Ⅰ 砂漠とオアシス
戦場の死、そして転移
大砲の音が長く尾を引き、着弾した。どおんという破裂音が耳を弄する。息を呑む暇もなく、塔全体が、この世の終わりのように、左右にひどく揺れた。
たまらず、エドガルド・フェリシンは、両手で頭を庇い、うつ伏した。天井から、小石の混じった土埃が落下してくる。
幸い、味方の大砲は無事だった。
「応戦するぞ。砲兵、前へ!」
エドガルドは砲兵出身だ。士官学校では、工兵としての技術も叩き込まれた。
「俺達は避難する」
タルキアの隊長が言い放つ。エドガルドの目の前が暗くなった。
「まさか! なぜ!」
「この要塞は簡単に崩れるのではないか?」
「エイクレ要塞は、諸君と共に造り直した要塞じゃないか! そう簡単に崩れるわけがない!」
タルキアは、ユートパクス軍の侵攻を受けて戦っている。外国人でありながら、エドガルドは、タルキアの支援をしていた。砂漠の熱い日ざしの中、エドガルドとタルキア兵たちは、必死になって古い要塞を補強してきた。
タルキア軍戦隊長の目が、きらりと光った。
「だがお前は、ユートパクス人だ」
そう。エドガルドはユートパクス人だ。彼の祖国ユートパクスは、不当にもタルキアへ侵攻し、この国を蹂躙しようとしている。
エドガルドは、ユートパクスの貴族だった。だが革命を起こし、王と王妃を処刑するような国は、もはや彼の祖国ではない。
「確かに、俺は外国人だ。ユートパクス人だ! だが、信じてくれ。今は、タルキアの味方だ。諸君の同志だ! 俺達は、ユートパクス革命軍を叩きのめさねばならない。必ず!」
「自分の母国の軍をか?」
辛辣な眼差しでタルキア兵士が問う。
「そうだ。革命軍は敵だ」
応えるエドガルドには迷いがなかった。だが、戦隊長は、首を横に振った。
「この塔の設計者は、あんただ。俺達は自分の命を危険に晒したくない」
「俺がエイクレ要塞をわざと脆弱に造ったというのか!」
「あんたはユートパクス人だ。同じ血が流れる
「
「あんたの言うことは、信じられない……」
「エドガルドの言う通りだ」
タルキア兵の言葉を遮り、流暢なタルキア語が響いた。いつ来たのか、部屋の入口に金髪の男が立っている。
「ラルフ!」
エドガルドの声に安堵がにじむ。その彼に、安心しろとでもいうふうに、ラルフ・リールは頷いて見せた。
「いいか、勇敢なるタルキア兵士諸君。エドガルドの砲撃技術は、ユートパクス一だ。その彼が兵法の粋を結集して造り上げた要塞が、諸君の国を護っている。ここで諸君が、戦わなくてどうする」
「この男が祖国に寝返っていないという保証でもあるというのか」
すかさず、タルキアの戦隊長が問い詰めると、ラルフは肩を竦めた。
「エドガルドは国を捨てた。それで十分だ」
「信じられない」
戦隊長は強情だった。戦場では無理もないことだ。小さなミス、小さな裏切りが、生命を危うくするのだから。逆に言えば、味方の信頼がなければ、戦い続けられるものではない。
「彼がユートパクス人であることを疑うのなら、諸君は、この俺、ラルフ・リールも疑うのだな。アンゲル人のこの俺も」
アンゲルはタルキアの同盟国だ。ユートパクスから亡命したエドガルドは、アンゲル海軍将校ラルフの下に入り、祖国と戦っている。
タルキア人兵士達の意見の一致は早かった。
「いや。アンゲルはタルキアの味方だ。アンゲル国王は、われらが皇帝の味方だ」
「しかし、外国人だ。タルキアに生まれたわけじゃない」
意地悪くラルフが言い返す。
「……」
顔を見合わせるタルキア人達を、ラルフは叱咤した。
「俺を信じるなら、エドガルドも信じろ。彼は俺の命を救った。悪名高きユートパクスのギロチンからな。俺が今、ここにこうしていられるのは彼のおかげだ」
「この男は、お前を助けたのか? 祖国の獄吏を出し抜いて?」
「そう言っただろ」
