第4話 過去の転移者

 この世界に魔王なんていない。

 俺は一瞬、その言葉の意味を理解することができなかった。


「どういうこと?」


 俺はアイリスの言葉の意味を知るために問い掛ける。

 アイリスは困ったような表情が浮かべながら


「そのまんまの意味だよ。この世界に魔王って呼ばれている存在はいないし、少なくとも私は聞いたことがないの」


 そう言った。


「……アイリスが存在を知らないだけとかある?」


 俺がそう問い掛けるとアイリスは少しムッとした表情をして、


「確かに私はあまり森から出たことはないけど、そこまで常識がないわけじゃないよ」


「あ、ごめん。そういうわけじゃないんだけど…」


 でも、だったらなんで俺がここに送られたんだろう…?

 女神からの依頼を思い返し、俺は疑問を持つ。

 女神が俺に嘘を言ったとは思えないが、だとしたらこの世界には何がある?


「……ハルトの話、昔読んだ本に似てるかも」


「昔読んだ本?」


 俺の言葉にアイリスが頷いた。


「私の父親が昔読んでた本の中に同じような話があったの。……確か……そう、“人魔大戦”だったかな」


「それはどんな話だったんだ?」


 俺の問いに、アイリスは少しだけ間を置いてから口を開いた。


「あまり詳しくは覚えていないけど、違う世界から来た勇者が魔王を倒して、世界を救って大団円って感じで終わった気がする」


「それって実話を元にした話?」


「うーん、どうかな?凄く昔からある話だから、おとぎ話の類だと思うよ」


 おとぎ話か…。

 俺は顎に手を当てながら考える。

 もし、その本の内容が実際に過去にあった出来事を記したものだとするならば、過去に俺と同じように異世界から転移した人がいることになる。本を読めば、何も分からない現状を変える手掛かりになるかもしれない。


