亡命貴族軍
※残酷な描写があります
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その晩俺は、夢を見た。
夢というより、昔、俺が、エドガルド・フェリシンだったころの記憶だ。
……。
王家に忠誠を誓い、国を出た亡命貴族軍は、デギャン元帥の元、祖国の革命政府と戦っていた。
ユートパクス国内にも、王党派は残っていた。また、庶民の中にも、革命政府の強引な徴兵制に不満を覚える者たちがいた。特に、南のシュエル地方では、王党派に率いられ、大規模な蜂起が起きた。
チャンスだった。デギャン元帥はシュエル地方の蜂起との共闘を試みた。
この地方は、海に面している。元帥はまず、アンゲル国の海軍に、南の海からの武器弾薬の補給を要請した。その上で、麾下の亡命貴族達に、東の国境を越えシュエル地方へ潜入、蜂起を支持するよう命じた。
わずか数人の潜入隊の一人が、俺、エドガルド・フェリシンだった。
ユートパクスの東の国境は河だ。河の下流、北側が、革命政府と諸外国の主戦場だった。俺達は、南の山岳地帯での国境越えを試みた。
峻厳な山を幾つも越えると、久しぶりで眼下に集落が見えてきた。とある辺境伯領の外れの、小さな村だ。
汚れた顔を見合わせ、俺達は安堵の表情を浮かべた。あそこで、水と食料を分けてもらえるだろう。村人の理解があれば、今夜は、屋根の下で眠ることができるかもしれない。
だが、集落に近づくに従い、不穏な気配が漂ってきた。
あちこちの家々から、煙が上がっている。近づいてみると、人の気配は皆無だった。俺達を出迎えたのは、村人たちの死骸だった。
「いったい誰がこんなことを!」
仲間の一人が叫んだ。
生存者を確認する為に、一行は、村に足を踏み入れた。
村は、全滅に近かった。収穫期を迎えた畑は踏み荒らされ、納屋は空っぽだった。牛や馬は、連れ去られていた。建物は焼かれ、その煙が、山の上から見えたのだった。
虫の息で生き残っていた村人の一人が、盗賊に略奪されたと教えた。
緑の頭巾。顔を覆う、赤いスカーフ。
残虐な一団の特徴をいくつか伝え、彼女は絶命した。破れたスカートから覗く両脚は、血まみれだった。彼女はレイプされていた。
俺たちにできることは何もなかった。死体の数はあまりにも多く、全部を埋葬する時間はなかった。
重苦しい雰囲気で村を出た。
「止まれ」
小さな声で先を歩いていた隊長が、制した。
人の声が聞こえてきた。馬の嘶きも聞こえる。地図によると、少し先に草地がある。そこで、野営している軍がいるのだ。
この時期、山に籠っているのは味方の同盟軍でないのは確かだった。間違いなくユートパクスの革命政府軍だ。即ち、デギャン元帥麾下の亡命貴族の国境越えを警戒している連中。やつらは、亡命貴族狩りの特殊部隊だ。
ユートパクス国内に侵入するには、この山を越えなくてはならない。気づかれないように野営地を迂回しなければならなかった。
険しいけもの道を、俺達は、足音を忍ばせて登った。
それは、命がけの行軍だった。急な斜面を歯を食いしばって登っていく。怯える馬の手綱を引き、徒歩での行軍だ。すぐ下では敵が野営している。石ころ一つ、落とすわけにはいかない。
小半時も行ってから、一休みすることにした。ここ数日、俺達は、まともに食事もできていなかった。その体での急な山越えは、さすがにきつかった。
比較的体力の残っていた俺は、偵察を買って出た。
少し上った先にある崖の下が、ちょうど敵の野営地だった。山道を登り切り、崖縁まで進んだ。腹ばいになって下を覗く。派手な革命旗が翻っているのが見えた。それと、軍旗が。
思った通り、革命政府の国境警備隊だった。国境の河の名前を取って、ゴドウィ軍と呼ばれている。規模は、比較的小さかった。70~80人というところか。騎兵は少なく、偵察目的の山岳部隊のようだ。
末端の歩兵たちの溜まりを見て、俺は、ぎょっとした。
緑の頭巾。赤いスカーフ。
俺の腕の中で息を引き取った村の女性が伝えた通りのなりをしている。彼女の村を襲った、盗賊たちだ。
その上、驚いたことに、彼らは、軍に拘束されているのではなかった。それどころか、歩兵たちと一緒になって、飲み食いしている。
「ユベール将軍!」
歩兵が大声を出した。呼ばれて、一人の男が歩み寄ってくる。
将軍。この男が、軍の師団長だ。
後ろで無造作に束ねられた黒い髪。将校を表す
男は、歩兵たちの車座に加わった。歩兵たちと、そして、人殺しの盗賊たちと。
「新しい仲間の義勇軍への入隊を祝して」
歩兵の一人が音頭を取り、カップが打ち合わされた。村を焼き、逃亡の途中で盗賊たちが軍と出会い、入隊することにした……。そんな雰囲気だ。この野営は、彼らの歓迎会でもあるようだ。
「君らの過去は問わない」
幽かにひっかかるような声。シャルワーヌの声だ。
許せなかった。
ユベールというこの師団長は、彼らがどのような所業をなしたのか、知っているのだろうか。知っていて、入隊を許したのか。
戦闘においては、兵士の数が勝敗を決すると言われている。ユートパクスは人口が多い。革命政府は、徴兵制を敷くことで、飛躍的な兵力を確保した。だが、徴兵逃れや脱走兵も多いと聞く。俺達が向かっているシュエル地方の蜂起も、大切な働き手を軍に取られた農村部の不満に端を発したものだ。
