砂山の向こう

※残酷な描写があります

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 馬車が数台、門の中へ入ってきた。どの馬車も重そうに車輪を土にめり込ませている。

 駐屯している兵士らが集まってきた。朝の静けさは、たちまち、陽気な笑い声に満たされた。


「将軍! ワインがあります! 高級な赤ワインが!」

いち早く荷馬車によじ登った兵士が興奮して叫んだ。


「それか。俺へのボーナスだと。総司令官が自分用のを分けてくれた。あと、白パンもあるだろ。ワインとパンは病院へ持って行け。病人と怪我人に渡すんだ」

 懐かしい声が聞こえた。

 違う。忌まわしい、だ。


 帰還したシャルワーヌ・ユベールは、目ざとく自分に近寄って来るオーギュスト・ベリルの姿を認めた。


「ベリル将軍! 来てくれたんだな!」

「どうも私には、首都のカウチで水煙草を吹かせていることができませんでね。あなたと同じだ。じっとしていることが性に合わない」

「これは手厳しい」


 一段と日に焼けた目元が綻んだ。一番最初に彼に心服した将軍ベリルは、シャルワーヌにとっても心許せる存在になったらしい。


「ユベール将軍と再会する喜びで気もそぞろで馬を走らせてきたのに、入れ違いにあなたは、首都へお出かけだったとは!」

「急いで帰ってきたんですよ、ベリル将軍。総司令官から、あなたが上ザイードに向かったと聞いて」


 ……どうだか。

 俺は思った。

 総司令官オーディン・マークスの名を聞いた時から、とにかく俺は不愉快だった。

 ……どうせ、後ろ髪を引かれる思いで帰って来たに決まってる!


 どうでもいいことなのに、奇妙に苛ついた。そのくせ、オーディンからシャルワーヌへの贈り物が、他ならぬ彼自身によって病人や怪我人に回されたことが小気味良かったりもした。

 自分の感情を持て余しつつ、ふと、気がついた。


 ……チャンスかもしれない。


 門は大きく開け放たれたままだ。この喧騒に紛れて、外へ出ることができるのではないか。館の東側には、民家がある。

 灰色の馬はすぐ近くで草を食んでいた。その背に這い上がる。

 軽く脇腹を締め付け、並足で門から外へ出ていった。





 オアシスの草の上を、馬はゆっくり走っていく。見たこともない形の樹が物珍しい。

 ぽつり、ぽつりと立ち並ぶ木々の後ろは砂山だ。それほど高くないが、山の向こうは見えない。地平線を見たかったのに、残念だ。


 不意に、その山から馬が数頭、駆け下りてきた。逃げる間もなく俺の乗った馬は、男たちの馬に囲まれてしまった。


 砂漠の軍団、ムメール族だ。

 上ザイード総督邸から出てきたところを、砂漠にキャンプしているムメール族の、見張り部隊に見つかってしまったらしい


 だが、まだ間に合いそうだった。逃げ切れるかもしれない。馬と馬の間を強行突破すれば……、

 俺は、自分の馬が臆病なのを忘れていた。灰色の老馬は、石になったように動こうとしない。


 ターバンを巻いた男達が、馬から降りた。俺の馬に近寄り、やすやすと轡を取る。

 情け容赦もなく、俺は馬から引きずり降ろされた。肘が手綱にこすれて擦り剥けた。


「***!」


 中の一人が何か言った。土着のザイード語だ。

 この男が、どうやらリーダーのようだった。乱暴だった俺の扱いが、怪我をしない程度に穏やかになった。チャンスだと思い、手足を振り回し、暴れた。が、到底力及ばず、羽交い絞めにされてしまった。後ろで捻り上げられた腕が痛い。


「俺は何も持っていないぞ!」


 大声で叫んだ。

 男たちは顔を見合わせた。彼らに俺の言葉は通じない。

 中の一人に、いきなり担ぎ上げられた。


「何をする!」


 叫んだが、無駄だった。

 少し離れた民家から、住人が顔を出した。恐々とこちらを見ている。


「*!」


 蛮族が何か叫ぶと、慌てて家の中へ引っ込んだ。

 俺は、リーダー格の男の馬の背に向けて、まるで荷物のように投げ上げられた。すぐに馬の持ち主が鞍に飛び乗る。

 灼熱の太陽の下を、ムメール族の一団は、細かな砂を蹴り上げて走り始めた。




 低い砂山を越えると、たくさんのテントが張られていた。テントの近くには馬も繋がれている。意外なことに、ムメール族は村のすぐ近くにキャンプしていた。村は、ユベール師団に護られているというのに。


