第5話 君だけは助ける
“人魔大戦”
この本の中に出てくる異世界から来た勇者。
オダ・ノブナガ。
……織田信長でしょ、これ。
「ハルト、鍋ができたよ」
「あぁ、ありがとう。ちょっと休憩するよ」
読みかけの本を閉じて、一旦食事を摂ることにした。
アイリスは家から木で作られた食器も持って来たようで、それに干し肉と野草を煮込んだ鍋の中身を入れてくれた。
俺はアイリスに感謝して手を合わせた。
まずはスープからいただく。口に含むと優しい味がした。
野草の苦みが良いアクセントになっていて美味しい。
干し肉も柔らかく煮込まれているため、噛みしめればしっかりと味が出てくる。
アイリスのおかげでこの世界に来てから、食事での不便はなかった。
木の器の中身をぺろりと平らげる。
「美味かったよ。ごちそうさま」
「お粗末様でした」
食事が終わってから、本を読んでいて分かったことをアイリスに伝える。
エルデリアで使われている言語が、自分が生まれた世界の日本という国の言語と同じであること。
本の中に出てくる勇者の名前が、日本で有名な人物と一緒なこと。
それらの事実から一つの仮説を考えた。
「……多分、俺が元いた世界からの転移者が過去にもいて、この世界で今使われている言語、ヒノモト語を広めた可能性があると思っているんだ」
アイリスは少し考える素振りをした後、口を開く。
「オダ・ノブナガはハルトの世界では何年前に存在した人物なの?」
「えっと、大体500年くらい前の人物だな」
「それだと時代が合わないかも。この本は神話とか御伽話の類だから、少なくとも1000年以上は昔からある話だよ」
「え、そうなのか…?」
それなら俺の仮説は的外れなんだろうか?
しかし、アイリスは少し考えてから言葉を続けた。
「…でも、ハルトの言ってることは間違ってないかも」
「なんでそう思うんだ?」
「なんかね、この世界の伝承とか昔話って、やたら別の世界から来た勇者の話が多いんだ。しかも、大体が魔王を倒す話」
「俺が女神に依頼された状況と同じだな…」
それらの創作だと思われてた話が実話だった。もしくは、大昔のエルデリアでは異世界転移系の創作物が流行ってたのか…?
ありえない話でもない。実際に日本でも流行ってるし。
俺はうんうんと唸りながら、色んな可能性を考えていると、
「…ハルトの仮説が正しいとするなら、その本のノブナガみたいに、ハルトは魔王と戦うことになるんだよね」
アイリスは真剣な顔で問いかける。
「そうなるんだろうけど、この世界には魔王なんて存在しないんだろ?」
「もしかしてだけど、ハルトが急に現れたみたいに…」
アイリスが何かを言いかけた瞬間、森の中に突風が吹き荒れた。
焚き火は枝ごと吹き飛び、食器等の軽い荷物は辺りに散らかる。そして、月明かりに照らされた周囲が一瞬だけ暗くなる。
辛うじて俺の視界に映ったのは、巨大な何かが俺たちがいた森の上を通り過ぎる姿だった。
「ドラゴン!?なんでこんな場所に…!」
アイリスは巨大な何かが飛んでいく方向に視線を向けて呟いた。
ドラゴンってこの世界にいるのか!?
俺が驚いて腰を抜かしていると、遠くから大きな唸り声と共に、轟音が鳴り響いた。
音がした方向を見ると、森の一部分が不自然なほどに明るく、黒煙が上がっていた。
「あの辺りって、まさか!?」
俺が声を上げると、アイリスは素早く弓を手に取って駆けていく。
「おい!アイリス!」
俺は慌ててアイリスを追いかけた。
……
…
村に辿り着くと、そこには凄惨な光景が広がっていた。
村にある家のほとんどが倒壊し、あちこちから火の手が上がっているのだ。
その原因はすぐに分かった。
ドラゴンだ。
村の広場に降り立ったドラゴンは咆哮をあげ、村人をなぎ倒し、家々を破壊している。
その姿は巨大で、胴体の高さは5メートルはありそうだ。翼を広げた横幅は優に15メートルを超えるだろう。
ドラゴンの鱗は赤銅色をしており、頭部には二本のツノが生えている。
そしてその瞳は赤く爛々と輝き、人間に対する殺意が感じられた。
「なんて大きさだ……」
その光景に目を疑った。
確かにこの世界に魔物がいることは分かっていたが、これほどまでに強力な存在がいたことに驚きを隠せない。
ドラゴンはまだ暴れ足りないのか、村人に向かって炎を吐き続ける。
その威力は凄まじく、直撃を受けた獣人の男が、目の前で一瞬で消し炭に変わっていく。
思わず悲鳴をあげそうになった。
身体は、恐怖のあまりに動かない。
自分の無力さを呪った。
俺には何もできない。
この事態に対処する力すらもないのだ。悔しい。
震える脚で、その場に立ち尽くしていた。
その時だった。
ドラゴンが咆哮をあげる。
見ると、ドラゴンの右目に矢が突き刺さっていたのだ。
