2.その理由

「おはよう、あら、朝御飯作ってくれてるの?」


二人仲良くキッチンで朝食の準備をする凛と紗久良の姿を見て凛の母はその仲睦まじさに目を細める。テーブルに並べられているのは凛が昨日言ったとおりに焼き鮭に出汁巻き玉子、納豆にお漬物。シンプルだが和朝食らしいメニュー、そして凛がお豆腐と油揚げ、小松菜入り味噌汁の鍋をコンロにかけている。かしましく会話を交わしながらくつろいだ表情を見せる二人の姿に心名が和んだ様に感じた母は二人の近くに歩み寄るとぴくんと眉尻を動かした。


「あの、さ……」


そして、少し躊躇いがちに掛けた言葉に反応して二人はゆっくりと振り向いた。


「え、なぁに?」


不思議そうな表情を見せながら凛はぽつんとそう言った、その反応に母は凛も紗久良も自分の状況に全く気付いてないなと言う呆れ顔を見せる。


「まぁ、久しぶりに会ったし、若さ溢れるのは分かるけど、あなた達、昨夜の愛の残りがね……」


一瞬顔を見合わせる二人……だいたい、上がふんわりとしたキャミソールで下がこれまたレースがふわりでゆったりなフレアパンティのみでショーツは着けていなくて、足にはもこもこ毛のスリッパと言う二人ので立ちを見れば夜中に何をしてたかバレバレな訳なのである。


「お味噌汁、後はお母さんやるからシャワー浴びてらっしゃい」


二人揃ってまるでシンクロしていみたいに自分の腕や胸元をくんくんと嗅ぐ。そして、凛がぽつんと呟いてから紗久良もそれに答えた。


「シャ、シャワー浴びよっか……」

「う、うん、そ、そうね」


春と言うのに紅葉もみじでも舞い降りた様に頬を赤らめながら二人は軽く手を繋ぐとちょこちょこと歩きキッチンを後にした。それを見送る母は呆れ顔を見せながらもほんのちょっと嬉しそうにその後姿を見送ったのは少なくとも不健全な方向には育ってはいないと実感出来たからだ。ただ、時を埋める方法が体だけと言う少々の不安に目をつむっていい物なのかと言う思いは残る。しかしこればかりは彼女達に任せるしかない、そう割り切る度量も必要なのだと心に言い聞かせた。大人の事情で距離を置く事になった二人に対する罪悪感、だから今は自由にさせるべきだと。ただ、一応伝えるべきは伝えようと、二人の後ろ姿に声をかける。


「ねぇ、二人とも」


背中から呼び止められて二人はその場で立ち止まり振り向いた。そして、母がかけた言葉……


「あんまりやり過ぎると……飽きるわよ」


紗久良は恥ずかしそうに母から視線を反らし、凛は照れながらぽりぽりと頭を掻いて見せた。


★★★


「紗久良、帰ってきてるのか?」


ユーホニアムのマウスピースに息を吹き込んで温めている最中に傑に声をかけられた凛はそこから唇を離しちょっと照れながら頷いて見せた。練習場所にしている教室で一人練習を始めようとしていたところに現れた彼がどうして紗久良が戻っていることを知っているのか不思議に感じたがそれはあまり大きな事では無く感じられた。傑は適当に机から椅子を持ち出して凛の横に置くとそこのどかっと腰を下ろし、持っていたトロンボーンのケースを床に置いて楽器を取り出し始める。


「どうして、知ってるの」

「ああ、摩耶からメールが来てな。紗久良から帰って来てるって連絡が有ったそうだ」

「……紗久良と摩耶さんって、メール交換する程、仲良かったの?」

「例のクリスマスコンサート以来、連絡を取り合ってるんだそうだ」

「へぇ……」


凛が紗久良に告白してエンゲージリングを送ったクリスマスコンサート。今でも凛の指に光るその指輪は摩耶の親戚のデザイナーが作り、莉子から法外な値段を請求されそうになった物。凛と紗久良の関係を深めるのに大きくかかわった関係でもある。話を聞きながら感心した表情でユーホニアムを抱きかかえると、凛は温めたマウスピースのシャンクをマウスピースレシーバーに繋いで唇をつけ息を吹き込んで楽器全体を温め始めた。


そして、ほんのちょっとの沈黙の後、傑がトロンボーンを組み立てながらぽつんと一言呟いた。


「……やり過ぎると、飽きるぞ」


ぶ~~~っとユーホニアムが発したとは思えない爆音が教室に響く。そして、凛は楽器を抱き締めながら乾いた笑顔を張り付けながら傑に視線を移した。


「おまえ、清純そうに見えるけどやる事はやってそうだもんな」

「ええええええ」


極めて冷静な表情で言い放つ傑に凛は思わず悲鳴を上げたが、彼は黙々と楽器を組み立てながら視線を合わせる事無く更に続ける。


「安心しろ、俺以外はそう思ってない」

「……あ」


開けた口が元に戻らない凛は極めて間抜けな顔のまま視線は向けているのだがその画像が脳の中で焦点を結ぶ事は無く、ぶっ飛んだ思考だけがぐるぐると頭の中を駆け巡り次の言葉が出て来ない。


「なぁ、凛」

「……え、な、なに」


組み立てていたトロンボーンからゆっくりと視線を外し、真顔の傑はその視線を凛に向けてから再び徐に口を開く。


「紗久良……どうして帰って来たんだ?」


質問の真意に達する事が出来ず、凛は一瞬言葉に詰まってから無理やりな返事を返す。


「は、春休みなんだって」


その返事が頓珍漢とんちんかんに聞こえたのか、傑は眉間に皺を寄せる。


「そうじゃなくて、一時帰国の理由だ」

「え、だ、だから、春休みで時間持て余してるからじゃ……」

「あのなぁ、海外に引っ越して一年しか経ってないのに暇な訳ないだろ」

「そ、そうかな……」


傑は大きく溜息をついて見せる。それは凜が紗久良の事を何も理解していないのではないかと言う少し呆れた思いと、二人に対する心配が入り交じった物だった。

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