シャルワーヌ・ユベールの帰還
長い遠征から帰り、シャルワーヌ・ユベールは、傍らの留守官に剣を預けた。彼は、ユートパクス軍の将軍で、ザイード国の奥地、ここ上ザイード支配を任されている総督だ。
「いかがでしたか、オーディン・マークス総司令官殿の攻撃は」
剣を受け取り、留守官が尋ねた。
ユートパクス軍の総司令官、オーディン・マークスの進撃は、いつも電光石火だった。相手の隙を衝き、素早い勝利を勝ち取る。
「残念ながら、俺が行ったときには、既に戦闘は終わっていた。あとから数えると、ここに召喚命令が届いた時点で、すでに戦闘は始まっていたのだ。召喚状がもう少し早く届いていれば!」
シャルワーヌが嘆く。今回の戦場、ダミヤンは、上ザイードから遠く離れた南東の外れだった。馬を飛ばしても、10日はかかる。
シャルワーヌは、オーディン指揮下の戦闘に加われなかったことが悔しかった。ザイード遠征からオーディンの傘下にくだった彼は、まだ一度もオーディンの指揮で戦ったことがない。鮮やかなその采配を間近で見てみたかった。
「ユベール将軍が
留守官の言葉にシャルワーヌはため息を吐いた。
「鮮やかな勝利だったと聞く。オーディン・マークス総司令官自らが、指揮を取られたのだ。それしかなかろう。間近で彼の采配を見られなかったことが、返す返すも残念でならない」
「さすが、常勝将軍ですね!」
ユートパクスで起きた革命に端を発した戦争は、ウアロジア大陸全土に飛び火した。10年にも及ぶ革命戦争は、ユートパクス勝利で終結した。
ユートパクス革命軍を率いていたのが、オーディン・マークスだ。彼は、一度も負けたことがないという。それでつけられた二つ名が、常勝将軍だ。
周辺の国々を平らげたオーディンは、対岸のザイード国へと遠征に出掛けた。彼の不敗神話は、海を渡ったここ、ソンブル大陸でも続いている。
ソンブル大陸で、オーディンの不敗神話の大きな柱となっているのが、シャルワーヌ・ユベール将軍だった。ザイードの奥地を蛮族の手から取り戻し、住民を解放したのは、彼だ。その功績を称え、オーディンはシャルワーヌを、上ザイードの総督に任命した。
「我々は、負けるわけにはいかないのだ。人はみな、平等だ。誰かが誰かの支配下にあるなどということは、あってはならない。その為に、我々は戦っているのだ」
他の将軍が言ったのなら、この言葉は嘘くさく聞こえただろう。だがシャルワーヌが言うと、それは真実に他ならなかった。
彼は、絶対に賄賂を受け取らなかったし、不正をしなかった。部下にも許さなかった。それは時として、兵士たちの不満を買った。住民から奪わなければ、軍が生き残れない時だってあったのだ。
それでも、彼は、略奪を許さなかった。全てを兵士達と分け合い、自分は一番最後に彼らの食べ残しを食べ、飢えを凌いだ。
そんなシャルワーヌに、それまで虐げられていた住民たちは信頼を寄せた。やがてオーディン・マークスから上ザイードの総督に任命されると、彼の統治は、穏やかに受け入れられていった。
シャルワーヌは、暑い気候にふさわしい、ゆったりとした服に着替え始めた。
「留守中、変わったことはなかったか?」
「特には。ムメール軍も、砂漠の果てでおとなしくしていました」
「あいつらにはもう、俺らと戦う気力はないよ」
含み笑いをシャルワーヌは漏らした。
数百年もの間、上ザイードを支配していのは、武装集団ムメール族だ。彼らは武器を持って砂漠を移動し、あちこちのオアシスから、強制的に税を取り立てていた。ムメールは、宗主国タルキア帝国から、一応の支配権を認められていた。
つまり、ザイードはじめ、ソンブル大陸の住民は、ムメール族とタルキア帝国、双方から税を二重取りされていたことになる。これが、この大陸が貧しく、文明化できなかった大きな理由だった。
「なんとか、ザイードの民を啓蒙しなければ。税は、住民の為に使われるものだというころを、教え込まねばならない」