「その本は今どこにあるんだ?」


 俺はアイリスに本の所在を尋ねる。

 俺が質問すると、アイリスは何とも言えない複雑そうな表情になり、


「……今は、私の家のどこかにあると思う」


 そう言った。


「アイリスの家?」


「そう。私は獣人の村で育ったから」


 アイリスは腕をすっと上げて遠くに見える大樹を指差す。


「あの大樹の近くに獣人の村があるの。もうしばらく帰ってはいないけど」


「…へぇ〜」


 なるほどなぁ。

 俺は視線を大樹へと移す。

 ここからでもかなりの距離があることが分かる。


「あのさ…ハルトは獣人の村まで行くつもり?」


「え?あぁ、そうだな。とりあえずこの世界のことをもっと知りたいし…」


 俺はアイリスの問いに答える。

 元々は人が居そうな場所を探して、あの大樹を目印に森に入ってきた。

 結果的にはそれでアイリスと出会えたのは良かったんだけど、自分が転移した理由について分からないことも増えた。

 できれば俺はそれを知りたい。


「……じゃあ、私も付いて行っていい?」


 アイリスが突然そう言い出すので俺は驚いた。


「アイリスも付いて来てくれるのか?」


「うん。私なら村まで道案内もできるし、本も探してあげられるよ」


 アイリスはそう言って、こちらをじっと見ている。

 俺はアイリスの言葉に内心ホッと胸を撫で下ろす。

 正直、一人でいくのには不安があったのだ。


「そっか!アイリスが来てくれるならすごく心強いよ!」


 俺がそう言うとアイリスはニコリと微笑んだ。

 だが、俺は村の話をしている時のアイリスの表情が気になった。


「でも…アイリスはその…あまり村に戻りたくはないんじゃないか?」


 村に自分の家があるのに、そこから離れて一人で生活してるのにはそれなりの理由があるのだろう。

 俺はアイリスが無理してついて来てくれるのではないかと心配になった。


「……まあ、歓迎はされないだろうしね。でも、いいんだ。家にはハルトが探している本以外にも色々と欲しい物があるし、里帰りにはちょうどいいよ」


 そう言って、アイリスは何でもないことのように笑う。

 …本当は嫌なんだろうなぁ。

 それでも俺を気遣ってくれたアイリスの優しさが嬉しくもあり、申し訳なくもある。


「ありがとうな。アイリス」


「ううん。それじゃあ、明日からさっそく出発しようか?ハルト」


「…ああ!よろしく頼むよ!」


 こうして、俺達の目的地は決まった。


 ………

 …


 次の日、俺とアイリスは日の出前に起きて、身支度を済ませて湖の前まで来ていた。


「それじゃあ、行くか」


「うん。気をつけて進もう」


 アイリスはそう言うと一歩足を踏み出す。

 俺達は獣人の村を目指して歩き始めたのであった。


「なぁ、アイリス。獣人と半獣人って何が違うんだ?」


 俺は森を歩きながら前にいるアイリスに問い掛ける。

 昨日の夜、寝る前に気になったことを尋ねてみたのだ。


「大きな違いは外見かな。獣人の見た目は人型の獣って感じ。半獣人はほとんどが人間の見た目で、外見の一部に獣人の特性を持って生まれてくることが多いんだ」


「はぁー、なるほどね。アイリスの場合は耳か」


「尻尾が生えている半獣人もいるね」


「…尻尾か」


 俺の視線が自然とアイリスの臀部に向く。


「どこ見てるの?」


 俺の視線に気づいたアイリスが顔を赤くして、手でその部分を隠す。


「いや、ごめんごめん!つい…っ!」


 俺も恥ずかしくなって目を逸らした。

 …でも、気になるよね。


「ハルトは変わってるよね。普通の人はこういうのを気持ち悪がるんだけど…」


 アイリスは猫耳をピクピク動かしながら言う。

 なぜこの可愛さがこの世界の人達に伝わらないんだろう。


「そうなのか。俺は可愛いと思うんだけどなぁ……」


「………」


 アイリスの猫耳がピクピクと先ほどより素早く動く。

 …あれ?これもしかして喜んでいるやつじゃ…


「まぁ、ハルトがいいならいいけど…」


 アイリスは少し早足で歩き出し、俺はその後に続く。


 森を進み始めて数時間が経った頃だろうか?

 俺はアイリスの隣を歩きながら、ふと疑問を感じて口を開いた。


「そういえば、村に着くまでの食料とかは大丈夫なのか?途中で狩りをする時間はあるのか?」


「ううん。村までは一日ほどかかると思うけど大丈夫」


「何でだ?」


「この鞄の中身だよ」


 そう言うとアイリスは手に持っていた鞄を掲げてみせた。

 中身は乾燥させた肉が詰まっている。

 俺はそれを見て感動する。


「おお!干し肉か!」


「うん。獲物が多く獲れた日とかに定期的に作ってるんだ。」


「へぇ〜、アイリスってなんでもできるんだな!」


「そうでもないよ?村を出てからは、自分で生活できるように色々と試してただけ」


 アイリスは謙遜しているが、耳がピクピク動いているから多分ご機嫌だ。

 尻尾が生えていたらブンブン振ってるんじゃないか?

 あれ?猫は機嫌が悪い時に尻尾を振るんだっけか?