タルキア人兵士達は再び、顔を見合わせた。決断は、早かった。この民族特有の踊るような足取りで銃眼に据え付けられた大砲に飛びつき、発射準備を始める。
「ありがとう、ラルフ。助かった」
ほう、と一息つき、エドガルドが言った。
ラルフが眉を上げてみせる。
「事実を言ったまでだ」
「だが、君がいなければ、俺は彼らを抑えきれなかった」
「タルキア人の考え方は、俺らとは違うからな。なにせ彼らが信じているのは神だけだ。外国人の司令官なぞ、くそも同じさ。気にするな」
「君には本当に感謝している」
エドガルドが声を詰まらせると、ラルフはくすりと笑った。
「じゃ、さっさと戦いを切り上げて、今夜はサーヴィスしてくれよ」
「ラルフ……」
思わずエドガルドは顔を赤らめた。にやりとラルフは笑った。
「もちろん、我々の勝利で、一日を終えてから」
「当然だ」
エドガルドは、物見窓から下を覗いた。入り組んだ湾に、アンゲル軍の艦隊がぎっしりと並んでいるのが見える。
海賊として個人的にユートパクス軍のフリゲート艦に放火し続けてきたラルフ・リールはその功績を買われ、また海洋での知識と人脈を認められ、ついに母国アンゲル軍の艦隊を任されるまでになった。
「見てみろよ、ラルフ。栄えあるアンゲル艦隊が、君を待ちかねているぞ。下らん軽口を叩いてないで、さっさと持ち場へ帰れ」
「じゃ、また、大砲を盗んでこようか。もちろん、ユートパクス軍から」
「弾丸と弾薬もな」
「人使いの荒い指揮官殿だな」
敵の補給船を襲い、武器弾薬を強奪する。奪った砲弾は、敵に向けて使用する。
それが元海賊、ラルフ・リールのやり方だ。
去りかけ、ラルフは、入り口で振り返った。
「じゃ、楽しみにしてる」
「は? 何を」
「お前とのスウィートな一夜をだよ、ハニー」
帽子かペンか、ともかく何かを手にしていたなら、エドガルドはそれを、ためらわずに、ラルフに向けて投げつけていただろう。
それなのに彼は、にやにや笑いながら、エドガルドに投げキスを送ってきた。
エドガルドの殺気を感じたのか、あっという間に、ラルフは走り去っていってしまった。
……なんであいつは、いつも……。
……アンゲル人はみんな、ああなのか?
赤らめた頬を、エドガルドはそっと伏せた。
アンゲルやユートパクスなどウアロジア大陸の国々と違い、海を渡ったここ、ソンブル大陸の人々は、謹厳だ。それが男女の間柄であろうと、人前で二人の関係を匂わすようなことは、恥とされる。
幸いタルキアの兵士たちは、大砲の準備で大わらわだった。外国人の指揮官二人のやり取りに気を留めていた者はいない。
ようやく、中の一人が振り返った。
「大砲準備完了! 指示をくれ」
「9時の方角に向けて、砲撃準備!」
エドガルドは命じた。
通眼鏡を目に当て、のぞき窓から東の方角を覗く。
遥か向こうの丘陵に、ユートパクス軍の野営地が見えた。せわしなく兵士らが行き交っている。
その時、丘陵の真ん中あたりで、なにかが、きらりと光るのが見えた。目を凝らし、エドガルドは、自分と同じように通眼鏡を目に、こちらをじっと見ている、小柄な男の姿に気が付いた。
「オーディン・マークス!」
ユートパクスの革命政府軍の司令官としてめきめきと頭角を現してきた将軍が、通眼鏡を目に当て、エドガルドを睨み据えていた。
オーディン・マークスのことは知っている。士官学校の同窓生だったのだ。同じ砲兵科で、机を並べて学んだ。
エドガルドがタルキア人兵士らに警告を発する暇もなく、オーディンの右手が上がった。
次の瞬間、大地を揺るがす轟音が、エイクレ要塞を包んだ。同じ標的を狙い、複数の大砲が立て続けに砲撃を始める。轟音は途切れる間もなく、半時もの間、鳴り響いた。
ユートパクス軍の砲撃が止み、硝煙の霧が晴れた時、エイクレ要塞は、跡形もなく崩れ去っていた。
◇
瞼を突きさす光が眩しい。太陽の質が違うようだ。ここは……。
はっとエドガルドは目を開けた。
……病院?