特に、厳しい国境地帯や戦闘地では、兵士の補給は深刻な問題だ。だから、このユベール師団長は、彼らを雇い入れたのだ。
たとえ犯罪者だと知っていたとしても、彼はそうしたろう。過去は問わないとは、そういうことだ。
目の前に、敗れたスカートから覗く泥だらけの足が浮かんだ。太い血の筋が伝わっている。乾いた涙。青ざめた唇。
かっと、頭に血が上った。
腹ばいになっていた手が滑った。小さな小石がひとつ、急な斜面を転がっていった。
「誰だ!」
下から声が上がった。
「気づかれた。逃げろ!」
俺は、少し離れた所にいる仲間達に向かって警告を発した。立ち上がり、自分も死に物狂いで逃げ始めた。
……。
「ジウ王子。プリンス!」
体を揺すぶられ、目を覚ました。
「アソム……?」
「ひどくうなされておられました。悪い夢でもご覧になったのですか?」
「あ、ああ……」
夢ではない。
あれは、前世の記憶だ。
亡命貴族エドガルド・フェリシンだった頃の。
「だから、シャルワーヌ・ユベール将軍のお話をお聞かせするのは嫌だったのです。殿下は、穏やかなお気持ちで過ごさなければならないと、医師も言っていたのに」
どうやら、昼間聞いたアソムの話が引き金となって、前世の記憶の一部が蘇ったらしい。
血と死の気配に彩られた、濃厚な記憶だった。
あれが恐らく、俺とシャルワーヌ・ユベールとの
だって俺は、ラルフ・リール、アンゲル国の海賊出身の海軍将校のことは、ちゃんと覚えている。
山岳地帯でのユベール師団との邂逅には、続きがある気がした。
「ひどい汗でございます。お着替えをなさらねば」
強引に、アソムが俺を抱き起こす。
……ああ、ダメだ。記憶が逃げていく。
「少しお熱が出たようですね」
なんて弱い体なんだ。まともに物を考えることさえできない。アソムにされるがままに寝間着に着替えさせられながら、俺は絶望した。
あれから、仲間の亡命貴族たちはどうなったのだろう。シュエル地方の蜂起は? 俺は無事に、蜂起軍と合流できて、彼らを援助することができたのだろうか。
「薬湯を」
アソムの持ってきてくれたお湯は、人肌くらいの温度だった。僅かに甘く、そのくせ塩の味がする。
「アソム」
くるくると立ち働く彼を、俺は呼び止めた。
「ユートパクスで起きた民衆の蜂起を知ってる?」
「ユートパクスの……蜂起、でございますか?」
アソムは眉を顰めた。
「かの国については、私は詳しくありませんが、今は、平和に治まっているようですよ。軍の力でね」
最後の方は苦々し気だった。
よその大陸の内乱など、ユートパクスから遠く離れた島国で暮らしていたアソムが知らなくても無理はない。逆に、ジウ王子が知っていたら、おかしいということになる。
「なんでもないんだ。そんな夢をみたものだから」
「やはりユベール将軍のせいでしょう。あの傷のある顔! 最初に一目見ただけで、物騒な雰囲気だと思いましたよ。プリンスは、穏やかなウテナの宮廷で、大事にされてお育ちになりました。ユートパクスの将軍など、目に入るさえ厭わしい! 微力ながらこのアソム、ウテナから随行した従者として、せいいっぱい、貴方をお守りしてきました。あの将軍の名前なりと、御前で出さないようにと、細心の注意を払ってきましたのに」
ぶつぶつとアソムがこぼしている。
ひどい箱入りだと思いながらも、年老いた侍従の忠誠には、胸を打つものがあった。
「ありがとう、アソム。心配してくれて」
俺が言うと、アソムは首を横に振った。
「お礼など、そのような」
「ううん。僕が意識を取り戻したのは、お前が親身になって看病してくれたおかげだよ」
「プリンス……あなたはいつだって、なんてお優しい……」
アソムは涙目になっている。
「こんな遅い時間に起こしてしまってごめんね。僕はもう大丈夫だから、今夜はもう、休んでおくれ」
アソムは俺の額に手を乗せた。寝巻の襟に触り、汗で濡れていないか確認する。
どちらも合格だったようだ。
「それではお言葉に甘えて、アソムは控えの間に引っ込みます。苦しかったらすぐにお呼びになるんですよ?」
「うん、わかった。おやすみ、アソム」
アソムは退出し、ドアが閉まった。
俺は深いため息をついた。
今までの会話は、なんというか、ごく自然に湧き上がってきた言葉だった。いうなれば、俺の奥に残っていたジウ王子の残滓が、アソムに語り掛けていたのだ。
優しい王子だったのだ。
優しく孤独な王子。
彼の魂は病で亡くなった。だがそれは、尋常の病ではない気がする。彼の身に何が起きたのだろう。また、彼がシャルワーヌ将軍に抱く強い感情は、いったい何なのだろう。
記憶の続きはついに蘇ってこなかった。
ただひとつ、わかったことがある。
シャルワーヌ・ユベールは、人間の屑だ。
貴族でありながら、王家への忠誠を破り、革命軍に残った。
そして彼は、勝つ為とあらば、盗賊でさえも兵力とする。それが、罪なき人々を殺めた者どもあったとしても。
あの男は、上官、オーディン・マークスに勝るとも劣らない、最低の人間だ。
一刻も早く、葬り去らねばならない。
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