 …どっちでもいいや。


 俺はそんなことを考えながら、前を向いて歩みを進めたのだった。


 ………

 …


 森を抜け、小高い丘の先にその村はあった。

 木の柵で囲まれたそこは15戸ほどの家々が並んでいる。

 そのどれもが平屋建てで、簡素な作りだ。


 …これが獣人の村か。

 俺はその光景を呆然と見下ろしていた。


 アイリスも俺の隣に立ち、少し緊張した面持ちをしている。


「…行こうか」


 アイリスは意を決したように一歩踏み出す。

 俺もその後に続いた。

 村に入るために木の門に近づくと、門番らしき男が声をかけてきた。


「止まれ!……お前、アイリスか?何しに来た?」


 男は2メートルほどの巨躯で、灰色の短い体毛に赤い瞳、鋭い牙を剥き出しにしてこちらを見ている。

 その風貌はまさに獣のそれであり、アイリスが言っていた通りの見た目だった。


「家にある物を取りに戻っただけよ。すぐに出ていくわ」


 アイリスが冷たくそう言い放つ。

 獣人の男は俺の方を見て、


「後ろにいるやつはなんだ?…こいつ、人間じゃないか」


 そう言うと、俺の顔を見て嫌悪感を露わにする。

 …やっぱ、人間は嫌われてるみたいだな。

 俺は男の態度を不愉快に感じながらも、何とかそれを堪える。


「……私の連れよ」


 アイリスは男を睨みつけながらそう言った。

 男はアイリスに睨まれたまま、


「ふんっ、血は争えんな。人間が獣人の村に入れるわけがなかろう。用があるならアイリス、お前だけで済ませろ」


 そう吐き捨てるように言い放った。

 これが獣人と人間の確執なのだろう。

 アイリスにはこうなることが分かっていたから、俺について来てくれたのかもしれない。


「アイリス、俺はここで待ってるよ」


 俺がそう言うとアイリスは申し訳なさそうな表情になる。


「…ごめんね、すぐ戻るから」


 アイリスは心配そうにこちらを見ながら門を通って村の中へと入って行った。

 迷惑かけてるのは俺の方だってのに…。


 俺と獣人の男は門の前で顔を見合わせる。


「妙な真似はするなよ」


「しねぇよ」


 揉め事を起こす気はない。

 俺がそう答えると男はフンッ!と鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。

 しばらく無言の状態が続き、


「おい人間。お前はアイリスとどういう関係だ?」


 不意に男が話しかけてくる。

 俺は少し考えて、


「森で魔物に襲われているところを助けられたんだよ。アイリスは命の恩人だ」


 と言うと、男は険しい表情を少し崩した。


「なるほど、あの子らしいな」


 どこか懐かしむようにそう呟いた。


「あんた、アイリスの親戚か何かか?」


 俺が質問すると男は少し驚いた表情を浮かべた後、


「……俺の名はガウルだ。アイリスの父の弟にあたる」


 そう名乗った。

 そうか…。


「あんたはアイリスのことを嫌っているのか?」


「……ふん」


 ガウルは答えなかった。

 けれど、その態度が全てを物語っている気がした。


 ………

 …


「ごめんねハルト。遅くなった」


 しばらくしてアイリスが戻ってきた。

 アイリスは手に大きめの麻袋を持っている。

 …多分その中に必要な物を詰め込んだんだろう。


「いや大丈夫だよ。アイリスにばかり世話をかけて悪い」


 俺はそう言ってから門番のガウルに話しかけた。


「それじゃ、俺たちはもう行く。…悪いな、邪魔したよ」


 俺がそう言うとガウルは


「…アイリス、気をつけろよ」


 とだけ告げた。

 それを聞いたアイリスは小さく頷く。

 何だよ、良い奴じゃん。

 そう思いながら俺は獣人の村を後にした。


 ……

 …


 それから俺達は、村から少し離れたところで野営をすることにした。

 俺は焚き火に枯れ枝を放り込んで、火の番をしている。

 アイリスは大きめの麻袋の中から小さい鍋を取り出して、その中に干し肉と水を入れている。

 せっかくだから、と色々必要なものを詰め込んだら大荷物になってしまったらしい。

 だけど苦労した甲斐もあり、今日は温かい汁物が食べられる。


「何かわかった?ハルト」


 アイリスは鍋を火にかけながら俺に話し掛ける。

 俺はアイリスの家にあった“人魔大戦”という本を読みながら考える。

 そうだ、俺はこの本が読めている。

 この本に書かれた文字が理解できている。


「……アイリス、俺たちって今どんな言語で話してる?」


「どんなって“ヒノモト語”で話してるよ…」


 俺は読みかけの本を開いた状態でアイリスに見せた。


「じゃあ、この本に書かれている文字は?」


「……ヒノモト語だよ?ちょっと古い言い回しで意味が分からない部分はあるけど…」


 …ヒノモト語。がっつり日本語だ。

 俺がアイリスと最初から言葉が通じていたのは、異世界言語自動翻訳みたいな女神からのサービスだと勝手に思っていたけど、普通に俺たちは日本語で会話していたんだ。

 そして、この本に書かれている文字も日本語だ。

 アイリスの言う通り、少し読み辛い部分もあるけど。


 そして、俺がこの本のことで何より気になっていることが一つある。

 本に出てくる、異世界から来た魔王を倒す勇者の名前がどうしても気になる。


「……オダ・ノブナガって」


 いや、貴方はどっちかというと魔王側の人間では?

 俺の頭の中では、教科書で見た偉人の姿が思い浮かんでいた。

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