクは繰り返した。
「いずれ誘われる」
「その時は、断る!」
「小刀は要らないのか?」
前世で軍人だった俺は、シャルワーヌを斬り殺すことばかり考えていた。毒を用いるという手法は、思いつきもしなかった。だが、考えてみれば、それは良い思いつきだった。なにしろ、ジウ王子の体はか弱い。
ただ、毒というのは入手が難しい。毒物を取り扱う知識もない。今、ムメール族の長が毒の塗られた小刀をくれるというなら、問題は一気に解決する。
「くれ」
シャルワーヌを殺す為なら、何だって欲しい。
ところが、俺が手を伸ばすと、イサクは、小刀を背後に隠した。
「但し、条件がある」
「条件?」
「俺の妾*になれ」
「メカケだとぉーーーーーっ!?」
激しい怒りが全身を駆け巡った。イサクは涼しい顔をしている。
「正妻はいるのでな。俺は、お前の忠誠の証が欲しい」
忠誠の証なら、盃を回すでも、血判状でも、他に何とでもやりようはある。
イサク・ベルは首を横に振った。
「ムメール族は、血の繋がりしか信じない。お前との間に、血の繋がりはない。だったら、お前を所有するしかない」
「所有?」
むっとした。俺は、誰かの持ち物になる気はない。
「体を繋げるのだ。一度体を繋げたら、俺への忠節を永遠に忘れられないようにしてやる」
ヘビのような感情のない目が、俺をじっと見据えている。
ぞっとした。
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*妾という言葉は差別語という見方もありますが、これは小説であり、また、そもそも不条理を表している文脈なので、ご寛恕を願います
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