 一番端のテントに、連れ込まれた。薄暗い中に、乱暴に放り込まれる。どやどやと、一団の男たちが後に続いた。

 毛足の長い絨毯に無様に倒れ込み、俺は両手をさすった。手綱で擦りむいた上に、長い時間後ろで捻り上げられていたせいで、感覚がなくなっている。この手では戦えない。いや、そもそもウテナ王子の体に、戦闘能力はない。


「どうするつもりだ」


 半身を起こし、低い声で威嚇した。どうせ言葉は通じないとわかっていながら、そうせずにはいられなかった。黙ってされるがままになっているなんて、男としての矜持が許さない。

 蛮族どもは、顔を見合わせ、哄笑した。


 近くにいた男にひょいと肩口を押された。起こしたばかりの上半身があっけなく後ろへ倒れる。

 恐ろしい予感に、手足を振り回して暴れた。真横にいた男の頬の皮膚を引っ掻いた。男は薄笑いを浮かべ、俺の両肩を抑えつけた。肩が捩れ、烈しい痛みに襲われる。


 別の男が、一歩踏み出した。俺の胸元の服を掴み、縦に引き裂く。

 積み荷のない馬を狙ったことといい、寂れたテントに連れ込まれたことといい、彼らの狙いは明らかだ。


 暑い地方のことだから、下着は着けていなかった。上ザイード独特のゆったりとした衣装が破れ、白い肌が露わになる。きめ細かな自分の皮膚に浮かんだ、小さな赤い二つの突起が目に入り、俺はぞっとした。


 ……こいつらの欲情を煽ってしまう!


 必死で服の裂け目を合わせ、肌を隠そうとした。

 下品な笑い声が沸き上がった。

 腕を頭のてっぺんにまとめて絨毯におしつけられた。蹴り上げようとした脚は難なく抑えつけられ、太股を掴まれ、ぐいと開かされた。


「くそっ!」


 絶望の声が漏れた。

 肩を抑えていた男が屈みこみ、胸に口を寄せる。彼の目的は、俺に快楽を与えることではなかった。

 いきなり、赤い突起に前歯を立てた。


「いっ!」

 右胸に激痛が走った。身を捩らせ、それでも逃れられない。別の男が左の突起を指でぎゅうと摘まんだ。


「っ!」

 悲鳴は、彼らを煽るだけだ。声を上げまいと目をつぶり、必死で歯を食いしばる。

 囃し声が響き渡り、獰猛な笑い声が沸き起こる。


 不意に瞼の裏が明るくなった。恐る恐る目を開ける。

 火のついた蝋燭だった。男たちの歓声の中、燭台が運ばれてきた。

 燭台は、仰向けに倒された俺の、真上で止まった。ゆっくりと燭台が傾けられた。受け皿に溜まった、溶けた熱い蝋がどろりと落ちる。


「ううっ」

 胸の真ん中を襲う熱い痛みに耐えかね、体が跳ね上がった。すかさず抑えられる。ひりつく皮膚が熱く痛く苦しいのに、不随意に動くことさえままならない。俺は、体をのたうたせて、苦痛に耐えた。


 嘲笑する声の性質が変わった。

 俺を馬に乗せてきた男が立ち上がり、ズボンの紐を緩め始めた。


「くそう……」


 血の出るほど唇を噛みしめた。そこしか、自由になるところがなかったからだ。

 膝のあたりまで、男がズボンを下ろした。思わず俺は目をそらす。

 周囲の温度が、2~3度上がった気がした。


 ……いやだ。

 ……シャルワーヌ!


