5.茜色の時

「柄澤さん」

「凜君」


 翌日の昼休み、視線を合わせて互いに呼び合う凛と茜は再び図書室で待ち合わせの後に連れ立ってグラウンドの隅にある桜の木の下に出掛けて行った。二人で一緒に昼食と言う約束をしていたのだ。そして、グラウンドの隅の桜の木の下に座り込むと茜はシェリーピンクの生地に白で紗久良の絵柄があしらわれたハンカチに包まれたお弁当箱を軽く振って見せた。


「今日は凜君とお弁当だから私の一番のお気に入りのハンカチ使っちゃった」

「へぇ、可愛いですね」

「実はこれ、幼稚園の頃にお母さんに買ってもらったの。小学校は給食だったから使わなかったけど、中学に入ってからまたこれのお世話になってるのよ」

「へぇ」

「それでね、これは特別な日にだけ使う事にしてるの」

「特別な日?」

「そう、凜君とお友達になれて初めて一緒のお弁当、特別な日、でしょ?」


 茜の笑顔が少し夏に近づいた太陽の元できらきらと輝のを見て凛の心臓はどきりと大きく脈打った。その理由をその場で完全に理解することは出来なかったが一つではあるが年上の女の子、一人っ子で兄弟のいない凜が初めて間近で見る母親以外の少し大人の女の子、その特別さに少し戸惑ってしまったのかも知れない。


 彼女の身長は凛よりも拳一つ分くらい高くて並んで歩くとほんのちょっとだけ上から注がれる線に何故かくすぐったく感じるのは気恥ずかしさから来るだけの感情ではない様な気がした。お今にも泣き出しそうな雰囲気の手紙を送った人とは思えない明るさを湛えたその笑顔は屈託が無く、年相応の輝きを纏い、凛にとって初めて接するの年上のお姉さんだからだろうか、それが何だか魅力的に感じられた。


「……そ、そうなのかな」

「うん、私、中学生の頃から誰かとお弁当食べた事って無いんだもの」

「え、そうなんですか?」

「そうなの。なんか私って近寄りがたいオーラみたいのが有るみたいで……」


 周りから見れば茜は美しすぎるのだ。整った面差しに白い肌、そしてサラサラの髪の毛はいいところのお嬢様を連想させる華が有って特に大きな瞳は確かに奇麗なのだがそれ故に威圧感を感じなくもない。見方によっては頼り甲斐が有りそうな雰囲気では有るのだが裏を返せばそれが乗り越えられない壁になる。一度話をしてしまえばなんてことはない性格で、こうして凛とも何の抵抗も無く話せるしその口調にも尖っている印象は無くむしろ柔らかくて取っつき易ささえ備わっている。


 だが、小・中学時代は勘違いされたままで過ぎて行き、そして高校に進学しその壁は更に高く成った様な印象を与えてしまっている様で、友人と呼べるものは誰もいなかったが虐められる事も無く、平穏で酷く退屈な毎日を送っている事は確かだった。それは、女の子しか愛せないと言う彼女の思考が大きく影響しているのかも知れない。ただ、こうして凛と親しく話す様になり、その姿が複数の生徒達に見られる様になればその環境は変化が起こる可能性は無いと断言することは出来ないだろう。この出会いは彼女の運命をひょっとした変え出会いなのかも知れない。


「僕はそんな事無いと思うけどなぁ。だって、こうしてちゃんと話せてるし、抵抗も感じないし」


 そう言って凛はにっこりと微笑んで見せる。その笑顔に茜はほんのり頬を染める。


「……な、なんか嬉しいな、そんな風に行って貰った事今まで無かったから」


 その表情に視線を向ける凛も頬をほんのり染める。


「僕、一人っ子なんだ」


 唐突にそう呟いた凛にゆっくりと視線を向けると茜は少し意外そうな表情を見せる。


「あら、そうなんだ。私、凛君の事、兄弟が何人かいてその一番末っ子かと思った」

「……え、どうして?」

「なんというかこう、その……言ったら気を悪くするかな」

「え、ううん、僕はない言われてもあんまり気にしないほうだから」

「そう、じゃぁ、言うけど、凛君が喋る時のなんと言うか独特の間、と言うか……」


 親しい間柄で喋る時はそうでもないのだが凛が少し緊張して喋る時、妙に言葉を区切って話す傾向がある。それが茜には妙な間に感じてしまうのだろう。凛本人もその事には気づいていて直そうと努力しているのだがそれが中々うまく行っていない、ただ、紗久良が言うにはそれが可愛いらしいのだそうで、彼女の意見は気にする事は無いとの見解だった。


「……やっぱり、変ですか?」


 すまなそうな表情を見せながら首を竦める凛を見ながら茜は再び笑顔をを作る、そして小さな声でこう言った。


「私、末っ子キャラって好きよ」

「……え?」

「うふっ、お姉さまって呼んでもいいわよ」


 茜の唇からこぼれた『お姉さまと』と言う言葉がなぜか胸に突き刺さる。妙になまめかしくてそれでいて暖かくて……そして、その後に訪れる不安、来年の今頃、ひょっとしたら茜の事をお姉さまと呼びながら追いかけまわしているのではないかという不安と言う感情とは少し違っていた。いや、少しどころではない、何故ならそれが嫌な事に感じられなかったからだ。むしろ好ましい方向に感じられてしまったから凛の体は全身が朱に染まる。


「あらぁ凛君、真っ赤になっちゃって。やっぱり可愛い」


 茜はそう言いながら凛を抱き寄せる。それと同時に彼女が使うシャンプーの香りが鼻腔をくすぐりその香りに心が熱くなるのを感じた、そして思った、茜の事をお姉さまと呼んでも良いかなと。

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