兵士たちの靴
※エドガルド視点に戻ります
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短時間だが戸外で過ごすことで、体力がついてきた気がする。そうなれば、俺の前世は王の軍隊の将校だ。革命の後は、亡命貴族軍として実戦の経験も積んできた。ジウに転生した今、俺は、自分の剣や乗馬などの腕がめきめきと上がっていくのを感じている。
当初の目的は、シャルワーヌ・ユベール殺害だ。だが、彼を殺しただけで捕まってしまったら、惜しい気がする。なんとかここから脱出して、次の標的、オーディン・マークス排除を狙いたいところだ。
軍の雄である二人が死ねば、革命政府は骨抜きになるだろう。そうなれば、国外逃亡を余儀なくされている王弟陛下に、再びユートパクス王としてお帰り頂ける。
その際には、ウテナ王子というこの身分が、役に立ちそうだと感じた。具体的にどう役に立つかはわからないけど、とにかく、王族だ。何かに使えるんじゃないかと思う。
助けが必要だった。シャルワーヌを殺した後、匿ってくれる共犯者が。上ザイード総督殺害後、邸宅から抜け出す道を予め確保しておかなければならない。
館の西側には広い砂漠が広がっているだけだ。だが先日、馬が暴走した時にわかったのだが、東のルビン河沿いには、ささやかな集落があった。あの村の住人の助けを借りられないものだろうか。
村人たちにしても、
俺は捕虜だ。ユートパクス人ではない。もしかしたら、ひそかに味方になってくれるのではないか。それには今のうちに、何とか理由をつけて村へ行ってみるべきなのだが……。
考え込みつつ、庭へ出た。いつもの訓練の時間だ。
珍しくその日は、見張りの他に人がいた。軍服から、将校クラスの人間だとわかった。気にせず、剣を振り始めた。
「相手をしようか?」
驚いて声のする方を見た。がっしりとした体つきの男が立っていた。見張りの兵士としゃべっていた将校だ。鷲鼻で額の広いその顔は、始めて見る顔だった。
俺が頷くと、相手は練習用の剣を取り上げ、名乗った。
「オーギュスト・ベリル。ユベール師団の将軍だ」
「将軍?」
そんなに身分の高い将校が、捕虜の相手をしてくれるとは。まあ、師団長自らが見張りに立つくらいだから、それもありなのかもしれない。
いずれにしろ、相手にとって不足はない。
「ウテナ王子ジウ」
簡単に名乗り、剣を構えた。
初手は、俺からだ。無愛想に剣を突き出した。
簡単に躱された。
「狙いは悪くない。ただ、力がな」
感心したように呟き、ベリル将軍は、一歩下がり、やりすごす。
「もう一度、突いてみろ」
渾身の力で突きに出る。
あっさりと躱されてしまった。
「次は俺からいくぞ。君はすばしこいからな」
ベリル将軍が踏み込んできた。
俺は、少し息が切れていた。体を捩って、それを躱す。
二度、三度、応酬があった。
次第に息が上がり、剣が重く感じられる。突き出した剣を払われ、とうとう、武器を落としてしまった。
「ユベール将軍の言った通りだ。君は、筋がいい」
飲み物の入ったカップを手渡し、ベリルが言った。
ユベール将軍。
その名を聞き、危うくカップを取り落とすところだった。彼は首都マワジへ行っているので、ここしばらく、心静かに暮らしていたというのに。
ベリルがこちらを見ている。
「気をつけろ。砂漠で水は貴重だぞ」
「わかってる」
「そんなにユベール将軍が嫌いか?」
いきなり核心を突く。
「え?」
「名前を聞いただけで動転するほど、君は、彼が嫌いなんだな」
ベリルは全く正しかった。シャルワーヌ・ユベール、彼が嫌いだ。それだけではなく、彼の命を狙っている。ただ、ユベール師団の将軍であるベリルに、師団長への殺意を悟らせるのは賢明とはいえない。当たり障りのない返事を返すことにした。
「僕は捕虜です」
「ユベール将軍のことを、嫌ってやってくれるな」
思いがけないことを、ベリルは口にした。
思わず、俺はまじまじと彼の顔を見つめてしまった。ベリルは、照れたような笑みを浮かべた。
「全く君は、美しいな。美しいというより、人間離れしている。水色の髪なんて他では見たことがないよ。それにその白い肌は、どこの国の女よりも白い」
「馬鹿にしているの?」
「俺は女性を賛美している」
「ふうん」
返事をするのも馬鹿らしい。
「美しい人間に嫌われるのは、辛いことだ。造物主というのは不公平だな。美しく生まれ付いただけで、人々の信頼が得やすくなるなんて!」
「さっきから、何が言いたいんですか?」
「品位ある侵略者。公正な配分者」
「え?」
「ユベール将軍の
「敵国の民がつけた名前?」
「そうだ」
変な話だと、俺は思った。
品位? 公正?
