第4話「鼻の穴」

 第15番札所 国分寺こくぶんじ


 今日は仕事が早く終わったからラーメンでも食って帰るか。


 札所の側で工務店の男が立っている。

 ふと目にした所にタケゾウがいて目があった。


「お兄ちゃん、お遍路さんかい?」

 上下、緑っぽい作業着を着た男がたずねる。

「ええ」

 ぶっきらぼうにタケゾウは答えながら、白衣に菅笠、金剛杖を持って、どう見てもお遍路だろうと思った。


「オレな〜これからラーメン屋いくんだけど、お兄ちゃんも行かないか? 奢ってやるよ」


 変な事を言う人だと思った。

 タケゾウの地元では見ず知らずの人がいきなりラーメンを奢るなんて聞いたこともない。

 何か下心のようなものがあるのかと般若の目で見た。

『仕事が早く終わって、札所で読経を唱えて、お大師様に病気がよくなりますようにとお願いしたが。若いあんちゃんにラーメンのお接待したら、ちょとはお大師様も聞いてくれるかな』

 般若の目は相手の考えていることもわかった。


(なんだい、ラーメンのお接待って? 何でもありなのか)


「お兄ちゃん、徳島ラーメン食べたことあるかい? オレは旨い店知ってるんだ。怪しいもんじゃないよ。たんなるお接待だから、車に乗りなよ」

 軽トラックの横には千秋工務店と書かれている。

 特に危険もなさそうなのでタケゾウは車に乗った。


「お兄ちゃん、どこからきたの?」

「俺は北海道です……」

「へ〜っ、北海道! あそこもラーメンが有名だけど旨いかい?」

「う〜ん、どうなんだろう? 俺は他の県と比べたことがないから、普通に旨いですよ」

「そうかい。オレは徳島からほとんど出ないから北海道も行ってみたいよ。北海道のラーメンってカニが入ってるんだろ?」

「いや、ラーメンにカニは入ってませんよ」

「そうか? テレビで見たぞ」


 ❃


 徳島ラーメン店に着いた。

 ちょうどお昼のピークが終わり、座席に座れた。

「ここは支那そば肉卵入りが旨いんだ」

 工務店の男が自慢げに言う。

「お兄ちゃんも同じでいいか?」

「はい」

 タケゾウが頷く。 


 工務店の男はラーメンを注文するとタバコを吸い出した。今の時代は飲食店で普通に喫煙ができた。

 しかし、この男、けっこう軽い咳をよくしていた。


「最近、咳が多くなって、オレも肺がんじゃないかと思っているんだ。親父も肺がんだったし、そろそろオレもかなと思っているんだけど、病院に行ったら、そく入院で肺を切り取られるかと思ったら恐ろしくて、なかなかいけないんだよ……」

 五十代の男はタバコを吸いながら話す。

 タケゾウは、どうでもいいやと言う顔をしている。


 徳島ラーメンが運ばれて来た。

 タケゾウは初めて見る徳島ラーメンである。


「どうだい、お兄ちゃん、旨いかい?」


「初めて食べるラーメンです。スープが茶色でスキヤキみたいな味なのかな? チャーシューじゃなくて甘辛い豚肉が入っている。俺はスキヤキってのを修学旅行で一度食べただけだからよくわからないけど不思議な味です」

「そうか、不思議な味なのか、逆にオレは北海道のラーメンを食べてみたくなったよ」


「俺の家はジンギスカンは食べるけどスキヤキってのは食べたこと無いんですよ。だいたい、おふくろは他県の食べ物には興味がないようなんですよ」


 ラーメンを食べ終わり工務店の男は帰ろうとしている。そこでタケゾウが言う。

「俺、足心官道っていう足ツボをやってるんです、お接待のお礼に揉みましょうか?」


「足ツボ!? できるの……」

 工務店の男は少し考えたがやってもらうことにした。


 タケゾウが足を揉む。

 肺がんとか言ってたな、般若の目で見てみるか。

 タケゾウが般若の目で肺を見るとそんなに悪いようには見えなかった。

 喉にタンがからんで炎症が起きているんじゃないか?

 よく見ると鼻の右穴に何かある。

 これは、鼻くそか?


「失礼ですが、鼻の穴の手入れってしてますか?」

 タケゾウは恐る恐る言う。

「鼻の穴? 手入れもなにもティッシュペーパーで鼻をかむだけだよ」


「右の鼻の穴の先に違和感があるんですよ。鼻の穴の手入れを教えますから、やってみませんか?」

「鼻の穴か……そういえば、最近、タンが喉にからんで咳がでるんで漢方薬とか買おうかと、たまにドラッグストアで見てるんだよ。鼻の穴も妙にむずむずして、何回もティッシュペーパーで鼻をかむよ……」


 タケゾウは工務店の男に鼻の穴の手入れの仕方を教える。

 水を使った洗い方。

 人差し指を使って鼻の内側、特に先を洗う。


「オレ、右手の人差し指は鼻の穴に入らないんだ。左の人差し指は入るんだけど、右の鼻の穴の先って、いままで一度も洗ってないかもしれない」

 工務店の男は右の人差し指と左の人差し指の大きさが微妙に違い鼻の穴に入れると本当に右の人差し指は入らなかった。

 左手の人差し指で右の鼻の穴も洗うやり方を教わった。


「化膿しないように鼻の穴に軟膏を塗っといた方がいいですよ」

 タケゾウは自分の持っている傷薬の軟膏を差し出す。赤い色の軟膏だ。


 工務店の男と別れタケゾウはお遍路に向かった。


 ❃


 一ヶ月後。

「親方、ジュース買ってきました」

 工務店の従業員である。

「最近、親方、咳しないんじゃないですか?」

「ああ、そうだな……喉のタンが出ないようになったな……オレは肺がんだと思ってたけど大丈夫かな?」

「前に言ってた漢方薬を使ったんですか?」


「いや、漢方薬は買わなかった。お遍路さんに鼻の洗い方を教わってやってみたんだ、しかし、鼻を洗って咳がおさまるわけはないよな?」

「いや、いや、親方。テレビで口の中の歯周病が原因で心臓病になるってやってたから、鼻と咳も関係あるかもしれなせんよ」

「そうなのか?! あの若いあんちゃん、お大師様の使いだったのか?」

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