第8話 ガレリア山脈

 どこか熱を帯びた荒々しい風が吹く。

 岩肌が剥き出しの険しい山々が、見渡す限りに続いている。

 俺は再び、エルデリアという異世界に飛ばされたのだ。

 だが今回は一人ではない。

 後ろを振り返って、少し遅れる彼女に声を掛ける。


「アイリス、平気か?」


「ごめんねハルト。暑いのは苦手で…」


「いや、いいんだ。少し休もう」


「うん。ありがとう…」


 岩陰を見つけて腰を下ろす。

 俺たちは今、ガレリア山脈という火山地帯にいる。

 魔物どころか生物が存在しているかも怪しい場所だが、この地域にはドワーフが生息しているらしい。

 俺とアイリスはその集落を探して、山を下っている最中だ。


「しかし、あのクソ女神め。せっかく買い物した荷物を全部取り上げやがって」


「ハルト。私はあのしゅわしゅわするのが飲みたいよ」


「あぁ、コーラな。今飲んだら最高に美味いだろうな…」


 俺とアイリスは、空を見上げながらそんなことを話していた。

 その時だった。

 上空で何か動くものが光ったのを俺は見たのだ。

 太陽に反射して煌めくそれは、大きな生き物のように見えた。

 まさか……。


「アイリス、伏せろっ!」


「え?」


 アイリスを抱きかかえてその場に伏せた時、頭上を何かが高速で通り過ぎたのが分かった。

 そして、俺たちがいた場所の少し奥の岩壁に、何かが大きな音を立てて激突した。

 恐る恐る顔を上げれば、そこにいたのは翼を持つ巨大なドラゴンだった。

 ドラゴンは鋭い牙を剥き出しにして、こちらを威嚇してくる。


「走るぞ!」


 俺はすぐにアイリスを抱えるようにして立ち上がり、ドラゴンの反対側へと走り出す。

 ドラゴンは俺たちが逃げ出したのを見て咆哮を上げると、翼をはためかせて追跡を開始する。

 岩陰を回り込むように駆け抜けるが、ドラゴンは岩山を飛び越えて俺たちとの距離を詰める。


「くそぉ!どうすればいいんだよ!!」


「ハルト、あそこ!下に穴がある!!」


 アイリスに指差される方向に目を凝らすと、岩壁に洞窟を見つける。


「滑り込むぞ!」


 俺とアイリスは斜面を滑るようにして洞窟の中に入り込む。

 ドラゴンは俺たちが洞窟に入るとすぐに追いすがってきた。

 洞窟に無理やり体をねじ込むようにして進もうとするが、その巨体では頭が何とか入るだけで胴の部分で引っ掛かって前に進めないようだ。洞窟の入口で、ただ唸り声をあげるだけだった。

 俺たちは暗い洞窟の奥へと後ずさりしながら、入口の様子を伺う。


「…危なかったね、ハルト。死ぬかと思ったよ」


「俺もだよ…。あいつがいなくなるまで待つしかないか」


 そう呟いた直後だった。

 突如ドラゴンが口を開く、その喉奥に見えるのは紅蓮の炎だ。


「やっばッッ…!!」


 咄嗟にアイリスの手を引いて洞窟の奥へと走る。

 すぐ後ろで大きな爆音が響く。

 暗い洞窟は後ろから迫る炎により照らされ、熱風が背中を焼く。

 逃げ切れない…!