最初に思ったのはそれだった。
自分は、エイクレの要塞で、ユートパクス軍の爆撃を浴びて……。
……生きていた?
意外だった。通眼鏡越しに見た、敵方の司令官、エドガルドの同窓生でもあるオーディン・マークスの目は、確かに、彼を殺すと語っていた……。
寝たまま、恐る恐る体を動かす。両手両足がある事実に、まず、安心した。体の一部を欠損し、破傷風で死ぬのは、戦地で最も残酷な死といえた。
スムーズに四肢は動き、体のどこにも痛みはない。楽に起き上がることができた。
「!」
なんだ、この贅沢な寝間着は。まさか、絹……? それに、ボタンがついている! 前立てに、一つも欠けることのないボタンを見たのは、久しぶりだ。
「ああ、ジウ王子! 良かった。気がつかれた!」
年老いた侍従が駆け寄ってきた。彼は、異国風の服を着ていた。メドレオン海に浮かぶ島々でよく見かける、一枚布で作られた衣装だ。
「どうなることかと思いましたぞ! 年寄りを心配させるものではありませぬ」
「あなたは?」
「私を忘れたと申されるのか!? まさか! 殿下が御幼少の頃からお仕えしてきたアソムです!」
聞き覚えの無い名前だ。エイクレ要塞には、大勢の人間がいた。タルキア人だけではなく、エドガルドやラルフのような外国人もいた。中には、人質になっていた者もいたかもしれない。
ジウとかいう王子と、爆撃の中で取り違えられたのかもしれないと、エドガルドは思った。
「勘違いをしておられるようだな、ええと……アソム殿。俺は王子などではない」
そう言う自分の声に違和感を感じた。いつもの自分より、高く、細く聞こえる。
アソムの顔が引き攣れた。
「何を申されます! 貴方はまごうことなきウテナ国の第一王子、ジウ殿下であられます!」
「ウテナ国? ジウ王子?」
「ああ、混乱しておられるのも、無理もない。殿下は突然の不調で、3ヶ月もの間、眠っておられたのです!」
「3ヶ月だって?」
エイグレ要塞が陥落してから、3ヶ月も経つというのか。
海軍のラルフは、いや、エドガルドを信じてついてきてくれたタルキア兵は、どうなってしまったのだろう。自分は彼らを、3ヶ月も放置していたというのか。
起き上がろうとしたエドガルドは、激しいめまいに襲われた。
「いけません! 申し上げたばかりではないですか! 殿下は、半年もの間、臥せっておられたのです」
アソムの手が伸びてきた。払いのけようとしたが、簡単に寝かしつけられてしまった。
年老いた従僕なのに、彼の力にたやすく屈っしてしまった自分に、エドガルドは愕然とした。
ふと、袖のめくれた自分の手首に止まった。あまりに細く、白かった。
目を下げると、跳ねのけられた布団の下からは、見たこともないほど華奢な足が覗いている。
……俺の、足?
「……鏡を持ってきてくれ」
掠れた声で、彼は命じた。
侍従の運んできた手鏡を、震える手で取り上げた。南国風の複雑な彫刻で縁取られた鏡を覗き込む。
エドガルドは、驚愕した。
水色に近い薄いグレイの髪で縁取られた髪、病的なまでに白い肌、灰白色の瞳。
見たこともない顔が、こちらを見返していた。
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