シャルワーヌ・ユベール将軍に付された名は、明らかに、彼を褒め称えている。自分たちの国に侵略し、占領した軍の司令官だというのに。
「僕なら、悪魔の手先、とか、意地悪な強奪者と呼びますね」
俺が言うと、ベリルは笑い出した。
「彼は、絶対、不正をしないからな。ここ、上ザイードでも、随分と賄賂を贈られたが、それらは悉く返却されている。自分だけじゃない。部下にも略奪を許さない」
「部下の中には、不満に思っている方がいらっしゃるでしょう?」
副官のサリが、そのようなことを口にしているのを小耳に挟んだことがあった。
軍の物資補給を任されている彼は、武器だけでなく、食料や医薬などの不足に悩んでいた。
軍の現地調達。
つまり、略奪だ。
だがそれは、実行されていない。
「確かに
ベリルは言葉を濁した。総司令官に対して批判めいたことを口にすることは危険だ。俺は捕虜だから構わないけど、他に漏れたら降格処分、時には死に値する。
「ユベール将軍は、革命の精神そのものだ。俺も、自分がそうだと思っていたが、彼の下に入って、到底敵わないと悟った。彼は、自由と平等を徹底する。だがな。そんなユベール将軍でも、最初から、兵士らの支持を集めていたわけではない。それどころか遠征軍が港町に集められた当初、彼は不審の目で見られていたんだ」
出航前、兵士や、将校達もが、行く先を知らされていなかった。
ユベール師団は、総司令官のオーディン・マークス軍とは違う港から出航した。そのことも将校達の不信に拍車をかけたのだと、ベリルは話した。
「マークス総司令官は、行先を秘密にしていた。あの港町で、ソンブル大陸遠征計画を知っていたのは、ユベール将軍くらいのものだ。もちろん口外することは、総司令官から厳しく禁じられていた」
「なんだってまた……」
「アンゲル海軍のスパイが、街中を跋扈していたからだ」
「アンゲル海軍!」
そこには、ラルフ・リールがいる。懐かしい元海賊が。その時、彼の船は港の近くにいたのだろうか。
ベリルが顔を顰めた。
「俺達にしてみれば、目隠しをされて船に乗せられるようなものだ。中には、生まれて初めてフリゲート艦に乗る奴もいた。特に若い将校達の不満は大きかった。彼らはなんとしても、英雄、オーディン・マークスの下で戦いたがっていたからな。東の国境からやってきた、顔色の悪い将軍の下ではなく。実際、ユベール将軍に対して、乗船拒否の暴動を起こそうと企んでいた奴らもいたくらいだ」
「ユベール将軍は、部下に人気がなかったんですね」
いい気味だと思った。東の国境で、
ところが、ベリルは首を横に振った。
「違うよ。彼は、麾下の兵士達に、とても人気がある。元いた国境線の兵卒らは彼を慕っていたよ。ユベール将軍の指揮で出陣すれば、必ず生きて帰れる、って言ってね。彼は信頼されていた」
ベリルは首を傾げた。
「遠征には、当然、自分の師団を連れてくると思っていた。だが彼は、副官を連れてきただけだった。戦隊長や将軍、参謀に至るまで、司令部から宛てがわれたものだ。今、上ザイードに駐屯している我々は、当初、寄せ集めの、にわか作りの軍団だったんだよ」
それは、かなりしんどいことだったのではないかと、俺は思った。軍人、特に将校は、縄張り意識が強い。いきなりよそからやってきた司令官の部下になれと言われれば、当然、反発もあるだろう。
「貴方は、ユベール将軍を信頼していなかったのですね」
ずばり、俺は指摘してやった。居心地悪そうにベリルは頭を掻いた。
