第2話 ガルダの大森林

 ………

 ………

 ……………

 意識が浮上する感覚。

 そして目を開けたときに見えたのは青空だった。

 どうやら俺は地面に寝転んでいるらしい。


 体を起こしてみるとそこは森だった。

 背の高い木々が立ち並び、森の奥には山の峰がうっすらと見える。

 空は青く晴れ渡り、心地良い風が吹き抜ける。


「本当に異世界に来たんだな…」


 改めてここが異世界なのだと認識した。

 立ち上がり、辺りを見渡す。

 遠くの方に小高い丘と山が見えていて、丘のほうはこことは違って木が少なくなってるようだ。

 俺は丘に向かって歩き出した。

 歩きながら考えるのはこれからどうするかということだ。


 正直言って、俺は異世界に行くことを楽しみにしていた。

 異世界といえば、剣と魔法の世界。

 そこで俺は異世界無双をするのだと思っていたからだ。


 しかし現実は違う。

 俺には何の力も才能もなく、頼れる仲間もいない。

 自分の力だけでエルデリアの人々を救わなければならないのだ。


 ………どうやって?

 まず俺がやるべきは情報収集だ。

 エルデリアの常識を知るために人に会って話を聞こう。

 そして、今後の方針を決めるのだ。


 丘まで辿り着いて息を呑む。

 見晴らしの良い丘からは辺りを一望できた。

 目の前には草原が広がり、奥にある山の頂きには馬鹿でかい木が見える。


「ガルダの大森林、か」


 女神ロキの言葉を思い返す。

 確かにあいつはそう言った。


「マジでルーレットでスタート地点決められたんだな…」


 思わず苦笑した。

 ルーレットで決まったスタート地点がここってどうなんだよ。

 本当にルーレットで決めるのか?

 それとも女神は初めからここに俺を転移させるつもりだった?

 いや、考えても分からないことだらけだ。

 頭を振って気持ちを切り替えることにする。


「とりあえず、あの木を目指して進んでみるか」


 ガルダの大森林にある馬鹿でかい木を見て、そう呟く。

 その木は他のどの木よりも大きく、ここから見ても木の葉の色が濃緑色であることがわかる。

 あれだけ目立つんだ。付近に集落とかがあってご神木として崇めているかもしれない。

 何より他に当てもない。


 ガルダの大森林の巨木に向かって歩き始めた。

 それからしばらくして俺は大きな問題に気付く。


「腹減ったなぁ…」


 森に入ってから2時間ほど経っているが、それらしい物は全く見当たらない。

 食料も水もない状況で俺は空腹を感じるようになっていた。


 歩きながら考えを巡らす。

 食料はどうするんだ?

 水はどうすんだよ?

 そもそも異世界の食物を食べたら腹を壊したりしないだろうか?


 いや、考えちゃダメだ。

 今は食料を何とかするしか道はない。

 草むらを掻き分けながら歩みを進めた。


 その時だった。

 ガサガサという草をかき分ける音が、後ろから聞こえてくる。

 驚いて振り向いた。


 草むらから現れたのは犬だった。

 ただし、普通の犬ではなく、体の大きさは1メートルほどもあり、体毛は灰色で鋭い牙が覗いている。

 犬は俺の姿を見つけると鼻をひくつかせ、口からは唸り声のようなものを発し始めた。

 俺は犬から視線を逸らさずに身構える。

 この犬は明らかに敵意のある表情をしている。


 そして、


「グゥァァァ!!!」


 突然犬が大きく吼えた。

 犬は大きな口を開けて俺めがけて飛びかかってくる。

 とっさに持っていた枝で犬を受け止めたが


「うぐっ!?」


 犬の勢いは凄まじく、俺は押し切られ地面へと倒された。


「グルルルル…」


 犬は俺のお腹に前足を置き、今にも噛み付かんばかりにして唸り声を上げる。

 必死に抵抗を試みるが、体重をかけられて思うように動けない。

 やばい!