 そう思った時だった。

 俺達の足元が突然崩れて、地面が抜け落ちる。


「なっ……!?」「きゃっ……!?」


 突然のことでバランスを崩して、落下していく。

 アイリスと俺は暗闇へと落ちていった。


 ……

 ……

 …


「……ハルト!」


「…ん…?」


 聞きなれた女の子の声を聞いて目を覚ます。


「あぁ…アイリスか…」


「よかった、無事で…」


 俺は上半身を起こす。

 身体に痛みはない。ただ、凄く寒い。

 自分が着ているシャツに触れると、冷たく濡れていた。


「私とハルトはあそこに落ちたんだよ」


 アイリスが指差す方に目を向けると、それなりの大きさの湖のようなものが目の前に広がっていた。


「地底湖ってやつか?何にしろ助かったな」


 見上げると、自分たちが落ちたであろう大きな穴が天井に見える。

 結構な高さだ。地面にそのまま激突していればタダでは済まなかっただろう。


「そうだ!アイリスは怪我はないのか?」


「う、うん」


 アイリスは不安そうな表情で俯く。


「どうしたんだ?どこか痛いのか?見せてくれよ」


「いや…その…」


「ん?」


 アイリスはモジモジと体を揺すり、恥ずかしそうに口を開いた。


「……服、濡れてたから脱いだの」


「…へ?」


 俺は一瞬、アイリスの言葉を理解することが出来なかった。

 アイリスを見ると、彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしていた。


「…えっと。その、服が濡れちゃって寒かったから」


「そ、そうか……」


 洞窟の中は暗くてアイリスの全体像がぼんやりとしか見えないが、肩が剥き出しになって肌が露出していることが分かる。

 俺はくるりと体を反転して、アイリスに背を向ける。


「…ハルトも脱いだ方がいいよ。ここ、外と違って結構寒いから」


「あぁ、そうだな…」


 俺はぎこちなく服を脱いで下着姿になる。

 冷たい空気が皮膚を撫でる感覚に小さく身震いをする。

 俺とアイリスはお互い背中合わせの状態で座り込んだ。


「……」「……」


 俺たちはしばらくの間、無言だった。

 何だか落ち着かずに辺りをキョロキョロと見渡すと、洞窟の奥の方から微かに光が差し込んでいる事に気が付く。


「アイリス。あっちの方、明るくないか?」


「えっ?……ほんとだ。もしかして外に通じてるのかもしれないね」


「よし、それなら一旦服を着て…」


 そう言いかけた時、洞窟の奥からコツコツと音が響く。

 その音は徐々に大きくなり、洞窟内に反響する。


「…アイリス。何か来るぞ」


「……うん」


 俺とアイリスは立ち上がり、洞窟の奥を見つめる。

 そして、ゆっくりと姿を現したそれを見て思わず目を見開いた。

 現れたのは髭を蓄えた小さな男だった。

 身長は130cmぐらいだろうか?

 服装は粗末な作りの服を着ているが、隆起した筋肉のおかげでみっともなくは見えない。

 手には松明を、腰にはナイフが吊るしてある。

 男は俺たちに気付くと、警戒するような様子でナイフを手にした。


「…でけぇ音がしたから見に来てみれば、なんだおめぇら?」


 男の声が洞窟内に響き渡る。

 俺は咄嗟に両手を挙げて敵意がないことを示し、


「俺たちはドラゴンに襲われて、この洞窟に迷い込んだんです。見ての通り、武器も何も持っていません」


 俺は下着姿で男の前に立つ。

 アイリスは脱ぎ捨てた黒いパーカーで体を隠している。

 男は訝しげにこちら睨みつける。


「人間と…そっちは半獣人か?妙な組み合わせだな。…怪しいやつはブチのめす」


「いや!ちょっと待ってくださいよ!」


 制止の声は一切聞かずに、男がジリジリとナイフを突きつけながらこちらに近づく。

 こっちは丸腰だ。一か八か飛び込んで抑えつけられるか…?

 俺とアイリスが後ずさりをしていると、洞窟の奥からさらに足音が聞こえる。

 まずい、仲間がいるのか…!

 俺が判断に迷っていると奥の方から声が聞こえた。


「ちょっと、ダーリン!!先に行かないでよ~」


 現れたのは金髪の女だった。

 カツカツと洞窟内に響く足音をさせながら男に近づく。


「だから俺の名前はダーリンじゃねえって言ってんだろ!ダリンだ!!いい加減覚えやがれ女!」


「いやいや、ダーリンの方が響き可愛くない?あと、あたしの名前は結愛ヒメだから!そっちこそちゃんとヒメちゃんって呼んでよ!」


 男は顔を真っ赤にして喚くが、女の方は涼しい顔で話を続ける。

 俺の目を引いたのは長くて目立つ金髪ではなく、その女の格好だった。

 白のカッターシャツに黒のスーツスカート、腰にはスーツの上着が巻かれている。

 この女、もしかして…?