矢が飛んできた方向には、
「アイリスっ!」
彼女は弓を構えてドラゴンに向かって矢を射つところだったのだ。
ドラゴンは首を動かし、アイリスの姿を捉える。
「まずい!逃げろっ!!」
俺が叫ぶのと同時に、ドラゴンは大きく口を開いた。
ドラゴンは口の奥に紅蓮の炎を灯す。
そして、そのまま炎のブレスを放つ。
炎は真っ直ぐにアイリスに迫る。
…アイリスは咄嗟に横に飛んで、間一髪でドラゴンのブレスを躱した。
着ていたフードの端が焼け焦げている。アイリスは無事な身体を起こし、また弓を構える。
だが、ドラゴンはそれを許さなかった。
ドラゴンは翼を大きく広げると、アイリスのいる方向に飛び掛かったのだ。
次の瞬間には、ドラゴンの脚がアイリスを踏み潰そうとしているのが見えた。
アイリスはそれを避けようとするが、間に合わず、
「くっ…!」
ドラゴンに蹴飛ばされ、アイリスは数メートル先の木に叩きつけられる。
アイリスの体は糸が切れた人形のように、ずるりとその場に倒れ込んだ。
ドラゴンは横になったアイリスを見下ろし、牙を剥き出しにしてゆっくりと迫る。
アイリスは気を失ったのか、ピクリとも動かない。
ドラゴンはアイリスの前に立ちはだかり、その鋭い爪を振り上げる。
その爪が振り下ろされたなら、アイリスは無事では済まないだろう。
俺はそれを見た瞬間、
「やめろォォォォ!」
ようやく体が動く。必死に走る。
俺とアイリスの距離は遠い。
間に合っても、何かできるわけでもない。
だけど、恩人が目の前で殺される。
そんなのは嫌だった。
だけど、無情にもドラゴンの爪はアイリスに……振り下ろされることはなかった。
「……おい!バカドラ!!お前、いつも早いんだよ!」
上空から聞こえる声。
ドラゴンはピタリと動きを止め、声の方向に首を動かしている。
何だか分からないが、気が逸れた。
俺は構わずにアイリスの元まで駆ける。
「そこの走ってる男を抑えとけ!」
また上空から声が聞こえると、突然俺の後ろから何かが飛び掛ってきた。
「な!?」
俺は背後から地面を滑るように押し倒される。
その何かは俺の背中にのしかかり、俺を動けないように押さえつけていた。
目の前、もうすぐ手が届くという場所に横たわるアイリスがいる。
頭を打ったのだろう、血を流してはいるが、微かに肩が上下しているのが分かる。
「…ったく、散々暴れやがって。俺にも楽しませろっつーの」
この場には不釣り合いな、軽薄な声が響く。
俺の体は、まるで地面に縛り付けられたように動かすことはできない。
辛うじて動く首で、その声の主に視線を向ける。
上空にいるのは、巨大なドラゴンよりは幾分か小さめのドラゴンが数頭。
そして、その中の一頭に跨る黒衣の男だった。
男は何かを懐から取り出し、眺めている。
「おー!ポイント入ってる、入ってる。こんなチンケな村でも、そこそこ人はいるもんだなぁ」
「…何なんだよ……」
「やっぱりドラゴン強すぎっしょ。てか、それを操る俺、TUEEEってやつか!」
「何なんだよ!お前は!!」
俺は声を荒げる。
男は興が冷めたような顔でこちらを見下ろし、
「うるっせぇ〜な。おい、やっぱこいつ殺し…んん?」
言いかけた男が、俺を怪訝な目で見る。
その時、初めて俺は男の顔をしっかりと見た。
一言で表すなら、柄の悪い男。
頭は金髪。耳には複数のピアス。鋭く吊り上がった目に細い眉は、他人を威圧して自分の強さを誇示したがる、そういった人間特有の嫌らしさを含んでいた。
「……なんつーか、その格好。リーマンみたいじゃね?お前、もしかして…転移者?」
男が放つ言葉に驚く。
今の自分の服装を見て、サラリーマンだと判別できるのは俺と同じ世界の住人だけのはずだ。
「あぁ、そうだ。俺は日本からの転移者だ。お前もそうなんだろ?なんでこんな事をする!?」
「いや、質問してんのは俺だから。おっさん」
男が指をパチッと鳴らすと、背中に掛かる体重がグッと増す。
肺の中の空気が無理やり押し出されて一瞬、呼吸ができなくなった。
「うっ……」
何とか浅く呼吸をして命を繋ぐ。
俺は首を後ろに回して、自分に何が起きているのかを確かようとして、ギョッとした。
振り返った顔のすぐ近くにドラゴンの頭がある。
俺の体は覆い被さるようにして、ドラゴンに抑えつけられているんだ。
「……ん〜?でも、おかしくね?流石に何も連れていない状態でこんなとこにいるわけねえし、殺れなかったヘタレとか?…だとしても、最初のポイント分はなんかいるはずだよな…」
男は何やらぶつぶつと呟いている。
俺は浅く呼吸をしながら、どうにかこの状況を打破する策を考える。
足先から背中までをがっしりと抑え込まれていて、何とか動くのは手首から先ぐらいだ。
何かないか、何か…?
