7.恋心点火への導火線

「どこ行くんだ、凛?」

「え?」


 昼休み、お弁当を持って教室から出て行こうとした凛を後ろから今野が呼び止める。毎日ではないが、二人は頻繁に昼食を共にする。それが原因かどうかは分からないが一時期二人が付き合っているのではないかと言う噂がまことしやかに広がった事が有ったが、ただ単なる幼馴染だと言う事を力説し、二人とも別に付き合っている恋人がいる事も理解されて誤解は無事に解消されて周りからは仲の良い友達同士と言う認識に変わっていた。


「え……いや、べ、別に」

「別にって、別じゃないだろその行動は」

「あ、いや、だからさ」

「だから?

「うん、まぁちょっと……ね」


 照れ笑いで誤魔化そうとする凛の表情は不自然そのもの、後ろめたさも滲んでいる。


「ま、まぁ、そう言う事なんで……あ、じゃ、じゃぁね」


 返事にも釈明にも説明にもなっていない無意味な言葉を残して凛は無理矢理今野を振り切って教室から出て行った。そして後に残された今野はただならぬ違和感と疑念を抱きながらその場に立ち尽くした。


 ★★★


 桜の季節はとっくに終わりを告げていて、葉が茂り木漏れ日がきらきらと振り注ぐ。その根元で二人は再会する。


「こんにちは凜君、ご機嫌いかが?」


 茜はまるで桜の木の精が具現化したみたいに少し芝居じみた演技で凛を出迎える。


「え、あ、はい……」


 その柔らかな動きに見とれ凛はほんのり頬を染める。その様子を見て茜は一歩近づくと凛の額に自分の右掌を当てる。


「顔が赤いわ、熱でも有るの?」

「あ、いえ、そんな事は」

「そう、なら良いのだけれど。このご時世、熱を出すのは厄介よ、気を付けないと」

「そ、そうですね」


 そう言いながら瞳を覗き込んで来る茜の体温が空気を介して伝わってくると凛は少し戸惑った表情を見せる。その仕草を見詰める茜は唇が触れそうになるくらいに顔を近づけると自分の額を凛の額にくっつける。そして暫くの間目をつむってからゆっくりと離れて行った。


「うん、熱は無さそうね」

「あ、そ、そうですか……」


 いや、凛には十分熱が有った。彼女に伝わらなかっただけで胸の内はじんと痺れてメルトダウンしそうな程に熱を帯び眩暈すら感じそうになった。


「じゃ、頂きましょうか」


 茜は桜の木の根元に腰を下ろすと明るい緑色のハンカチ絵で包まれたお弁当を小さく振って見せた。


「あ、は、はい」


 自分の隣を掌でぽんぽんと軽く叩いて見せた茜の横に凛はふらふらと吸い込まれる様に歩み寄るとそこに糸が切れた操り人形の様にぺたんと座り込む。そして、目の前の彼女に視線を移すとほんのりと赤らむ頬が視界に飛び込んで来る。凛だけではない、彼女もこの時間を楽しんでいるのだとそう察した時、凛の胸はどきどきと高鳴り再びじんわりと熱いものが込み上げて来た。


 その様子を遠くから双眼鏡で伺う鋭い視線が有った。彼の視線は、暗闇を切り裂くサーチライトのように教室の窓から二人を捉え一瞬の隙も見逃さなかった。そして、双眼鏡を下ろすと溜息交じりに小さく言葉を吐きだした。


「何やってんだあいつ……」


 凛の異変に気付いた今野は彼女が教室を後にしてからの足取りをトレースしていた。そして、桜の木の下での楽し気に何事かを話し込む二人の様子はただならぬ雰囲気を醸し出している事は明らかで何かに病的に魅了されている様に感じられた。


「ったく……」


 舌打ちでもしたそうな表情で今野は徐に双眼鏡を再び目に当てると飛び込んできた光景にぎょっとする。


「はぁ?」


 少し木の陰に隠れているからよくは分からなかったのだが、隣に座っている女の子が凛の頬に口付けした様に見えたのだ。


「お、おいおい」


 何処の誰とどんな付き合い方をしようと凛の自由で会ってそれに対して口を挟む権利もないし男の友情とはあまり関係無い気はする。しかしながらなんとなくではあるがちょっかい出した方がいいのではないかと言う胸騒ぎにも似た予感に襲われ今野は二人の間への介入を決意する。放っておくと話がややこしい方向に進みそうな気がしたからだ。彼の脳裏にとある人の顔が浮かぶ、そしてその人の名を小さな声で呟いてみる。


「……紗久良…さん」


 凛が紗久良の事を忘れているとは思えないが、仲をある意味取り持った責任感と言うか義務感がふつふつと湧いて出る。そしてそれは男の友情に結び付くと言う結論に達して未然防患みぜんぼうがん、先手必勝、forewarned is forearmedの炎が漢、今野の心に燃え上がった。


「まずは情報戦と行きますかね」


 双眼鏡をゆっくりと下ろすと徐に教室の窓に背を向けて自分の席に戻ると何事も無かったかの様に椅子に座り何事か思案を始める。導火線を燃やしながら爆弾に向かう炎をどうやって効率的に、かつ違和感無く誰にも気付かれずに消化する方法、思考は全力でそこに注がれた。目を閉じて少し俯き、何事かをぼそぼそと呟いてからゆっくりと目を開る。その瞳の奥に輝く鈍い光は盲目状態の凛の目を覚ますことが出来るのだろうか……それは神のみぞ知る、そんな雰囲気だった。

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