革命軍の貴族将校
その日は、寝床から起き上がることができなかった。体の奥底から湧き上がってくる激情を抑えることで、体力を使い果たしてしまったらしい。頭ががんがんと痛み、吐き気まで覚えた。本当に、なんて弱い体なんだろう。
シャルワーヌ将軍と対峙していた時にこみ上げてきた熱の、なんと激しく、乱暴だったことか。あれは、俺の感情ではない。俺は、エドガルド・フェリシンは、あんな風にわけのわからない激情を感じることは、終生なかった。
するとあの熱情は、ジウ王子が遺していったということになる。病で彼の魂は死んだが、激しい思いだけは、体内に残されたまま、消えなかったのだ。
彼の付き人達は、王子はおとなしく内気だと思い込んでいた。アソムなど、覇気がないと嘆いていたくらいだ。それなのに、何だ? あの激しさは。あの熱は。あの暴力性は!
灼熱の激情と衝動の底に、甘さが潜んでいたことが、一層、俺を困惑させた。甘さは、シャルワーヌ将軍に反応していた。額に伸ばされてきた彼の長い指。向けられた優しい笑み。
最終的に俺は、発熱したかのように頭がぼうっとして、何も考えられなくなってしまった。まるでジウ王子の亡霊に、体を乗っ取られたようだった。いや、この場合は、体を取り返された、が、正しいか。アソムが割り込んできてくれなければ、どうなってしまったかわからない。
重い病に罹ったかのようだった。そして、激しい衝動の底に隠れていた甘美な痺れ。あれは、何だったのだろう。
ただひとつ、明らかなことは、全ては、上ザイード総督、シャルワーヌ・ユベールに向けられていたということだ。
理解できなかった。シャルワーヌ・ユベールは、異国の儚げな少年が憧れるような男ではない。ジル王子にしても、母国に攻め入り、自分を捕虜として連れ帰るような男に、特別な感情を抱くわけがない。
◇
一昼夜、死んだように眠った。熟した果物が木から落ちるように、ぽっかりと目を開ける。
「お目覚めになられましたか?」
俺の顔を覗き込み、アソムが泣き笑いの表情を浮かべた。昏々と眠り続ける俺を心配して、ずっと付き添っていてくれたとみえる。
彼に勧められ、食事を摂ることにした。考えてみれば、長い間、何も口にしていない。
捕虜の身なので、部屋の外で食事を摂ることは許されない。とはいえ、王族である故か、与えられた居室は二間続きで、小さな控えの間までついていた。ここは、アソムが使っているらしい。
俺の手を取り、アソムはベッドルームを出、テーブルのある部屋へと連れて行った。相変わらず細くなよやかな手が、筋張ったアソムの手の中で震えていた。
ユートパクスでは、粥と言えば、ミルクで煮込んだオートミールだったが、目の前で湯気を立てているそれは、燕麦ではなかった。穀物は砕かれてはおらず、粒の形を保っている。柔らかく煮こまれており、ほのかに甘かった。
「完食されましたね。よく頑張りました」
食事の様子を、立ったままじっと見ていたアソムが嬉しそうにつぶやいた。
頑張る?
俺にしてみれば足りないぐらいだ。ジウ王子は、食の細い少年だったらしい。疑われることを恐れ、俺は、お代わりを止め、スプーンを置いた。
「滋養強壮のお薬を」
隅の棚から、小さな四角い紙を不思議な形に折り畳んだものを出してくる。どうしていいかわからず首を傾げていると、アソムは苦笑し、無造作に紙を解いた。中には、白い粉薬が入っている。ウテナの薬は、不思議な形に包まれていた。
平たくなった紙の真ん中の折皺に、薬が集められていた。アソムがじっと見つめている。俺は、アソムのことは信用している。彼が薬だというのなら、これは、薬なのだろう。
とにかく、一日も早く、丈夫な体を手に入れたかった。俺は紙の端を口に近づけ、一気に中身を口の中に払い落とした。
「うっ、苦っ!」
危うく吐き出しそうになった。
すかさずアソムが、コップに入れた水を差しだす。水と共に俺は、苦い粉薬を飲み下した。
「偉い! 偉いです、ジウ王子!」
手放しで褒めてくれる。なんだか恥ずかしくなるくらいの激賞ぶりだ。
「以前は、薬なんていらない、とか、苦くていや、とか、さんざんこのアソムの手を煩わしていたプリンスが! お食事だって、小鳥がついばむくらいしか召し上がらなかったあなたが!」
言いながら、目の縁をハンカチで拭った。
「アソムは嬉しゅうございます」
どうやらジウ王子は、生きる気力そのものに欠ける少年だったらしい。王族に、しかも美しく生まれたというのに。
だが、俺はそういうわけにはいかない。なにがなんでも革命政府を倒し、祖国ユートパクスを、王の手に取り戻したい。
俺は、シャルワーヌ・ユベール将軍を倒さねばならない。さらに、彼の上官、オーディン・マークスも。
オーディンが邪悪なのは、よく知っている。やつは俺の、同窓生だった。貴族でありながら国王への忠誠を破り、革命軍の総司令官になった裏切り者だ。だが、シャルワーヌ・ユベールの方は、その経歴などがわからない。いや、知っている筈なのだが、思い出せない。
「ねえ、アソム。ユベール将軍って、どういう人なの?」
尋ねると、アソムは深いため息を吐いた。
「殺伐とした話になります。彼の話は、ジウ王子、あなたのお身体に障ります」
「そんなことはないよ。自分を捕虜にしている相手の情報を知ることは、大事なことだ」
俺が言うと、アソムは、まじまじと俺の顔を眺めた。
「いや、そう思うんだ」
