第15話 吉備の中山 温羅の墓

 穴観音のある遊歩道をそのまま直進していると、石舟古墳への案内看板を発見した。目的地までは約三〇〇メートル、遊歩道を逸れて山道を下るルートになる。

 山道への入り口には二本の木に簡易的なしめ縄が渡されていた。しめ縄は神の領域と現世を隔てる結界の役割がある。


 この位置関係だと、自分が立っている側が陵墓のある聖域と考えて良いのだろうか、それとも石舟古墳を聖域としているのか。

 どちらにしてもしめ縄の先が異界のように思えて身が引き締まる。相変わらず人の往来はなく、心細い気持ちもあったが思い切って山道を下ってみることにした。


 石舟古墳への道は一見道無き道のように見えたが、枯れ葉は取り払われ倒木を置いたガイドラインが作られており、迷うこと無く進めそうだ。

 しかし、日はまだ高く、頭上には青空が広がっているのに高い木々に囲まれた森の中は薄暗く、時折聞こえる鳥の声にも思わずドキッとしてしまう。三〇〇メートルは平地なら大した距離ではないが、山道を下るとなれば一体どこまで降りていくのだろうという不安な気分がぞわぞわと這い上がってくる。


 山道は通りやすく整備されているものの、遊歩道からの分岐点以来、看板が無い。思わずスマートフォンの電波が入っているか確認した。よもやこんな狭い山で遭難することはないだろうと自分に言い聞かせる。

 枯れ葉の割れる乾いた音、自分の息の弾む音しか聞こえない。時折気まぐれな風が枝を揺らせば、そのざわめきに思わず足が速まる。茂みでガサゴソと音がした。まさか熊ではあるまい。

 引き返したい気持ちを抑えて進むと、ようやく二つ目の看板に出会った。道を間違えていないことに安堵する。看板の示す方向を指さし確認し、さらに下って行くと森の中に開けた場所が見えた。そこに広がる光景に、一瞬ひえっと声を上げてしまった。


 盛り土の周囲に九本の竹筒が立てられ、そこにまだ新しい桜の枝や菜の花が生けてある。誰もいない山奥で何かの儀式が行われた形跡を見て、背筋が凍るような不気味さを感じた。私は一体どこに迷い込んでしまったのか、思わず周囲を見渡した。傍らに立つ案内看板は比較的新しく、ここが石舟古墳ということを示している。


 古墳の穴は下方に回り込んだところにある。異様な雰囲気に圧倒されながらも、恐る恐る穴の方へ下っていく。勇気を出して覗き込むと、石造りの暗い穴がぽっかりと口を開けている。底知れぬ暗い穴に吸い込まれそうな恐怖に、思わず目を逸らした。


 古墳両脇にも竹筒が立ち、花が生けてある。人気のない森の中でなにやら秘密の儀式が行われている光景を想像して空恐ろしくなったところで、小さな解説パネルに気がついた。


 これは吉備津神社の「温羅の花祭り」という年中行事で、神社での神事のあとに桜の枝を持ち、石舟古墳に詣で、桜の枝に水をかけ花びらが散るまで互いに打ち合うという。桜というのがなんとも風流だが、花が散るまで打ち合うというアグレッシブな神事だ。鎮魂と厄除けの意味合いを含んでいるそうだ。


 神事の時期は四月の第一日曜日、なるほどちょうど先週末だ。この鮮やかな花飾りは花祭りの名残りだったのだ。年に一度のレアな祭りの跡を見ることができたのは、幸運だったのかもしれない。ミステリアスな光景の理由が分かって納得するとともに、オカルトじみた妄想は消し飛んだ。薄暗い森の中、この遺跡が大事に守られていることに妙な安心感を覚えた。


 そして、この石舟古墳は室町時代に温羅の墓と信じられていたことを知る。ここでも温羅に縁があるとは驚きだった。吉備の中山には桃太郎こと吉備津彦命と温羅の墓があることになる。戦いを繰り広げた二人が同じ山に眠るというのは、胸にぐっと熱く迫るものがある。

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