第8話

「一虎君と同じ五年A組の峯岸翼さんが、二階から落下した件をご存知ですか」


 二人に話を向けると、間に挟まれて窮屈そうに座っていた一虎の肩がピクリと動いた。


「そんなことがあったのか? 俺は知らんが、お前は知ってたか」


 話を振られた藍子も首を横に振っている。


「私も知らない。ていうか、愛瑠ちゃんも転落して目を覚まさないんでしょ。いったいどうなってるのよ、五年A組は」

「神原愛瑠さん件については、事実はともかく偶発的に起こった事故だと警察は判断しています。ですが峯岸翼さんに関して言えば、事故ではなく故意に突き落されたものだと私は確信しています」

「なんだなんだ、話が見えてこねえな。回りくどい言い方はよせ」


 二本目の缶ビールを取りに席を立った誠也を、藍子は嗜めるように鋭い目線で見送っていた。段々と顔色を悪くしていく一虎に、話の矛先を向ける。

 

「一虎くん。こうなったら自分の口で説明したほうがいいんじゃないかしら」

「は、はあ? 俺になにを説明しろって言うんだよ」

「それは自分が一番良く理解してるはずだけど」


 親を真似てか、短い足を組みながら変声期前の声を精一杯低く響かせとぼけてみせた。他人を敬うことを知らない口調と、小学五年生らしからぬふてぶてしさがかつての誠也と瓜二つで、反吐が出る。


「一虎。あんた、なにかしたの?」

「なにも知らないって。つか、いきなり人んちに来て何様のつもりだよ。オバサン」

「あんたって子は本当に口が悪いんだから。ごめんねえ典子。ウチのバカ息子が」


 そう叱る藍子も、息子と同い年の頃は高慢ちきな態度を取っていただろうに。

 他人の心情をおもんぱかることもせず、自分勝手に周囲を振り回しては世界が自分を中心に回っていると思いこんでいた過去の自分は、いくら取り繕ったところで消えはしない。


「雨宮。一虎がなにをしたって言うんだ。この時期はわんぱくぐらい大目に見てくれよな」


 戻ってきた誠也が一虎の頭を撫でながら、胡乱な視線で雨宮を射抜く。もしも榎本が対峙していたら、クロをシロに塗りつぶしかねない威圧感を放っている。が、そんな些末なことは雨宮にとってどうでもよくさっさと本題を切り出した。


「峯岸翼さんは事故ではなく、ある人物に突き落とされたんです。そして、その犯人は一虎くんで間違いありません」


 短く、しかし断定的な物言いに誠也も藍子も目を丸くして、周囲の時間が一瞬止まったような沈黙が流れた。


「おいおい、ふざけたこと抜かすなよ。一虎、そんな真似するはずないよな?」


 父親の詰め寄られた一虎は、咄嗟に首を縦に振って否定した。ここで正直に事件の真相を打ち明けてくれるのでないかと密かに期待していた雨宮は、視線を合わせようとしない一虎に落胆していた。

 結局、コイツも両親と同じ穴のムジナかと。


「典子さ、なにか勘違いしてない? そりゃあうちの息子は馬鹿でヤンチャだけど、他所の子供を突き落とすような真似はしないよ」

「だよな。第一、息子がやった証拠があるってのかよ。まさか俺達の息子ならやりかねないって決めつけてるわけじゃねえよな」

「担任の薬師寺先生が真実を教えてくれましたよ。一虎くんが一般生徒は立入禁止の非常階段で複数のクラスメイトと共に、峯岸さんを突き落とそうとしてふざけていたら手のひらで肩を押した瞬間――地面に落下したと」


 二人は言葉をなくして、揃って一虎に視線を向けていた。お構いなしに話を続ける。


「さすがに焦ったのでしょうね、薬師寺先生を呼んでなんとかしてくれって頼んだみたいです。彼女は彼女で事実が発覚するのを恐れて、大人しい峯岸さんに漬け込むような形で〝自分で落ちた〟と言わせるように仕向けたのです」


 薬師寺から聞いた事実を告げると、もう言い逃れができないと悟ったのか初めの威勢の良さがどこかへ消え失せ、項垂れながら震える声で「ごめんなさい」とつぶやいた。


 一度認めると、図体に似合わない嗚咽を漏らして泣き始め、許してください」と完全に自分の非を認めたが、残念ながら話はまだ終わりではない。


「問題なのは今回の事件だけではありません。一虎くんは常習的に峯岸さんをイジメていたことも発覚しています。それは陰湿で、口にするのもはばかられる行為ばかりでした。体には複数の痣が出来ていて、まるでお二人がにしたような行為が繰り返されていたようです」


 雨宮が口にした朱莉の名前に、一番反応を示したのは藍子だった。二人は緑ヶ丘小学校に通っていた当時、朱莉を執拗にイジメ抜いていた過去がある。


 悲しいことに時代はイジメられている側にも問題があると捉える風潮が根強く存在していた。学校側にも好き勝手暴れる生徒の愚行を止められるほどの、器量がある教師が存在しなかったことが朱莉にとって最大の不幸だった。


