【検証】酔い潰れるまで文章を打ち込んだら、どんなものが生まれるのか

@MIDUKATSU

第一回

【検証】酔い潰れるまで文章を打ち込んだら、どんなものが生まれるのか


ルールと開始前の状態

・お酒を飲みながらこのスマホのメモに思い付いたこと、書きたいことを打ち込み続ける

・寝るか、お酒が尽きたら終了

・今ここにあるのは、ほろよい(3%)3缶とストロング(9%)1缶の4缶

・ほろよい1缶をこの企画が思い付く前に飲み始め、残りは半分程度

・僕はお酒に弱いため、もう軽く酔っている

・テーマは自由、何でも書いて良い

・書き直しは基本的にしない(勢いで書く!!)


以下、本文

ーーーーーーーーーーー

 記念すべき第一回。というか二回目以降があるとは思わないが、何か、書いていこう。

 テーマは自由であるため、どうしたら精神的に自由に生きられるか。自分の心のまま、思う通りに人生を過ごせるか。ということについて、私なりの方法や考え方を書こうと思う。


 まずは前提条件を提示したい。これが今回の議論の基礎になるだろう。3つ提示する。1つ目は、人は主観で生きていること。2つ目は、人の考えは変わること。3つ目は、人生には目的はないがゴールはあること。これについて書こう。


1、人は主観で生きている

 自分で自分を見るとき、そこに客観視はない。また人は、自分のフィルターを通さなければ、何も見ることはできない。

 私たちは常に様々な情報の中にある。朝目覚めたら、家の天井、鳥の囀り、布団の匂い、布団の肌触りなど、一場面をとっただけなのに、こんなにも情報に溢れている。そしてそれらは自分が感じるものであり、他人だと違うように感じる場合がある。

うる覚えだか、何かの実験で、人間の五感の優先順位を調べていた。確か上から、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚だったと思う。(間違っていたらすんません)その実験の中で、映像で三角形のものを見ながら、四角形のものを触ったとき、どんな形のものを触っているかを調べていた。すると人は視覚を優先するため、四角形のものを触っているにも関わらず、多くの人が三角形と答えた。テレビか何かでこれを観たとき、私には衝撃が走った。全体からその人を見れる他者、視聴者としては、その人は四角形のものを触っているのに、その人、自分は三角形を触っていると感じている。その人は「あなたは四角形のものを触っていました」と言われたり、見せられたりしない限り、「自分は三角形のものを触っていた」と思う。なぜなら人は、主観で生きているからだ。

 トリックアートもこれに近いのかな?


 ちょっと2本目を取ってくる。

 1本目ははちみつレモンを飲んだのだが、2本目は白ぶどうを飲む。

 さっき立ち上がったとき、振らついた。自分で壮大なテーマにしてしまったが、書き切れる気がしない。

 とりあえず乾杯。

 はちみつレモンより、お酒を飲んでいる感じがする。

 さて戻ろう。


 人には何かに意味付けをする癖がある。例えば昔の私は、多くの人に嫌われているという感覚があった。私は(今もだが)学生時代、おとなしい子で、休み時間に友人と話さない方だった。

 おっと、ここでも私の主観が入っている。もしかしたら他人から見たら、休み時間に友人とたくさん話していたのかもしれない。ただ私の主観では、話さない方だった。もうこれで、「人は主観で生きている」ことが分かるだろう。まぁ、続ける。

 友人とあまり話さないと、クラスの中で孤立している感じがしてくる。みんなはどこかに集まって話しているのに、自分の机に座って、ぼーっとして。すると勝手に、自分はクラスから嫌われていると思ってしまう。するとたまに話す時の相手の一言に、自分へのマイナスのイメージを抱いてしまう。多分相手は自分のことを嫌っているから、こういう言葉を使ったのだろう。こういう行動をしたのだろう。そのようなことを考える。しかし、実際はどうだろうか。相手はそんなこと考えていない方が多い。逆に好意的にしてくれている場合もある。ただ人は主観で生きているため、自分が受け取る言葉に、その言葉以上の意味を付けてしまうことが多い。というかほとんどがそう。自分の都合で解釈するのだ。

それに対し、他人から見た自分を客観と言える。しかしその客観もその他人の主観である。基本的に自分は自分の主観で生き、他人は他人の主観で生きるのだ。

 しかし客観には普遍的なものがある。私は現在、体重50kg未満で、人から痩せていると言われる。私にとっては中学生から痩せ気味で、痩せている方が動きやすく、狭い所を通りやすく、食費がかからず、良いことばかりだと思っている。というか、そこまで自分が痩せているという感覚はない。しかし多くの人から、もう少し食べた方が良いだの、健康診断ではBMIを上げろ、標準体重を目指せだの言われたことがある。多くの他人から見た私は「痩せている」のだ。これを普遍的主観と呼ぼうか。まぁ、ここはあまり今回の議論に関係ない。



2.人の考えは変わる

 歳をとると大脳皮質が固まり、考え方が凝り固まっていくと言われる。しかし人の考え方は、意識をすれば、歳をとっても変えられる。年々世の中の価値観は変わっていく。特にコンプライアンスはここ10年でかなり厳しくなった。では年齢が上の人々は昔の価値観で生きているかの言えば、そうではない。今の時代の流れに合わせて暮らしている。私はたくさんの人生の大先輩と話したことがあるが、「最近の若者は分からない」と言いながらも、若者の価値観を尊重する人が多いように感じる。もちろん頭が凝り固まっている人もいるが、人の考えは変わるのである。そして人は内面的に変わることができるのだ。

 私はかつて、多くの人に嫌われているのではないかという感覚があったが、現在はその感覚は和らいでいる。なぜなら、考え方が変わったからだ。

 人の性格の50%くらいは遺伝と言われる。そのため変わらないところはあるが、残りの50%は後天的なもの。つまり変えることができるのだ!



3.人生の目的はないがゴールはある

 人生の目的はない。まぁ、生物的には遺伝子を残すという目的はあるけど。それ以外はない。ただしゴールはある。それは「死」である。人生というのは、生まれてから死ぬことまでを指す。それ以外は無である。無から生まれ、人生を過ごし、死ねば無に戻る。また人は主観で生きているため、生まれて気付いたら自分を意識する。主観で生きる。そして死ねば自分が見れる、感じることができなくなるため、主観は消える。

 人生の主人公は自分であり、自分が消えれば人生も無くなる。そして人は生まれた時から死に向かって生きるのだ。

 人生のゴールは死なのだ。


 ここの話はもう少し上手く書きたい。今うまく書けないのは、お酒のせいってことで。

 3本目を取ってきます。

 お腹が空いたので、夜食に揚げ物を食べようと思います。3本目は梅酒ソーダです。もうやばい。でもまだ飲める。飲もう。

 乾杯。


 さて、この3つの前提のもと、自由に生きる方法を書こう。思い付いたものからテキトーに書いていく。そろそろ寝るかもしれない。



1.課題の分離

 アドラーをかじったことがある人は知っているだろう。かの有名な課題の分離だ。これは自分にできること、やるべきことと、相手ができること、やるべきことを分けることだ。

 人はつい、相手の感情を強く意識することがある。多分一番多いのは、「これを言って怒らせたくないな」だろう。しかし、相手が怒るかどうかは相手の課題である。そのためそれは考えなくて良い。相手がどう思うか。それは相手の課題である。

人は主観で生きている。だからこそ、自分は自分の課題に集中すべきだ。こういうことを聞きたい、伝えたいと思ったら、相手がどう感じるか、どう行動するかは相手次第だからそれは考えず、どうしたら伝わりやすいかを考え、話すことに集中する。自分と他人の棲み分けをして、自分の課題に集中する。そのために課題の分離が必要だ。



2.世界の中心は自分じゃない

 課題の分離をした上で、この考えが必要になる。自分の人生においては、自分が中心である。しかし、世界の中心は自分ではない。なぜなら理不尽が世界中で起きているからだ。誰しもが理不尽な経験をするだろう。また法律や社会倫理といった、罰則付きの中で生きている。自分が世界の中心なら、理不尽や法律などに縛られないだろう。

 課題の分離をした後は、この観点から他者貢献を考える。相手がどう思うのか、どう動くは分からないが、自己満で相手を想い、行動すると物事が好転することが多い。


3.過去は存在しない

 もちろん歴史やデータは存在している。しかしここで取り上げるのは、主観の中でのことである。私たちは連続する今を生きている。この重ねてきた今が過去になり、重ねた先が未来だ。しかし過去は振り返らなければ存在しない。

 私たち人間は主観で生き、記憶も主観である。無意識に記憶の改竄をすることがある。子どもの頃はよく、言った言わないの喧嘩をしたものだ。

 この記憶というのは、この今に都合の良いように作られている。過去は存在せず、今だけが存在しているのである。

 また未来は分からないものである。分かっても1分とかそれくらいだろう。もちろん予想や予測はできる。ただそれが100%当たるかは分からない。私がこうしてスマホに文字を打ち込んでいる間に、大地震が発生して死ぬかもしれない。まぁ、確率はものすごく低いが、全くないとも言い切れないのが未来の凄いところである。

 そのため、過去や未来に囚われるのではなく、今この瞬間をどう生きるかということを考える。私たちは今を生きることしかできないのだから。


4.今日も朝がやってくる。昨日は雨でも晴れと思う

 ホンマでっかTVの武田邦彦先生をご存知だろうか。この人の言葉に「昨日は晴れ、今日も朝」というのがある。昨日は土砂降り、嫌なことがあったとしても、昨日は晴れだったと思え。そして今日も朝が来たから、今日も生きようみたいなお話だったと思う。

 過去を取り戻すことはできない。しかし今、過去の解釈を変えることはできる。そして、今日も朝か来て、今日という今を生きようじゃないか。

 最初この言葉を聞いた時は18歳で、正直あまりピンと来なかった。しかし、色々と経験してきてこの言葉の意味が分かり、何度も救われてきた。特に嫌なことがあった日の次の日は、この言葉を唱え、前向きな気持ちで朝を迎える。


 なんか書いてて宗教っぽさが出できてるかな?



5.「雨が降ったら濡れる」

 これも武田先生の言葉である。未来では予想外のことが起こるのは不思議ではない。それこそ天気予報は晴れなのに雨が降ることもある。急いでいる時に雨が降ったらそれは嫌である。服は濡れるし、調子は狂うし、予定も変わったりするし、ムカつく。でもそれでは不幸だ。だから考え方をちょっと変える。服は濡れても乾かせば元に戻る。予定は変わるが、その分普段と違った経験ができる。そんな風に思うと、心は穏やかになれるのではないだろうか。

また、雨に濡れたならその時に対処すれば良いと考えれば、何かに躊躇することも減る。

 仕事で間違えをしてしまったとき、これを上司に伝えたら怒られるかなと思うことがある。このとき、自分の課題は報告することである。そして怒るかどうかは上司の課題だ。また自分が間違えたのだから、怒られたのなら怒られればいいのだ。



6.目的論

 またアドラーを持ち出そう。

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