第3話 そんな人はいませんよ
アイリスは頭部にある二つの耳をピコピコと動かしている。
それは猫の耳のように長く、毛並みは髪色と同じ銀色だ。
俺はその姿を見て目を丸くした。
「……猫?獣人ってやつ?」
「そう。私は人間と獣人のハーフ。半獣人ってやつ」
そう言うとアイリスは視線を下に向けたまま俯いてしまった。
それと同時に猫耳もしゅんと横に垂れる。
「……すっげぇ」
「え?」
「俺、今凄い感動してる!初めてここに来て良かったって思ったよ!」
生猫耳だ!!
これでテンション上がらない日本男児はいないだろ!
両手を握りしめて、憧れのスター選手を間近にしたような気持ちでアイリスを見る。
「あ、あの…?」
アイリスは戸惑い気味だ。
はっとした俺は言い訳のように言葉を繋ぐ。
「あ、ごめんごめん!俺の生まれた国ではアイリスみたいな猫耳の子は凄い人気なんだよ、だからびっくりしちゃって…」
「…え?ほんとに?そんな国があるの?」
アイリスが信じられない、という表情を浮かべている。
その様子から何となくだが事情を察した。
多分、この世界での半獣人というのはあまり良くは思われていない存在なんだろう。
「俺の生まれた国ではね…」
アイリスに自分の世界について話した。
俺の世界について知らないアイリスは、初めて聞く話に興味深そうに耳を傾けてくれていた。
…まあ、異世界から来たって部分は伏せてだけど。
ハルトの生まれた国に行ってみたいな、アイリスのその言葉が妙に嬉しかった。
話し込んだせいか辺りも薄暗くなり、俺達は寝る準備をすることにした。
夜空には丸い月が浮かんでいる。
…いや、あれをこの世界では月と呼ばないのかもしれないな。
俺たちは焚き火を間に置く形で、二人とも横になり空を見上げていた。
「ハルト、寝る前に一つだけ訊きたいことがあるんだけど…」
「なんだ?」
「ハルトは平和な国にいたんだよね、何でこんなとこに来ることなったの?」
「………あー…」
アイリスの問いに言葉を詰まらせる。
女神に召喚されたことやエルデリアの人々を救う旅に出ることを言うべきだろうか?
「俺は…」
アイリスには俺の秘密を話しても良いんじゃないかという思いが生まれる。
彼女は俺を助けてくれたし、ご飯もご馳走してくれた。
意を決してアイリスに全てを話すことにする。
「俺は別の世界から女神に召喚されてここに来たんだ」
「…………」
あれ、まずったかな?
やっぱ言わないほうが良かったかも…
ちらりと横を見ると、アイリスも横になりながらこちらをじっと見つめている。
そして小さくため息をつくと、
「ハルトを信じるよ。直感に従うのが獣人の慣わしだからね」
「信じてくれるのか?自分でもバカみたいな話だって思うんだけど…」
「ハルトの国の話を聞いてても不思議に思ってたんだ。この世界にそんな恵まれた国があるなんて聞いたことがなかったから、それに……」
アイリスは悲しげな顔した後に寂しそうに微笑んだ。
「ハルトは半獣人の私を気持ち悪がらなかったから…」
きっとこの子は平和な世界で育った俺が想像できないような辛い目に今まで遭ってきたんだろう。
アイリスの表情にはそう思わせるだけの重みがあった。
アイリスにその表情を作らせる原因となったであろう、この世界の住人への怒りを感じる。
その表情を変えてやりたいと思った。
「アイリスがこの世界でどんな存在だろうと気にしない。俺の命の恩人だし、俺の言うことを信じてくれた」
それに…と言葉を繋ぐが言っていいものか、迷う。
なんだか少し恥ずかしい。
アイリスは不思議そうにこちらを見て、次の言葉を待っている。
「…そ、それに、アイリスのその耳は凄く可愛いと思うぞ!」
「………」
「………」
あれぇ〜?失敗したかな?
異世界に来て、すぐにこんな可愛い女の子と出会ったから舞い上がって変な事を言ってしまったのかもしれない。
アイリスは無表情でこちらをじっと見つめてから、ゴロンと寝返りを打って背中を向けると、
「……ありがとうハルト。おやすみ」
そう言って寝てしまった。
「あ、あぁ。おやすみ」
何だかとても恥ずかしい気持ちになり、しばらく眠れなかった。
………
…
「…んぅ……」
瞼の裏に太陽の光が映るのを感じながら、ゆっくりと意識を取り戻していく。
隣に寝ていたはずのアイリスの姿はない。
近くを見回すがアイリスの姿を見つけることはできなかった。
代わりに少し離れたところにある木の上で、弓を構えて獲物を狙っているアイリスの姿を見つけることができた。
どうやらアイリスは朝早くから狩りを行っているようだ。
寝起きの頭を働かせてこれからのことを考える。
魔王がどうこうのレベルではない。
まずは、生活を安定させることから始めなくては。
「アイリスはどうやって生活してるのかな…?」
アイリスはこの森で一人で暮らしているようだ。
ということは一人で森の獣や魔物を狩って生活しているのだろう。
できればアイリスからそういうサバイバル技術も学べるといいんだけど…。
「おはよう。ハルト」
考え事をしていた俺は、アイリスに声をかけられて我に返る。
いつのまにか弓を構えていたアイリスがすぐ近くに立っていた。
俺は驚きつつ
「おはよう。…狩りには成功したのか?」
そう尋ねると
「うん。この鳥を狩れたよ」
と言ってアイリスはその場でしゃがんで、キジによく似た野鳥を地面に置く。
それを見て感心しながら、
「アイリスの弓の技術ってやっぱり凄いよな。俺が襲われた時も的確に魔物の頭を射抜いたし」
「半分だけど獣人の血が入っているからね。目は良いんだ」
アイリスは少し自慢げに微笑む。
耳がピクピクと動くのは機嫌が良いからだろうか?
