第9話 吉備津神社 鳴釜神事
首と胴を切り離された温羅だが、それだけでは終わらなかった。首だけになった温羅は唸り声を上げ続けた。民は嘆き悲しみ、吉備津彦命は困り果てる。
命は犬飼氏に命じて温羅の首を犬に喰わせてしまう。しかし、犬もよく大声で唸る首を食べたものだ。このくだりはどこかのんきなおとぎ話の様相を呈している。
しかして髑髏になった温羅はそれでも唸り声を上げ続ける。命は吉備津神社の御釜殿のかまどの下に埋葬したが、さらに温羅は十三年間唸り声を上げ続けた。十三年という年月に温羅の怨念の凄まじさを感じずにはいられない。その影で民もよく我慢したものだとひたすら感心してしまう。
あるとき、温羅が命の夢枕に立つ。『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴ろう。
ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』(吉備津神社 鳴釜神事より)と告げる。命がそのお告げ通りにすると、唸り声は収まった。
これが岡山市北区吉備津にある吉備津神社の鳴釜神事である。温羅の首は白山神社を離れ、現在は吉備津神社の御釜殿の下に祀られている。祟り神のように首だけになっても唸り続けた温羅は、手厚く祀られることで吉凶を教える守護神となった。
十三年も命を呪い続けることに飽きたのだろうか。どういった心変わりかは知る由もないが、温羅はこの地の民を苦しめ続けることをよしとしなかったのかもしれない。伝説では悪逆非道の鬼と云われているが、吉備の民に製鉄と農業を教え、繁栄を築いたとされる温羅の善良な側面も信じてみたいと思える逸話だ。
鳴釜神事に仕える女性は阿曽女(あぞめ)と呼ばれ、温羅の妻と云われている。鬼ノ城の麓にある阿曽郷に由来するとされる。阿曽は鋳物が盛んな地域で、釜が老朽化すると交換するという役目もあった。
鳴釜神事は釜に載せた蒸籠で米を炊き、祝詞を奏上する。蒸籠の米は鬼が唸るような音で鳴り、祝詞が終わるころには音が止む。この音で吉凶を占うというものだ。余談ではあるが江戸時代の小説「雨月物語」に鳴釜神事を題材にした「吉備津の釜」という一遍がある。
吉備津神社は吉備津彦命を主神としている。いつ頃、誰によって造営されたか文献は残されていないが、室町時代に再建された立派な本殿・拝殿は国宝に指定され、行事の際には多くの参拝客で賑わう。
吉備津彦命は吉備津神社のある吉備の中山に陣取って弓を持って温羅と戦った。その矢を置いたとされる岩が北随神門の手前、手水舎の脇に「矢置岩」として残されている。年始の正月三日に矢立の神事を行い、天下泰平を祈祷している。このエピソードを聞けば、苔むした巨大な岩から不思議な力が漲っている気がしてきた。
石段の前に立つ吉備津神社の銘が刻まれた石碑が犬飼毅の書であることに気が付いて驚き入った。
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