第三章:新しい恋

1.恋文

 ばたばたと時は流れて初夏の頃を迎えた凛は夏の制服に身を包み学校に通う毎日を送っていた。そして、学校行事もいくつか有って。春の体育祭では吹奏楽部によるマーチングが行われた。久しぶりの人前での演奏で凛は少し緊張気味だったがそれでも持ち前の器用さを発揮してそつなくこなして喝采を受ける事が出来た。煌めく青春の季節、時の流れは速くて立ち止まっている暇などない様に彼女には感じられた。


 凛が元々男子だった事は相変わらず伏せられていてクラスメイト達はそのことを知らなかった。いや、当の凛さえもその事実は遥かに昔で忘れかけた過去になりつつある。女の子としての自我も確立されつつあるし、友人たちとの他愛のないガールズトークにもついて行く。すでに男子の片鱗などは微塵も無く、だれがどう見ても、そう、母親である遥の視線からも生まれつきの女子にしか思えなかったから、そんな事もうどうでも良くなりつつあった。


 ただ、凛の左手の薬指に輝くリングの存在に対して少し違和感を覚える者は少数だが存在する事は確かで、不思議そうにその意味を尋ねる者に凛はその都度笑顔で丁寧にその経緯を説明した。婚約者が女の子で有る事を知っていぶかし気な表情を浮かべる者も居るには居たがそれはあくまで少数派で大抵は素直に受け止めて貰う事が出来た。それは凛の素直で優しくて少し抜けてて、でも誠実な性格によるものである事は確かな様で、反対に羨ましがられたりすることも有った。私も女の子の恋人が欲しいとハートマークを思い切り振り撒きながら言い出されたりしてちょっと焦ったりもしたがその事で虐めや疎外を受ける事は無く、凜が紗久良を愛しているのは彼女の個性として捉えられることが大半だった。


 ・・・そんな中


「あれ?」


 最近は玄関の下駄箱を廃止して上履き外履きの区別をしない学校も増えつつ有るそうだ。災害が発生した時、校舎からの非難をスムーズにするための対策なのだそうだが凛が通う高校は校舎が比較的古いせいか昔ながらの玄関の風景、下駄箱がずらりと並ぶ景色が玄関には有った。そして、部活を終えた凜が下足箱の扉を開いて中を見た瞬間、不思議そうな表情でそう呟いたのだ。


「・・・どうした凛」


 その様子を見た傑が何時もの無表情で彼女に声を掛け、今野は横から下駄箱に差し込んだ凛の手元を覗き込んだ。凛が下駄箱の中から取り出したのは外履きの靴ではなく一枚の封筒だった。


「これ……」


 その封筒を手に取り傑に見せると同時に彼は思い切り噴き出した。


「な、なに?」


 傑の笑いは止まらない、そして、遅れてその封筒見た今野も大笑いを始めた。二人の笑いに挟まれながら凛はその場にぽつねんと立ち尽くし、その封筒をじっと見ながらゆっくりと顔を朱に染めて行く。


「こ、これってもしかして」


 もぞもぞと呟いた凜の横にするりと近寄り今野は彼女の耳元で呟いた。


「そう、恋文と言う奴だ」

「こ……恋文…」


 唇を震わせながらぼそりと一言発した凜の手は封筒をつまみながらわなわなと震えているのが分かる。


「ふふふ、凜君よ。そうやって何人の男の子を毒牙にかけて行くんだい」


 口元に手を当てチェシャ猫のようなにやにやを張り付けまるでおとぎの国のキャラクターに似た仕草で凛の耳元で囁いて見せると彼女はくるっと今野に向かって振り向くと封筒を左手に素早く持ち替えて右手を中指の部分が尖ったグーにして彼の頭をぐりぐりする。


「……り、凛ちゃん、痛い」


 苦悶の声を漏らす今野に凛は歯を食い縛ったまま大型犬が唸るような声で言った。


「それでいいんだ、そうしてるんだから」

「ゆ、許して、凛ちゃん」

「ちゃんじゃねぇ」


 凛が今野をぐりぐりする姿を見ながら傑は思う、この二人、ほんとに良いコンビだなと。二人とも選ぶ相手を間違えたんではないかと言う思いが心をかすめて飛んで行ったがいつまでもこんなコントの様な状況を続けさせておくわけにも行かず、彼は二人の間に割って入る。


「おい、もうそのへんでいいだろ」


 極めて冷静な言葉遣いに二人の心は水をかぶった様にしゅるりと冷えていく。


「そ、そうだね、今日はこの辺で勘弁してやる」


 少しどすの効いた声で言い放った後、凛は今野から離れて手に持った封筒を鞄にしまうと今野に向かって目配せして見せてからひと言。


「羨ましいだろ」


 その言葉に今野は顔をしかめて見せただけだった。実際問題、凛の今の容姿は美少女の部類に入るかも知れない。このままアイドルデビューさせたらそこそこ売れそうにも感じられたが彼女にそんな自覚は無い、元々人の見た目には拘らない性格だったから自分の見た目は他人に不快感を与えない程度につくろえていればそれでいいと言う程度の物だったから周囲の目などあまり気にしていなかったのだ。


 おそらく男の子のままでもその感覚は変わる事は無かった筈だ。凛は見た目で差別すると言う考えなど微塵も持ち合わせていなかったのだ。そのあたりが好感度の高さになって表れているのかも知れなかった。


「さ、帰ろう。宿題も山程有るし、ぼんやりしてられないからさ」


 凛は二人にそう言ってから靴を履き替えくるりと踵を返すと玄関の外に向かって鼻歌交じりに歩き出す。その後ろに続く二人は一度顔を見合わせてから小さく肩を竦めて見せた。

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