ふと、腰あたりの固い物が手に触れる。
アイリスに貰った護身用のナイフだった。
しかし、柄の部分を握り込む事はできても、ドラゴンの体重が体に掛かっていて抜くことはできなかった。
「…あっ!!お前あれか、勇者の中の1人か。完全に忘れてたわ〜!」
俺が脱出する方法を考えていると、男は不意に大きな声を上げる。
その声はあまりに愉快そうで、俺にとってはあまりに不快だった。
「うわっ、マジか!え?勇者って何ポイントよ!ちょっと待ってな!」
男は懐から何かを取り出す。
それは…スマホ?のように見えた。
画面を見ながら、男はニタニタと嫌な笑みを浮かべている。
「おっけーい!俺は確認してるから、もう踏み殺していいよー」
男の指示とともに俺に掛かる体重が一気に増す。
肺の中の空気が一気に押し出され、意識を保っていられるギリギリだった。
くそっ……!
俺はなんとかナイフを握る手に力を込める。
しかし、ナイフは抜けない。
霞む視界の中で、アイリスの顔を見る。
せめて、彼女だけでも…!
「ギャァァァアアアアアッ!!」
「おい!なんだよ!?」
突然、俺を抑え込んでいた背後のドラゴンが咆哮を上げた。
背中に掛かる力が弱まる。
体を捻りながら拘束から抜け出し、目の前に横たわるアイリスを両手で掬い上げる。
「そのままアイリスを連れて走れ!!」
反射的に声がしたほうを見る。
そこにいたのは弓を構えた獣人の男。
ガウルだ。
俺はアイリスを抱えた状態で、森の中へと走る。
「絶対にその男を逃がすんじゃねえぞ!!必ず殺せ!」
背後から聞こえる男の声を振り払うようにして、ひたすらに走る。
意識のないアイリスの体は、左右に力なく揺れる。
なんとかバランスを保ちながら、ただ真っ直ぐに森の中を駆けた。
前に進む度に枝葉が顔を傷つけ、凹凸のある地面に足がもつれる。
それでもアイリスだけは落とさないように、ぐっと自分の体に引き寄せた。
(……苦しい)
息が切れる。
肺も、腕も、足も、焼きつくように痛い。
それでも止まるわけにはいかない。
どれだけ走っただろう。鬱蒼とした森の中では距離感も分からない。
もう充分に逃げたかもしれない。
あのドラゴン達は自分達を見失ったのかもしれない。
もう逃げる必要はなくて、身動きをしないように、じっとしていた方がいいのかもしれない。
そんな希望的な観測と肉体的な疲労が、俺の足を止めた。
ぜいぜいと息を切らして、希望に縋るように、振り返る。
視界に映るのは、真っ暗な森だ。
辺りは不自然なほどに物音もなく、自分の呼吸の音がうるさく感じられるほどだ。
安心感と疲労から、思わずその場に座り込んだ。
足は痙攣し、アイリスを抱えた腕は石のように硬直している。
俺がアイリスを守った。助けることができた。そのことに胸が熱くなる、涙が出そうになる。
呼吸と感情を落ち着かせるために、深く深く呼吸をする。
新鮮な森の空気が肺を満たし、酸素を十分に取り込み、ゆっくりと吐き出す。
深呼吸を繰り返すこと数回、どこからか腐った肉の匂いがした。
上から、生暖かい風が吹いている。
俺は疲労で重くなった首を動かして、空を見上げる。
しかし、そこに空はなかった。
ピンク色の口内、先端が二つに分かれた長い舌、上下に並んだ鋭い牙、喉奥の闇。
「ヨシ!食っていいぞ」
最後に聞こえたのは、黒衣の男の声だったのだろうか。
分からない。
異世界に転移して三日目。
俺はドラゴンに喰われて死んだ。
異世界で、最初に出会った女の子と一緒に。
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