慌てて付け加えた。そうだ。ジウ王子は、積極性のまるでない、おとなしい性格だった……。
「よござんす。私の知っている範囲でお話ししましょう」
「うん。アソムも椅子に掛けるといいよ」
俺は、向かいの椅子を指さしたのだが、律義な彼は、首を横に振った。そして、続きの部屋から、丸い木の椅子を運んできた。踏み台にもなりそうな、固いその椅子に、アソムは、浅く腰かけた。
「ユートパクスに革命が起きたことは知っていますね?」
「知ってる。国王と王妃が処刑されたのだったよね」
「あれは信じられないほど、残虐な出来事でした。私どものウテナは、島国です。それにあなたの父君の国王は、大変慈愛深い、民の庇護者であられます。ウテナでは、民は王を愛しています。革命など、」
ぶるりと、アソムは震えた。
「ところで、ウアロジア大陸の諸国は押しなべて、王を頂いています。また、各王室は、どこかで血が繋がっています。諸国にとって、革命は好ましい物ではありませんでした。諸国は同盟を結び、革命の脅威に備えることにしました。それに対しユートパクスの革命政府は、王に虐げられた諸国の民を解放するのだという名目の元、国境を越え、進軍を開始したのです」
「嘘だ!」
思わず俺は叫んだ。
「え?」
「あれは、ただの侵略だ。革命政府は、自国の領土を拡げ、人や物資を吸い上げる為に、周辺諸国に侵略を開始したのだ」
「ジウ王子……」
アソムが目を丸くしている。いけない。つい、エドガルド・フェリシンだった頃の自分が出てしまった。
我に返り、俺は、軽く咳払いした。
「と、本に書いてあった」
「王子は、御本の読み過ぎでございます。いえ、お勉強はしなければならないのですが、限度がございます。もっと運動をなさらねば。それに、年齢相応の楽しいことも」
「年齢相応の? 楽しいこと?」
前世の俺は、亡命貴族としてゲリラ戦に明け暮れていた。楽しいことと言われても、咄嗟に思いつかない。
「お出かけなさったり、ご婦人とダンスを踊られたり。そういうことでございますよ」
「だって僕は、捕虜なんだよ?」
「軽いお散歩は許されています。この邸宅に人が集まる時は、殿下にもお誘いが来るじゃないですか」
贅沢な居室といい、捕虜の身でありながら、どうやらジウは、かなりの自由を許されているらしい。
「それなのに殿下は、引きこもってばかりおられて。たまには陽の光に当たらないとお体によろしくないと、アソムは案じておりまする」
「それで、ユベール将軍は?」
延々と説教が始まりそうだったので、遮って尋ねた。丸椅子の上で、アソムが背筋を伸ばす。
「最初から順を追ってお話ししましょう。ユベール将軍は、貴族の家に生まれました」
「貴族!」
衝撃が俺を襲った。
シャルワーヌ・ユベール。
あいつ、貴族だったのか。それなのに、革命軍として戦っている。オーディン・マークスと同じ、裏切り者だ。
「ユベール家の長男は、王族に従い、国を出ました。けれど、次男のシャルワーヌは、国に残り、革命軍の将校として、東の国境で戦っていました」
東の国境。
再び、衝撃が襲ってきた。
エドガルド・フェリシン、亡命貴族だった俺は、王族のデギャン元帥の元、東の国境付近で、革命軍と戦っていたのだ。
長い国境のどこかで、俺とシャルワーヌは、敵味方に分かれて戦っていたことになる。同じ国に生まれながら、王党派と革命軍として。
間違いなく、シャルワーヌ・ユベールは、俺の敵だ。
「シャルワーヌ・ユベール将軍は、東の国境軍で名を上げました。一方、南で戦果を挙げ、革命軍を勝利に導いたのが、オーディン・マークスでした。彼の結んだ講和により、東の戦線も停戦になりました。戦争がなくなり、手の空いたユベール将軍は、自ら志願して、オーディンの部下になったといいます。そして、対岸のザイードへと、新たな侵略を開始したのです」
救いようがない、と思った。オーディンがウアロジア大陸の国々と講和を結んだのは評価してもいい。戦争を終結に導いたからだ。それなのに、再び新たな侵略を開始するとは。しかも、地続きでさえない対岸の大陸へ。
結局彼は、戦争が好きなのだ。人が死に、愛する人を喪わせる戦争というものが。
そして、平和になった東の国境でおとなしくしていればいいのに、オーディンについて海を渡り、はるばるザイードまでやってきたシャルワーヌ・ユベール。しかも彼は、自ら進んでオーディンの下にくだったという。
「シャルワーヌ・ユベールは、戦争が好きなの? オーディン・マークスと同じように?」
オーディンとシャルワーヌは、同じ穴の貉だと思った。二人とも、この手で排除しなければならないと、固く心に誓った。
「私にはわかりません、プリンス」
諦めたように、アソムは俺を見つめた。
「ですが、彼はオーディンを深く崇めています。心酔しているというか……。ユベール将軍の前で、オーディン・マークスの悪口を言ってはなりませぬぞ」
真剣な顔をして、彼は念を押してきた。
「もちろん。そんなことはしないよ」
即座に保証したが、アソムは疑わし気だった。
「プリンスは、本当に、オーディン・マークスがお嫌いですから。敵の総司令官だということを差し引いても、度を越していらっしゃいます」
ジウ王子、この体の元の持ち主も、オーディンを毛嫌いしていたとは。
何から何まで正反対の俺たちだが、そこだけは共通しているのが、不思議だった。
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