 このままでは噛み殺される!

 そう思った瞬間、


「ギャウッ!」


 犬が驚いたような声を上げると、力を無くして俺に覆いかぶさってきた。

 何やら生ぬるい液体が俺の顔を伝う。

 …血だ。


「…大丈夫?」


 突然頭上から聞こえた声に驚くが、


「…大丈夫?」


 再度言われてようやく俺は口を開いた。


「あ…あぁ…」


「そっか。よかったね」


 俺は犬をどかし、顔についた血を手で拭いながら上を見た。

 そこには一人の女の子が立っていた。



 年の頃は10代半ばぐらいか。

 深く被った黒いフードからは銀色の髪が見える。

 瞳の色は緑、というか…翠色だ。

 顔は小さいが、目鼻立ちがくっきりとして可愛い感じだなと思う。


 手には弓を持っている、犬の頭に刺さっている矢はあれで放たれた物なのは間違い無いだろう。

 全身は黒いマントで覆われていて、華奢な体格も相まってまるで闇に紛れそうな雰囲気だ。



「助けてくれたんだよな…ありがとう」


 お礼を言いながら身体を起こす。

 女の子は俺から視線を外し


「別に…。たまたま近くにいただけだから…」


 と言ってそっぽを向いたまま答える。


「そっか。…それでもありがとうな」


 俺は立ち上がると女の子に向き合う。

 女の子の身長は一歩引いた俺を見上げるぐらいだ。

 …やっぱり可愛いなこの子。


「俺は神崎春斗っていうんだけど…」


「…カンザキ…ハルト?」


 俺の言葉に反応し、女の子は俺の名前を復唱すると少し考える素振りをしてから


「…私はアイリス。よろしく」


 と言った。


「じゃあ、アイリスちゃん」

「……アイリス…」

「え?」

「……名前…。アイリスって呼んで…」

「あ…あぁ…。ごめん…。よろしくな…アイリス」

「うん…」


 そう言うとアイリスはコクリと頷く。

 俺はアイリスの様子に首を傾げる。

 フードで顔が隠れているせいか、表情はよく分からないけれど

 なんとなくだけど…照れているような気がする…。


「ハルトはこんなとこで何してるの?」


 不意に下の名前で呼ばれて少し戸惑う。

 何から話せばいいか迷う、そもそも正直に話していいのか不安になった。

 俺が初対面の人に「女神に召喚されて違う世界から来ました」なんて言われたら、こいつやべぇやつだなと思う。


「実は気がついたらここにいて、俺にもよく分からないんだ」


 半分は本当のことだ。

 アイリスは俺の目をじっと見つめる。


「…嘘じゃないみたい」


「分かるの?」


「何となく…。私の直感」


 この世界にはそういう能力でもあるんだろうか?

