4.勇気を出して
「初めてなの?」
「え、う、うん」
茜に問われて凛は曖昧な返事をして見せた。少し俯いた彼女の面差しが何とも可愛らしくて茜は少し妖艶な微笑みを見せる。
「じゃぁ、ここをこう持って……」
「は、はい」
「少し脚開いて、ちょっとだけ腰を曲げて、うふふ、大丈夫だから……」
茜の手が太腿の内側に触れ暖かな感触が伝わって凛は思わず小さく声を上げる。
「……あ」
凛のちょっと緊張気味に上気させる頬に視線を浴びせながら茜は妖艶で少し謎めいた笑みを浮かべる。
「そう、上手ね。じゃぁいいかしら」
「う、うん……」
再び曖昧に返事をした凜の頬にちょこんとキスをしてから茜は凛の横から二~三歩離れてネットの後ろに入る……と同時に役十八メートル離れた真正面に有るモニターに映し出されたピッチャーが投球フォームに入りその画像に合わせて凛に向かってボールが投球される。
「やっ!!」
完全にカンだけで凛はバットを振った瞬間、その先端に白球が当たりその感触が腕に伝わると同時にボールは画像として描かれた物だがバックスクリーンを直撃した。
「……はゃぁ」
自分で自分に驚きバットを振りぬいたままのポーズで固まる凜、そしてその背後から拍手をしながら笑顔と共に茜が表れる。
「凄い凄い」
嬉しそうに頷きながら茜は凛の横まで進み出るとちょこんと小首を傾げて見せる。
「凛君って、案外野球のセンス有るかもね」
「え、そ、そんな事は」
「バッティングセンター初めてでいきなりホームラン打てれば立派な物だと思うけど」
「ま、まぐれだよ」
確かにその通りで今のホームランはビギナーズラックでしかないのだが込み上げてくるわくわくが抑えきれない様子は茜にもはっきりと感じ取る事が出来た。父親がスポーツにあまり関心が無かったせいか男の子時代も体育の授業でソフトボールを少しやった程度の経験しかなかったから、この打球に一番驚いているのはバットを振りぬいた凛本人だった。その驚きので呆然とする彼女に茜がにこやかに語り掛ける。
「煮詰まった時は体を思いっきり動かすのが一番なのよ。私も絵を描いてて行き詰ったらよくここに来るのよ。思いっきり体動かして汗流してお腹減らしていっぱい食べてばったり眠るの。そうすると何故だか良く分からないんだけど突破口が見えるのよ」
「ふ……ふ~~~ん」
時々と絶えどころのない茜だが、裏では結構悩んで努力している事を凛は悟った。ただ、自分がビアンと言う悩みに関してはどうする事も出来なくなって凛に泣きつく格好になってしまったが彼女は成績優秀で芸術家肌でちょっと色っぽいお姉さんで有り、意外と頼りになったりする。だから凛の気持ちが紗久良を通り越してふらついたりするのだろうか。
★★★
結局、凛のバットにボールが当たったのは最初の一球だけで後は全部空振りだった。しかし、空を切るだけでもバットを振り回すと言う結構ハードな運動は凛の気持ちにほんのちょっとの変化を与えた。そして、見上げた夜空でまたたく星達の輝きが清々しく見えた。
「少し元気になったみたいね」
「え、あ、うん……」
バットを振り回すたびに大声で叫んでいたせいかちょっと喉がひりひりして声が掠れているのが少し恥ずかしくて凛の頬が朱に染まる。しかし、吹っ切れた表情を見せる彼女の面差しを茜は柔らかな微笑みで受け止めた。そしてその表情と視線が交差した時、彼女に対する印象が変わり始めて凛は思わずはっとする。
「どうかしたの、凛君……」
「え、あ、その……いえ、なんでもないです」
妙にはにかんで見せたその様子がちょっと気になり茜はその場に立ち止まる、それに合わせて凛も歩くのをやめる。同時にまだ熱の冷めない夏の風が二人の頬を撫で髪の毛をふわりと揺らして立ち去った。周りを歩く人々は家路を急いでいるのだろうか、それともこれからどこかに繰り出そうと画策しているのか、とりとめのないざわめきは集団の中の孤独を演出している様にも感じられた。
「あの、茜……さん」
妙に改まった口調で切り出された茜はぴくんと眉尻を動かした。
「お願いが有るんです……けど……」
かなり切れが悪くて言葉尻がいちいち途切れる少しじれっくなるトーンで話す凛を茜はちょっと微妙な笑顔で見詰める。
「なぁに、凛君の頼みなら何でも聞くわ、私も無理なお願いしちゃったしね」
「うん、あの……」
中々言いたいことを口に出せない凛に少し歯がゆさを感じながらもこんな時は待つしかないと茜は気長に待つことを選択し彼女が居痛い言葉が出て来るのをひたすら待つことにした。付き合いが始まってまだ間もない二人だからその性格を完全に把握している訳では無い、いや、人間の性格など人生が終わるまでかかっても正確に把握することなど不可能なのは付き合いが深くなればなるほど実感できるのかも知れない。完全に分かったと思えるのは付き合い方がまだ浅い証拠ともいえる。凛と茜の関係はこれからが本番なのかもしれない。
それを知ってか知らずか星空は煌めきながら二人を見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます