漆黒の夜と シリウスと

Yokoちー

第1話


 月の欠片を拾った夜だった。


 白い頬を濡らした少女は、湖の辺りで投げ出されたように転がって、湖面に映る自分に呆然としていた。


 ほんのりと発光する草のおかげで少女の姿が幻想的にほの光る。僕はただ一言、唇を震えさせて呟くのが精一杯だった。


「きれいだ」


 僕の手の中で黄色い光を放つ欠片は、確かに月だった。下弦の月。そいつが自らを壊して、ここに僕を導いた。雲ひとつない空は月が欠片を落としても無数に瞬く星々で埋め尽くされて明るいほどの夜なのに、僕は全身で漆黒の闇を感じていた。

 少女の長い髪と瞳が輝きを失ったような暗い暗い漆黒だったからなのか?


 いや、違う。


 強い強い意志を秘めた、金の光を内包した漆黒だったからだろう。



 なぜだろう? 臆病な僕は彼女の前にかしずいた。ただ何もなく突然に。


 なぜだろう? 伸ばした手が震えていたにも関わらず、彼女は僕にすがった。見ず知らずの男に。


 なぜだろう? 言葉を交わすことなく、僕らは共に火を囲んだ。まるでずっと前からの親友であるかのように。至極当然な振る舞いかのように。


 僕はうずくまった彼女に温かい紅茶を差し出した。後ひと匙となった蜂蜜をとぷりと落とし、互いに目を合わせて、ゆっくりゆっくり、こくりと喉を潤していく。 


 ぱちぱち……。ちゃぷり。


 満天の夜空に小さな焚き火と凪いだ湖の水音だけが響く。


 最初に口を開いたのは少女だった。細い指をカップで温めながら不思議な出自を話す。僕はただ彼女を信じて、小さくうなずき、時に短く返事をする。ただそれだけ。互いを信頼し合うのに、僕らにはそれで十分だった。


 地球ってなんだ? 

 世界は星でできている?

 そんなことはどうでもいい。今ここに君がいる。ただそれだけが真実なのだから。


 人類最強? 

 世界大会、スポーツ?

 よく分からないが強いということだろう。魔物がうごめく世界だ。魔王も着々と力をつけている。身を守るには強い方がいい。だが、こんなに華奢な身体だ。守らなければ。僕には勇気も力も足りない。二人生き残るすべを早急に手に入れなくては。


 神の失敗?

 女神の失態?

 数日前に授かった神託。それに導かれ僕はキャンプを張った。彼女は憤慨しているが、僕は運命なのだと受け入れている。正教会の司祭なのだから。

 何にせよ僕らの出会いは女神様のお導き。運命なのだ。高鳴る胸の鼓動が聞かれなければいい。そう心配するほどに、寄せ合った身体が近すぎることに狼狽えて彼女の話が遠のいていく。



 僕は簡素なテントと上等な毛布を彼女に譲り、白々と明るくなる朝を待った。いよいよその時が来たのだと、強い覚悟を決めた。


 僕の手の中の欠片は、今、希望の欠片になった。僕たちはきっと旅に出るだろう。この世界を小さな欠片にしないために。


 新月の気配が垂れ込める今、僕は彼女を拾ったのだ。この後は少しずつ欠片を集めて、僕らは満月になる。世界を小さな欠片にしないために新月に立ち向かうのだ。

 

 今、手の中に転がる小さな黄色はやがて金の光になる。この光を、世界の希望にするためにここにいるのだと僕は心の底から理解している。


 僕はシリウス。

 夜空を旅する勇者たちの道標の星の名。


 行こう。僕たちの旅はここから始まる。

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