「ハルトも羽を毟るのを手伝ってくれる?朝ごはんにしよう」
「あぁ、それはいいんだけど…」
「どうしたの?鳥は苦手だった?」
アイリスは不安そうな顔を浮かべる。
その顔に首を横に振って否定を示す。
「いや…そうじゃないんだ。アイリスにはずっと世話になりっぱなしで、なんというか申し訳なくてさ…」
流石に俺にも男としてのプライドがある。
助けられてばかりでは落ち着かない。
このままじゃただのひも男じゃないか。
アイリスはうーん、と唸ると
「じゃあ、お昼はハルトにも狩りを手伝ってもらうよ」
そう言って微笑んだ。
その笑顔を見て、俺もつられて笑う。
「それぐらいなら喜んで協力するよ」
その後、アイリスの指示に従って野鳥の羽をむしり、火であぶった鳥の肉を頬張ったのだった。
………
…
「…じゃあ、こっちに行こうか」
「了解」
「この辺りは魔物が少ないから…」
「あの鳥は美味しくないからやめよう…」
説明を聞きながら森の中を進む。
アイリスに貸してもらった弓矢を手に獲物を探す。
森に入る前に何度か練習させてもらって、近くの的にくらいは当てられるようになった。
しかし、今のところ獲物らしい獲物は見当たらない。
「この辺は何もいないな…」
「そうでもないよ?ほら、あそこにいる…」
指を指したほうを見てみると、そこにはウサギのような生き物がいた。
その大きさは元の世界のウサギよりも一回りほど大きいが、色や形は似ている。
「…あれを狙おう」
「うん。ハルトならきっとやれる」
そう言ってアイリスが微笑む。
その笑顔はまるで俺のことを信頼しているかのように思えた。
俺は頬を掻きながら照れるのを誤魔化すように、
「じゃあ、いくぞ」
そう言って弓を構える。
ゆっくりと呼吸を整えて弓の弦を引く。
集中した頭では周りの音すら聞こえない。
狙いを定め、放つ。
ヒュンという音を残し矢は空を駆ける。
「ギィッ!?」
ウサギ型の魔物は矢を肩に受けて倒れるが、よろよろと起き上がる。
「くそっ!外した…!」
「まだ大丈夫。次を射るだけ」
アイリスの言葉で気持ちを切り替える。
もう一度、今度は少し下を狙って射る。
矢は狙い通りに魔物の腹部に命中し、魔物は倒れ伏す。
「やった!」
「ハルト、すごい」
「…いや、たまたまだよ」
アイリスの称賛の言葉を謙遜しながら、倒した魔物のもとに駆け寄る。
魔物はまだ息があり、苦しそうに脚を痙攣させている。
「楽にさせてあげよう」
アイリスが腰のナイフを取り出す。
その様子を見て、
「俺がやるよ」
そう言った。
アイリスは俺の言葉を聞くと素直にナイフを差し出す。
受け取ったナイフを俺は魔物の首に押し当てて、一度深く深呼吸をする。
そして、覚悟を決めて勢い良く横に引いた。
口から吐血した魔物はしばらく痙攣していたが、やがて動きを止めた。
その光景をしっかりと目に焼き付けた。
殺した生き物の体温を感じるたびに、罪悪感が胸を締め付ける。
けれど、その感情を抑え込み、
「…アイリス、狩りを教えてくれてありがとな」
そう言ってアイリスのほうを向いて感謝を伝える。
「うん」
アイリスはどこか嬉しそうに頷く。
こうして、俺の初めての狩りは無事に終了した。
………
…
日が沈みかけた頃、俺とアイリスは湖へと戻ってきた。
今日の成果は1匹のウサギに似た魔物と1匹の野鳥だ。
狩りに集中していたためか、森の中での移動時間はあっという間に過ぎていた。
俺はアイリスに狩りの技術や動物の捌き方など、色々なことを学んでいた。
最初はグロテスクで吐きそうになるぐらいだったが、慣れればそれほどでもないことに気付く。
アイリスに借りたナイフの刃についた血糊を湖の水で拭う。
「…ハルトの狩りのセンスはなかなかのものだったね」
後ろからアイリスが俺のことを見ながら言った。
その言葉を聞いて苦笑する。
「さっきは上手くいったけど、やっぱりまだ難しいな」
「でも、私が初めて狩りに行った時より全然上手だよ」
そう言ってアイリスはふふっと笑う。
俺は照れ臭さを誤魔化すように頭を掻く。
「そういえば、アイリスは誰に狩りを教わったんだ?」
「父親だよ。獣族の戦士だったんだ。もう死んじゃったけど」
「そっか…ごめん…」
「気にしないで。…もう随分昔の事だしね」
そう言ってアイリスはどこか遠くを見つめるように空を見上げる。
どう反応していいか分からず、黙ってその様子を見ていた。
それからアイリスは何かを振り切るように首を振って、
「ねぇ、ハルトはこれからどうするの?」
俺に問いかける。
その問いに俺は少し戸惑う。
女神ロキには、この世界にいる三人の魔王を倒して世界を救えだのなんだの言われたが、ウサギを狩るのにも一苦労するような男にそんな事ができるとは到底思えない。
「俺をこの世界に転移した女神からは3人の魔王を倒してほしいって依頼されてるんだけど…」
「……魔王?」
「そう。馬鹿な話だよな。何の能力もない俺にそんなこと頼まれてもな…」
俺は笑いながら呟くように答えた。
アイリスは俺の顔じっと見つめてから
「ハルト。この世界に魔王なんていないよ」
確かにそう言った。
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