 アイリスに対してちょっと不思議な雰囲気を感じるが、話が通じそうな事に安堵する。


「とりあえず移動した方がいい、血の匂いで他の魔物も集まってくるから」


 そう言うとアイリスは犬型の魔物の頭に刺さった矢を引き抜き、腰に付けた矢筒に戻す。

 さらにそのままナイフを取り出して、犬型の魔物の脚4本を手慣れた様子で切り落とすと、それを紐で縛って懐にしまう。


 なんかすごいなぁ…。

 呆然とその様子を見ながら、改めて自分が異世界に来たことを思い知らされる。


「じゃあ…こっち…」

「あ…あぁ…分かった」


 アイリスが先導して、俺はその後ろを付いていく。

 しばらく歩いていくと木々の間隔が開き始めた。

 微かに水音が聞こえる。


「ここからは魔物も出にくいから…」


 そう言ってアイリスは森から抜け出した。

 俺も続いて森から出てみると

 目の前には小さな湖が広がっていた。

 アイリスは湖のほとりに先程の魔物の脚4本と腰に付けた鞄を置く。


「薪になる枝を探してくる。ハルトは服に付いた血を落としておいて」

「あぁ、分かったよ」


 そう言うとアイリスは森の方へと消えていった。

 俺は言われた通りに服を脱ぐ。

 べっとりと肌に吸い付くような血の感触に少し気分が悪くなる。


 湖の水で服を洗いながら、アイリスが何者なのかと考える。

 さっき犬みたいな魔物に殺されそうになった時、アイリスは偶然近くにいたと言っていた。

 けれど、彼女は魔物に襲われている俺の場所を正確に突き止めていた。

 それにあの犬型の魔物は茂みの中から突然、俺に襲いかかってきたのだ。


 そんな状況下でたまたま近くにいたなんて言われても素直に信じることは難しいだろう。

 彼女が何故あの魔物に襲われた俺に近づいたのか…。


 そこまで考えて俺は一つの答えに辿り着く。


「もしかして…あの子に監視されてた?」


 アイリスは俺に興味を持って近づいてきたのではないだろうか?

 …そして、俺のことを調べたいがためにあんな行動をとったのではないか?


「いやいや…まさか…」


 いくら何でもそんなはずはない…。

 そう思いながらも、俺は彼女のことを信用していいのかという思いが強くなってくるのであった。


 ………

 ……


「そうだよ、森に入ってきた時から様子を伺ってたんだ」


 戻ってきたアイリスに率直に疑問をぶつけることにした俺は、アイリスの返答に面食らう。

 アイリスは拾ってきた薪に火を付けて、俺の正面に座っている。

 皮を剥いだ魔物の足に枝を刺して直接火に当てて、焼いている最中だった。

 火にあてて香ばしい匂いが漂う。


「なんでそんなことを?」


「西の森で何かが光ったと思ったから様子を見に行ったの、そうしたらあなたを見つけた」


「人間がこの森に来るなんてあまりないことだから、しばらく観察してた」


 アイリスは焼き加減を見ながらそう言った。

 目の前の串焼きとアイリスを交互に見ながら

 なるほど、と頷く。

 光の正体は俺が転移された時に発生したものだろうか?


「最初は悪い人間かと思ったけど、そんな雰囲気でもなかったから」


「それで俺が襲われた時に助けてくれたのか。アイリスのおかげで救われたよ。」


「疑って悪かった。本当にありがとう」


 胡座をかいた状態で深く頭を下げる。

 命の恩人を疑うなんて申し訳ない。


「…別にそんな大したことはしていない」


 アイリスは俺から視線を外しながらそう答える。

 少し照れてるようにも見えた。

 アイリスは魔物肉を手に取り一口齧る。

 うんうん、と頷いてから


「焼けたからハルトも食べる?」


 そう言って自分が持っていた魔物肉をこちらに差し出す。

 正直、リアルな獣の足というビジュアルに少し引いていた俺だったが、香ばしい匂いと空腹感には逆らうことはできず


「じゃあ、少し頂いていいかな?」


 と聞くとアイリスはうん、と頷く。

 魔物肉を受け取って恐る恐る一口齧る。


「……あ、美味い!」


 少しクセはあるが、脂身の少ない淡白な味がする。

 昔食べたジンギスカンを思い出す。

 その様子を見たアイリスが口元を少し緩める。


「人間はあまり魔物を食べないって聞いていたから、口に合ってよかった」


「いやぁ、これ結構いけるよ!……ん?」


 魔物肉を咀嚼しながら何かアイリスの言葉に引っかかりを感じる。

 なんかその言い方だと自分は人間ではないと言っているように聞こえるが…?


「あのさ、アイリスって人間だよね?」


 問いかけるとアイリスは俺を見て少し不安そうな表情を浮かべる。

 それから俺の目をじっと見つめてから小さくため息つく。

 まあ悪い人じゃなさそうだし、と呟くと被っていたフードを脱ぐ。


「……私、人間じゃないよ」


 そう言い放つアイリスの頭には、獣の耳が付いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る