なぜかその名が頭の中でこだました。





 「こんなにたくさん!」

 薬莢やっきょうを数えていた副官のサリが、狂喜のあまり半狂乱になっている。彼は、上官が持ち帰った武器を検品していた。

「銃弾もどっさりある!」


「これで鉛筆を供出しなくても済みますな」

 画家のディーンが顔を出した。上ザイードの珍しい風土を描写する為に、ユベール軍には、画家も同行していた。ディーンは、憤懣やるかたないと言った風に副官を睨む。

「鉛筆の鉛で銃弾を作ろうなんて、芸術の冒涜ですぞ」


「だって弾丸がなければ、ムメール軍にやられちまうでしょうが!」

 サリが言い返す。


 鉛の在庫が尽きかけていた。鉛筆を作る筈だった分は、銃弾に回されてしまった。それが、画家には不満だったのだ。


「残りの鉛は全て鉛筆にしても構わないぞ。なにしろ、銃弾を腐るほど貰って来たのだから」

 危うく口論になりそうな画家と副官の間に、シャルワーヌが割り込んだ。

「後から船で、榴弾砲りゅうだんほう(短距離を狙う小型の大砲)も届くぞ。俺は要らないと言ったのだが、総司令官オーディン・マークス殿に、強引に押し付けられた」


 彼は不満げだった。総司令官オーディン・マークスに榴弾砲を押し付けられたのが、よほど迷惑だったようだ。


「いや、榴弾砲は要るでしょう」

聞いていた将軍のベリルが口を出す。

「砂漠だぞ? どうやって運ぶんだ?」


 重量のある荷物は砂漠のさらさらした砂にめり込んでしまい、運搬するのが難しい。シャルワーヌは砂漠の砂の上を、さんざん苦労して軍を率いてきた。


「馬車で運べますよ」

 総司令官を弁護するように、ベリルがいなす。

「馬は騎兵のものだ」


 シャルワーヌはまだ、納得していない。

 ベリルは肩を竦めた。


「ま、剣で切りかかって来る敵に大砲で応戦しようなんてのはフェアじゃないという貴方の考え方も、わからないでもないですけど」


 ムメール族は、かつてタルキア帝国の傭兵だった者たちの子孫だ。軍事力を持ち、移動しながらオアシスの村々を治めている。というより、強引に税を取り立てている。タルキア帝国も、彼らの支配と課税を暗黙のうちに認め、各ムメール族の長に「ベル」という役職を与えている。ベルは、地方長官のようなものだ。


 タルキア帝国もザイードも、文明の進歩は、ウアロジア大陸より遥かに遅れていた。彼らは馬に跨り、大きく湾曲した剣を振り回して攻めてくる。


 剣を使う相手に大砲を向けるのは、シャルワーヌとしては気が進まないようだった。渋い顔のまま、立ち上がる。


「おや、ユベール将軍。どちらへ?」

副官のサリが声を掛けた。

「うん?」

「それは何です?」

 馬の鞍の下から彼が取り出した包みを目ざとく見つけ、サリが尋ねる。

「個人的な買い物だ」

「個人的? 将軍が? 何を買ったんです?」


珍しい物を見たと言わんばかりに、サリが喰いついてきた。実際、シャルワーヌが、自分の為に何かを買うことは滅多になかった。


「大したものじゃないよ。カシミヤだ」

「カシミヤ?」

「毛布のようなものだな」

「なんだ。毛布か」


 途端に副官は、興味を失ったようだ。

 その場には、軍の関係者しかいなかった。彼らはソンブル大陸に上陸してすぐ、上ザイードに向けて砂漠の進軍を開始した。上ザイードは、未開の奥地だ。カシミヤについて、彼らには何の知識もなかった。


 だが、将軍のベリルは違った。彼は今まで首都マワジに派遣されていた。

 ……現地人の女でもできたか。

カシミヤの柔らかさと色合いの美しさを知っているベリルは思った。

 ……ユベール将軍も、全くの唐変木というわけではなかったのだな。


 ベリル自身と一つしか年齢の違わない、地味な身なりの上官は、茶色の紙で包まれたカシミヤを手に、いそいそと部屋を出て行った。



 ……水色に近い薄いグレイの髪で縁取られた髪。驚くほど白い肌、灰白色の瞳。

 一段飛ばしで階段を上りながら、シャルワーヌは思う。

 ……春の色が似あう。皆が待ち焦がれる季節の色が。


 朝の内庭は充分寒い。大切な捕虜に風邪でも引かせたら大変だ。ウテナ王に会わせる顔がない。







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