「ていうか、この人たち誰??二人とも裸じゃない?ダーリンったらえっち~♪」


「ちげーよ!!」


 男は大きく溜息を吐いて、


「……おい、人間。そっちの半獣人の女も服を着ろ」


「あ、はい!」


 男も金髪の女が来たことで、俺たちへの敵意が薄くなったようだ。

 俺とアイリスは服を着て、改めて自己紹介をしたのだった。


「俺の名前は神崎春斗といいます。こっちの女の子はアイリス」


「…どうも」


 俺とアイリスは軽く会釈をする。

 相対する二人とは一定の距離を取っているが、先程までの緊迫感はない。


「俺はドワーフのダリン・ホフマンだ。こいつの名前は…あぁそうだヒメだ。よろしくな」


「ヒメで〜す!ヒメちゃんって呼んでね!」


 ダリンはめんどくさそうに自分の名前を伝える。

 一方、金髪の女…ヒメはキラキラとした目つきで俺達を見つめていた。

 俺はダリンにここにいる事情を説明する。

 外でドラゴンに襲われたこと。洞窟に逃げ込んだこと。地面が崩れて地底湖に落下したこと。

 俺の話を聞き終わると、ダリンはなるほどと頷く。


「この洞窟に辿り着いた事情は分かった。だが、分からねえことがある。なんでこんな辺鄙な場所に人間と半獣人がいるのか、それが分からねぇ」


「…それは……」


 どう説明したらいいものか。

 悩んでいるとヒメが口を出す。


「ハル君はあたしと同じで、転移させられた日本人でしょ?」


「…あぁ、そうだよ。ヒメ…さんもやっぱり転移者だったんだな」


「ヒメさんって可愛くないからダメ!ちゃん付け言いにくいなら呼び捨てでもおっけいだよ〜」


 やはりそうだった。

 だが重要なのはここからだ。

 この先にする質問の答え次第では、状況は大きく変わる。


「ヒメは…魔王なのか?」


「違うよ。私は勇者側の人間だから、それを聞いてくるってことはハル君も魔王じゃないってことだよね!うわぁ〜安心した〜!」


 ヒメは俺の質問に笑顔で答えた。

 しかし、俺の頭の中は別の事でいっぱいだった。

 もしヒメが嘘を付いていて本当は魔王なら、俺とアイリスがここで殺されてしまうかもしれないからだ。

 そもそも魔王が三人いることは聞いていたが、勇者も複数いるなんてことは聞いていない。

 魔王が知らないことを知っていれば、ヒメの言っていることは信用できる。

 俺は一つ、したくはない質問をすることにした。


「ヒメは何回目の異世界転移だ?どうやって死んだ?」


「…えぇ、それ聞いちゃう?ハル君ってデリカシーなし男?」


「お互いを信用するためだ、協力してくれ。俺はこれが2回目で、1回目は……ドラゴンに喰われて死んだ」


 俺だって自分が死んだ時のことを思い出したくはない。

 だからこそ、それを語る時の表情や言動には嫌悪感が表れるはずだ。

 俺はヒメの違和感を見逃さないように注視する。


「えっと〜、あたしもこれで2回目だよ?1回目は…うーん、ハル君。これマジで話さないといけない流れ?」


「いや、無理しなくていいよ。今の反応で嘘じゃないのは分かったから」


「ハル君もなかなか疑り深い性格してるね〜。まあ、自分の命が掛かってるんだから当たり前か」


 ヒメは苦笑している。

 彼女の様子を見ていたが、特に気になるものはなかった。

 俺は少し安堵した。

 もしヒメが魔王の1人だったら、この場でアイリスを守れる自信がなかったからだ。


「何の話してるかはよく分からねえが、そこの…ハルトとか言ったか。おめぇとヒメは同じ国から来たってことか?」


「そういうことです。ダリンさん」


「なら一応おめぇのことは信用してやる。それと、ドワーフは畏った喋り方は好かん。俺のことはダリンと呼べ」


「…分かった。信用してくれてありがとう、ダリン」


 俺はダリンの申し出をありがたく受け取った。

 ダリンは腕を組んでうんうんと頷く。

 その横でキラキラとした瞳で俺たち、というよりアイリスに視線を送るヒメ。


「…やっば、もう我慢できないよ」


 ヒメは急に立ち上がると、ゆらゆらと幽鬼のようにアイリスの方に近づいてくる。

 アイリスも突然の行動に驚いて動けないでいるようだ。

 ヒメは俺たちのすぐそばまで来て、


「…この子超可愛いんですけど!!猫耳っ!はぁ〜、触ってもいい!?」


 そう叫んだ。


「え…?」


 呆気に取られる俺とアイリス。


「いや〜!異世界に来て猫耳の女の子とかマジ感激なんだけど!!ねえ!?触っちゃダメかな?先っちょだけでもいいからさ!!」


「…あ、うん。ちょっとくらいなら別にいいけど」


「やった!ありがとね!アイちゃんっ!」


 アイリスは猫耳を触られても迷惑そうな顔をしない。

 むしろ、自分の事を褒められてちょっと嬉しそうだ。

 俺だって触らせてもらったことないのに…。


「え、やっば!?質感がガチじゃん?ていうかアイちゃん自体がレベル高くない?肌白〜!羨ましい〜!!」


「ハルトの言ってたことは本当だったんだね。私、日本人には人気みたい」


 ヒメはアイリスの頭を撫でながら、その感触に感嘆の声を上げている。

 その反応に満足気なアイリスは、なぜか俺に向けてドヤ顔をしてくる。

 まあアイリスが満足そうならそれでいいか。


「仲良くしてるとこ悪ぃんだがよ。とりあえずおめぇ達は俺の集落に来てくれや。みんなにも事情を説明しなきゃならねえからよ」


 ダリンは面倒くさそうにそう言った。

 俺はアイリスと頷き合う。


「分かった。ここから外に出るんだな?」


「あぁ?ここから先は地下だ。歩いて行けばすぐだ。行くぞ」


「え?地下にあるのか?」


 ダリンは呆れたようにため息を吐くと、


「当たり前だ、ドワーフは地下に住処を作る。地下が故郷だ。地上の森や岩山なんかに住んでるやつは居候みてえなもんだ」


「なるほど、確かにそんな話を聞いたことがある気がする」


「ふん、まぁいい。さっさと着いて来い」


 ダリンはそう言って立ち上がり、街道の奥へと歩を進める。

 俺たちは慌ててダリンの背中を追った。

 こうして俺たちはドワーフの集落に向かうことになったのだ。



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