第3話「野田ガズオ」


「は……ひ、はひを……」


「はあ? 箸ですか?」


 中年の男性がスーパーで弁当を買った。

 弁当に箸が付いてなことに気づいてレジの女性に「箸を下さい」と言おうとしたのだが、言葉が出てこなかった。


 三十年もまともに人と会話をしてなかったから「箸」も言えなくなったのか?

 緊張だろうか、それとも脳に障害が出て言葉がでなくなったのか?

 最近、たまに胸を締め付けられるような痛みもあり十分ぐらいすれば痛みが消える。

 俺も長くないのかな?


 オレの名前は野田ガズオ、高校を卒業して缶詰を作る工場に就職した。

 ホワイトアスパラやスイートコーン等、農作物の缶詰を作る会社だった。

 収穫された農作物は朝に工場に持ってこられ、鮮度がおちないように急いで缶詰にされる。

 缶詰になった物は、その後、蒸気を使い大きな釜に入れて加熱して殺菌する。


 春からお盆までは農作物の収穫時期で休みというのは無かった。三ヶ月は日曜日も休み無しで、朝八時から夜八時くらいまで働いた。

 パートの人達は缶詰にしたら終わりで夕方に帰るが、俺は蒸気で殺菌をするので終わるのは八時か九時だった。

 周りの正社員の人は、毎年こんなもんだよと言って当たり前の顔をしていた。


 初めて働く仕事、俺も、そんなものなのかと思った。

 会社は実家から遠く、会社の寮に入った。

 寮は十二畳の部屋に二人だった。

 寮の相棒は同期で入った同い年の人で、リーゼントの髪形でいつも赤いカーデガンを着ていた。

 収穫期が終わると、相棒は赤いスポーツカーを買って乗り回していた。

 オレは車の免許も持っていなかった。


 ある時、工場の若いバイトの人が結婚式に出席するので、オレの背広を貸してくれないかと言われたので貸してやった。バイトの男は洗濯屋に出して返しますと言ってたが、結婚式が終わると、汚れてないからと、そのまま背広を返しにきた。


 ある週末に、仕事から帰ると、オレのラジカセが部屋から無くなっていた。

 寮の部屋にはいつもカギをかけていなかった。部屋の相棒は地元の高校の男で、たまに同級生だと言う男が訪ねてきていて、オレは、そいつが盗んだと思っていたが、翌日の夜、同期で入ったもう一人の男が「皆んなと海水浴にいくのにちょうどいいラジカセだと思って、部屋に誰もいなかったから借りていった」と平然とした顔で言った。

 この男、前に部屋に遊びに来て、俺が使っていたラジカセを自動で電源が入るタイマーを見て「貸してくれないか?」と言って持って行ったが、いまだに返ってこない。


 休みの日は、部屋の相棒は赤いスポーツカーを乗り回して、会社の事務所のアイドル、翔子ちゃんとデートである。

 オレはパチンコが唯一の趣味だった。


 寮の食事はお婆さんが二人でやっていて、朝にご飯と味噌汁とバターがあり、どうやって食べるのか悩んだ。

 晩飯は煮魚が一枚というのが定番で、一番喜んだのがカレーライスだった。

 会社の食費が安いのか、お婆さんの感覚が昔なのか、オレには寮の食事が物足りなかった。


 缶詰工場を辞め、自宅に戻り派遣会社で働くことにした。両親は喜んでくれた。

 三十歳の頃、結婚しようと相手の家に行くと、派遣会社で働いているというのが気に入らなかったようで相手の両親に猛反対された。


 その後、俺は部屋に引きこもった。


 六十歳、還暦となって俺も自分の人生を考えた。両親の寿命も長くはない。

 親の年金も当てにはできない。家に財産もさほどない。

 前から気になっていたお遍路さんをやろうと決め歩きだした。


 ❃


 第13番札所 大日寺だいにちじ

 

 野田ガズオがお寺で般若心経を唱えていると首から胸にかけて締め付けられるような痛みに襲われた。

 いつものやつだと思い、うずくまったが、十分もすれば治るはずだと思った。


 周りにお遍路さんがいて「大丈夫ですか」と声をかけてくれるが、手を振って大丈夫だと言うジェスチャーをする。

 しかし、だんだと息苦しくなり、意識がもうろうとなり倒れてしまった。


 救急の心得のあるお遍路さんが腕の脈を取り、胸に耳を当てた。

「誰か救急車を呼んでください! 心肺停止です」

 驚いて周りの人がお寺に行き電話で救急車を呼んだ。


 救急の心得のあるお遍路さんは手で胸を押して人工呼吸をしている。


「助かりそうですか?」

 タケゾウが側にいて声をかけた。

「この方のお知り合いの方ですか?」

 人工呼吸をしている男性がタケゾウを見上げた。

「いや、通りすがりの者です」

「そうですか……この方、心臓が止まっているので救急車が十分くらいで来ても、脳は三分くらいで障害がでるので、助かったとしても障害は残るかな? 電気ショックの機械があればな……」


「電気ショックね……」


 タケゾウが足心官道をすると、たまに足から電気が流れると言う人がいた。

 まさかと思ったが、すでに心臓が止まっているのだからと、ダメ元で倒れている男の足の裏を揉んでみることにした。


「心臓のツボは左足の小指と薬指の間の下だったな」

 タケゾウが心臓のツボを触ると違和感があった。ぐっと心臓のツボを押してみる。

 何度か押してみる。

(やはりだめか、感触は有るんだけどな……)


 タケゾウは左目の『般若の目』で倒れている男性を見ると、腰から心臓に繋がる線が見えた。

(何だこれ? 左右の腰から心臓につながっている。副腎か!?)

 急いで足裏の副腎のツボを押す。

 男性を見るが変化は無い。

 しかし、腰と心臓の線は消えていた。


 般若の目で心臓をよく見ると脳からの線が見えた。

(脳の真ん中から線が出ている。脳下垂体か! 頭痛に良く効くもんな!)

 タケゾウは足の親指を揉んだ。

 すると心臓と頭をつなぐ線が消えた。


(ホルモンか!? よし、ダメ元だ、思いっきり心臓のツボを押してやる)

 タケゾウは左手で倒れている男性の左足の甲を支え、右手の人差し指を心臓のツボに押し当てると、足の骨が折れない程度に強く押した。


『ビクン!!』と倒れている男性の体が波打った。

 驚いたのは人工呼吸をしている男性で、何が起こったのかわからなかったが、もしやと思って倒れている男性の胸に耳を当てると鼓動が戻っていた。


 男性は救急車で運ばれ、心筋梗塞とわかりカテーテル治療で治った。

 心肺停止の時間もタケゾウの足心官道で三分以内に鼓動が戻ったので脳への障害も無かった。


 病院のベッドで野田ガズオは、担当の医師に別の次元に行って宇宙人なのか神なのか人間ではないものと話をしたと言った。


「野田さん、人は亡くなる時に脳の松果体しょうかたいからホルモンのような物が出て、神と会話ができると言う話があるんですよ。幻覚だと思いますが、臨死体験をした人はその後の人生観が大きく変わる人は多いようです」と担当の医師は話した。

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