第3話

「いったいどのクラスの生徒が、こんな馬鹿な真似をしたんですか」


『生徒入室厳禁』の札が掲げられた職員室に、今にも卒倒しそうなほど顔を赤くした教頭の一喝が響く。カラカラと気配を殺すように開かれる引き戸の音がして後方に目を向けると、プリン頭の少年が中の様子を覗き込んでいた。


 気取られているとは思わなかったのだろう。雨宮の視線に気がつくと慌てた様子で、扉もそのままに駆け足で逃げていった。廊下の先からふざけあう複数の声が聞こえる。


 雨宮が子供の頃にも似たような真似をしていた男子がいたものだ。禁じられれば禁じられるほど破りたくなる子供のさがは、いつの時代も変わらないらしい。


 弛緩した空気を引き締める教頭の咳払いに、生徒が覗いていた扉に近い教師が申し訳無さそうに席を立ち鍵を締める。


「まったく、近頃の子供の行動原理はさっぱりわからん。転落事故の現場の写真を撮影すること自体理解不能だが、SNSに投稿するとは常軌を逸している。先生方は今一度、スマートフォンの扱いについて生徒に厳しく指導するように」


 教頭が顔を真赤にして怒鳴っているのは、昨日投稿された一件の写真に対してだった。捨て垢だと思われるアカウントから転落した女子児童と、その隣で懸命に応急処置を施していた雨宮を俯瞰する形で写されていた画像を、運営側から削除される前に雨宮も確認している。


 転落した生徒は搬送先の医師の懸命な治療により、奇跡的にも一命を取り留めてはいたものの、全身骨折、内臓破裂、脳挫傷――特に脳の、それも生命維持活動に直結する脳幹付近に出血が見られ昏睡状態が続いている。


 雨宮が緑ヶ丘小学校に赴任して一週間が経過しているが、未だにそれは変わらない。


「可哀想になあ。回復の見込みは低いんだろ」


 職員室の何処から、教師間でひそひそと会話をする声が聴こえる。執刀医によると生命維持装置の力を借りて生きながらえてはいるが、今後目を覚ます可能性は限りなく低いとのことだった。


「あの、やはり自殺の線は考えられないのでしょうか」


 恐る恐る手を上げた教師の質問に、職員室の何処かから舌打ちが鳴る。雨宮には下手に蒸し返してくれるな、という意思の表れに聴こえた。


「いいですか。何度も申し上げている通り、我が校に〝イジメ〟など存在しません。神原愛瑠かんばらめるは確かに立入禁止の屋上に忍び込んでいましたが、同級生の聞き取りで小窓から頻繁に立ち入ってたようじゃないですか。おおかた足をすべらせたかして転落したんでしょう。下手な憶測の元での発言は、厳に慎むようお願いしますよ」


 教頭の言葉で押し切る形で会議がお開きとなると、一時限目の授業の準備で職員室は途端に慌ただしさを増していく。


 貴重な時間を潰されたことに対する不満がぼそぼそと漏れ聞こえる中、雨宮の隣の席で居眠りしていた榎本直之えのもとなおゆきが馴れ馴れしい態度でパーソナルスペースに踏み込んできた。


「その資料って、もしかして神原愛瑠かんばらめるのものですか」

「これですか。ええ、まあ」


 見られないようにパソコンの画面をそっと閉じると、榎本は悪びれもずに閉じたパソコンを開けると、会議中に見ていた資料を覗き込んできた。


 二年B組を任されている榎本は二四歳ととまだ若く、百八十センチを超える長身と売れっ子の俳優に似ているという顔立ちから、女子生徒の間で「イケメン先生」と持て囃され本人もまんざらではない様子だった。


 自分がいかに生徒から人気があるのか語りだすと止まらないので、もとより恋愛に興味がない雨宮ではあったがそのなかでも最底辺の位置に密かにランク付けしていた。


 そうとも知らずに榎本は、授業で使う特大の三角定規で肩を叩きながら、椅子の背もたれを軋ませ話しかけてくる。


「事故後に神原愛瑠の人となりを調べていたんですよね。なにかわかりましたか?」

「いえ、これといって有益な情報はなにも。担任教師もその他の先生も、神原愛瑠についてイジメがあったような証言はありませんでした。カウンセリングに訪れる生徒に尋ねても、似たりよったりの答えが返ってくるだけです」

「だから言ったじゃないですか。神原がイジメられてたなんてあり得ないって。担当する学年が違う僕の耳にも、彼女がいかにカースト上位に君臨していたか届くくらいなんですから」


 榎本の言う通りで癪だが、イジメを苦にして自殺した線は雨宮が調べた限りでは、可能性はゼロに近い。その点は警察も同意見で、単なる事故として処理される流れだった。


「僕たちが子供の頃にスクールカーストなんて言葉はありませんでしたけど、やっぱり運動神経が優れている友達はそれだけで人気者扱いでしたよ。雨宮先生はどうでしたか」

「さあ。どこも同じだと思いますけど」


 インドの身分制度を引用して度々用いられるスクールカーストは、その名が示す通りクラスの序列ヒエラルキーを表す言葉である。


 神原愛瑠はカースト上位、いわゆるクラスのリーダー的存在で、実家は駅前のタワーマンションの最上階。テストの成績も非常に優秀。習い事を複数掛け持ちしてなかでもピアノはコンクールで優秀賞を受賞するほどの腕前と、恵まれた環境だけでなくそれに甘んじない努力を怠らない少女というのが、聞いた限りでの印象だった。


「なにより彼女のことを悪しざまに言う生徒はいませんよ」

「でも、子供は大人が考えるほど純粋なものではないですよ。それが女性であればなおさら」

「女性って、高校生くらいならまだわかりますけど、神原愛瑠はまだ小学五年生ですよ」

「榎本先生はご存じないんですか? 五年生ともなれば立派な〝女性〟ですよ。もしかしたら誰も知らない一面があるかもしれませんし」

「うーん。僕はないと思いますけどね」


 人当たりも良く、同級生はもとより下級生にも分け隔てなく接する優しい子だと、担任教師も所感を述べていた。悩みもあるようには見えず、むしろ他者の悩みを共有する非の打ち所がない生徒だと。


 ――だとしたら、何故常習的に屋上に無断で侵入していたのだろうか。


 屋上に続く扉の鍵は施錠されていたものの、天井近くの小窓は誰でも開閉が可能で、体が小さな子供であれば潜り抜けられる事が判明している。


「こんな事言うと教師失格だと思われかねませんけど、本人が目を覚まさない限り、いくら調べても想像の余地を出ませんよ」

「わかってます。あくまで選択肢を消したいだけですから」

「選択肢を消す、ですか。真実を知りたいんじゃなくて?」


 意味がわからないという顔をしている榎本に、腕時計の針を向けると今日始めて慌てた顔を見せた。


「それよりいいんですか? そろそろ教室に向かわないと授業に間に合いませんが」

「あ、ヤベ。急がないとまた主任に怒られる」


 ガチャガチャと騒々しい音をたてながら職員室を後にする榎本を見送ると、自分ものんびりし出る場合ではないと席をたった。

 

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