「初めのうちはな。なにしろそれまで俺は、オーディン・マークスの軍にいたんだ。戦場での彼の采配は素晴らしかった。もっともっと一緒に戦いたかった。なのに、いきなり別の将軍の指揮下に入れられるなんてな。それに新しい指揮官は、ほら、あの通りだろう?」
にやりとベリルは笑ってみせた。
両頬に傷のある将軍。服装に全く頓着せず、軍服を着ないどころか、みすぼらしいなりでも平気だ。威厳のないこと、夥しい。
「だが、彼がいつだって公正で、それに兵士の処遇に気を配っているのを見て、気が変わった。今、ユベール
「オーディン・マークスに会うことでしょ? 総司令官の新しい指令を受けることだ」
苦々しさを感じながら言った。なぜだか俺の体は、オーディンを毛嫌いしている。
ベリルは首を横に振った。
「靴だよ」
「靴?」
「兵士たちの靴が、圧倒的に不足している。熱い砂漠の砂の上を、裸足で歩くなんて、こんなに辛いことはないからな!」
呆気に取られている俺の顔を見て、ベリルは嬉しそうだった。
「だから俺は、真っ先に、ユベール将軍に心服したのさ。この将軍には、ついていく価値があるってね! 今ではみんな、俺と同じさ」
よっこらしょ、とベリルは立ち上がった。尻についた埃を払う。
「司令部の命令で、俺は今まで首都にいたんだ。
「シャルワーヌ将軍を随分、買ってらっしゃるんですね」
皮肉に聞こえないよう気をつけながら、俺は言った。軽く、ベリルは肩を聳やかせた。
「彼にも欠点はあるがな」
「欠点?」
重要な情報だ。是非聞いておかなければ。
「敵を完全に追い詰めないことと、じっとしていられないことだ。上ザイードの征服で彼自身、だいぶ消耗しているはずなのに、ダミヤンまで無駄足を踏んで、挙句の果てに、
豪快に笑った。
「な。ユベール将軍のことを、好きになっただろ?」
つん、と俺は顎を上げた。
どんなに兵士らに人気があろうと、彼が王を裏切った事実に変わりはない。彼を慕っているのは、身内の軍人だけだ。シャルワーヌに大義はない。
だが、ベリルは、確信ありげだった。
「そのうちに必ず、好きになる。彼は、そういう男だ。暖かくて優しくて、どこか愛らしい所がある。彼を好きにならない男はいない」
「愛らしい? ですって!?」
胸が悪くなった。革命軍として、たくさんの王党派や外国兵をその手で殺してきた男が、愛らしいだと?
ベリルは平然としている。
「寂しがり屋なんだよ。軍の中にしか居場所がない、孤独な男だ。彼は軍を愛している。兵士達を家族だと思っているんだ。だから、同じ軍の中にいるのであれば、君にも、彼を好きになって欲しい」
無茶苦茶な論理だった。
軍が家族? それこそ、彼が血も涙もない冷酷な男だという証ではないか。
いつまでも座り込んだままの俺の手を、ベリル将軍は引っ張って立たせた。彼の手のひらには砂が残っていて、それが刺さってちくちくと痛い。
「俺はしばらくの間、この館に滞在している。また、稽古をつけてやってもいいぞ」
ありがたい申し出だった。俺は強くならなければ。彼の言う所の、愛らしい将軍を葬り去る為に。
俄かに、門の辺りが騒がしくなった。
「おかえりなさい!」
門衛のはしゃいだ声がする。
ベリルは、ぱっと顔を輝かせた。
「噂をすれば、だ。ユベール将軍が帰ってきた」
俺を置いて、駆け出していく。
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