「まずは、ひとまず、お休みになられることです」
留守官は、シャルワーヌの身体を心配していた。戦闘に参加することはなかったとはいえ、慣れない土地での長い移動は、上官の体力を確実に奪っていた。少し痩せたようだと、副官は案じた。なんにしろ、この上官は、自分の身に無頓着すぎる。任務とあらば、どんな無茶でも平気で実行する。自分の体が、機械か何かだと思っているようだ。
「俺は、何もしないでいるということが苦手なのを、君も知っているだろう?」
もちろん、留守官は知っていた。シャルワーヌのあまりの精力的な活動に、幾人もの副官が悲鳴を上げていた。今回も、同行していた副官のサリは、長時間の砂漠の横断に疲れ果て、別室で伸びている筈だ。
「ただでさえ、
「そういえば、ジウ殿下が意識を取り戻されました」
上官の意識を、なんとか戦闘と統治、厄介なこの二つの任務から遠ざけようと、留守官は口にした。
案の定、シャルワーヌの顔に、安堵の色が浮かんだ。
「それは良かった。これで、ウテナ王に顔向けができるというものだ」
「はい。我々は、かの国から、強引に王子を略取してきましたから」
「略取はひどいな。国王自らが差し出されたのだ。我々への忠誠の証として」
「捕虜とも言いますね」
留守官に指摘され、シャルワーヌは苦笑した。
去年、オーディン・マークスに率いられ、ユートパクス軍は海を渡り、対岸のザイードに侵攻を開始した。
メドレオン海を航行中、ユートパクス軍は小さな島国ウテナ国に上陸、占領した。ウテナはザイードとユートパクス本国との中継地として、手頃な位置にあったのだ。
のんびりとした島国は、ユートパクス軍の敵ではなかった。実際に上陸したのは、シャルワーヌの師団だけだった。ろくに砲撃する間もなく、ウテナは降伏した。ユートパクス軍と政府への絶対服従の証として、ウテナ王は長男ジウ王子を捕虜として差し出した。
当初ユベール師団(シャルワーヌの師団)は、この捕虜を司令部に引き渡そうとしたが、婉曲に拒否されてしまった。遠征地到着前に、余計なお荷物を引き受けたくないというのが、総司令官オーディン・マークスの本音だったようだ。仕方なく、ウテナ王子ジウは、ユベール師団で預ることになった。
案の定、というか、しばらくして彼は原因不明の高熱を出し、人事不省に陥ってしまった。
「あ、ユベール将軍、どちらへ?」
留守官が慌てた声で尋ねた。さっさと着替え終わったシャルワーヌが、部屋を出て行こうとしたのだ。
「どこって、ウテナの王子の尊顔を拝しに行くに決まってる」
めんどうな仕事はさっさと片づけたいとばかりに、シャルワーヌは答えた。
彼は、ウテナの王子が苦手だった。
シャルワーヌは、8歳の時から、全寮制の士官学校に入っていた。学校を卒業したらすぐに入隊した。彼の身の回りは常に、頑強な男どもばかりだった。
箱入りで育った上に、線が細く色白で美しい王子をどう扱ったらいいか、シャルワーヌには、まるでわからなかった。
「ともかく機嫌を取っておけば、間違いあるまい? なにしろ、ウテナ王からの大事な預り物だからな。万が一にも、ユートパクス軍の悪い評判を伝えられたら困る」
「それが……」
留守官が言い澱む。シャルワーヌは右眉を吊り上げた。
「何か不都合でも?」
「ジウ王子におかれましては、長い昏睡から覚めたばかりで、どうやら混乱しておられるようで。自分が誰かもわからず、侍従が困り果てています」
「だが、元気は元気なのだな?」
「ええ。食欲などは、以前よりあると、その侍従が申しておりました」
「食欲さえあるならば、問題はあるまい。どれ、様子を見て来よう」
捕虜の憂鬱とか、目覚めたばかりで敵方の総督と面会する精神的な負担とか、そうした意見を留守官が述べる間もなく、シャルワーヌ・ユベールは、大股で部屋から歩み出て行った。
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