「もしも担任が適切な行動を取っていれば――今回のような結果には繋がらなかったかもしれません。そうよね、一虎くん」


 項垂れたまま震えている一虎に声を掛ける。顔を上げると、鼻水は垂れて目は真っ赤に充血していた。


「もしも落下した先に植え込みがなかったら、大怪我を負っていたかもしれない。それはわかってる?」

「……はい」

「最悪、命を失っていたかもしれない。それもわかってる?」

「……は、はい」

「本当に自分が悪い事をしたと反省してるのなら、しっかりと峯岸さんに謝罪をしなさい。いい?」


 涙声で頷く様子を見て、まだこの子は更生する余地があると思った矢先に、両親ともども慌てた様子で会話に割り込んできた。


「ま、まあ待てよ。雨宮が言ってたように、ふざけてたら落ちたんだろ? そもそも、その峯岸っていうガキも本当に嫌だったら反抗すればよかっただけの話じゃねえか」

「そうよ。これは子供同士の遊びの延長線上で起きた不幸な事故よ。まさか……向こうの親御さんが訴えるなんて言い出さないわよね? 怪我だってたいしたことないみたいだし」


 この二人は――。身勝手な言い分を聞いてると頭が痛くなってくる。実の子供が起こした〝事件〟を本人は認めているにも関わらず、誠也も藍子も頑なに認めないどころか、逆に峯岸にも非はあると受け取られかねない発言には呆れる他なかった。


 悪ガキだった頃から少しも成長していない倫理観に腹が立ち、無意識のうちに拳を握りしめていた。


「イジメられている人間が、イジメを行っている張本人にやめろって簡単に言えるわけ無いでしょ」


 途端に言葉をなくした二人は、バツが悪そうにそっぽを向いた。キッチンから聞こえるお湯が沸き立つ音が、いつまでも煩く鳴いている。 


         ※


「雨宮先生、あの、話があるんだけど」


 停めていたバイクにまたがり、ヘルメットを被っていた雨宮のもとに息を荒らげてやってきた一虎が声をかけてきた。


「あの、先生はさっき、峯岸の体に痣があるっていたよな。」

「ええ。最近のものはないみたいだけれど、あなたたちがつけたんでしょう」

「違うんだ」


 一虎は大袈裟に頭を横に振る。


「俺たち、確かに峯岸のこと馬鹿にしたり、その、イジメてたりはしたけど、痣がつくような真似はしてないんだよ」

「それはおかしいわね。他に彼女がイジメられてるなんて話は聞いてないけど。そのあたりの話も月曜に聞きたいから相談室にいらっしゃい」


 ここに来て言い訳かと、溜息を吐いてヘルメットを被り直そうとすると、まだ話があると止められた。


 仕方なくエンジンキーをオフにすると、しばらく口籠っていたのだが決心がついたのか、喉が上下に動いた。


「神原のことなんだけど……」

「神原さん? 彼女がどうしたの」

「あのさ、先生って緑ヶ丘小学校の卒業生なんだろ?」

「ええ。話してはなかったけど、あなた達の先輩に当たるわね。でも、それが神原さんとどう関係するのかな」


 雨宮が緑ヶ丘小学校の卒業生であることは、積極的に明かしていなかったので大方教師の誰から聞いたのだろうが、どこで知ったのか尋ねると、赴任初日に交通ボランティアをしていた室屋の母親との会話を聞かれていたらしい。


「卒業生の先生なら知ってるかと思って、聞きたいことがあったんだ」

「なにかな? 私が知ってることであれば教えられるけど」

「あのさ、って知ってる?」


 思いがけない質問に、口の中が一瞬にして乾いてしまい、うまく言葉を発することが出来なかった。


 何故、その名が一虎の口から出てくるのか、皆目検討がつかない。〝アレ〟はとっくにこの世から消滅してはず――それがまだ緑ヶ丘小学校に残っているなんて、あり得ない。


「先生? どうしたんだよ。ぼーっとして」

「……いえ、なんでもないの。ところで、その名前をどこで知ったの?」


 動揺を悟られないように、正常心を保って尋ねる。


「神原だよ。俺はアイツと仲良かったんだけど、転落事故に遭う前にちらっと聞いたんだ。って。なんのこと言ってるのかわからなかったし、その時は軽く聞き流してたんだけど、実際あんな事故が起きたあとに峯岸があんなこと言うから……突き落としちゃったんだ」

「あんなことって、いったいなにを峯岸さんは口にしたの」


 もはやちゃんと呼吸が出来ているかも怪しいくらいに、心臓の鼓動が高鳴っていた。シートから下りた雨宮は、加減も忘れて一虎の肩を掴んで問い質した。


「非常階段で遊び半分でからかってたら、『お前たちもワラシベサマに呪われろ』って言ってきたんだ。それで怖くなって……」

「なるほど。そうなのね……」


 あの日、預かり知らぬところで何があったのか理解した雨宮は、無言でエンジンをかけると自分の名を呼ぶ声を振り切ってアクセルをふかした。運転中の記憶はあまりない――ただ、二十年前の記憶が奔流となって雨宮の身体を飲み込んでいった。

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