第2話出会った時には、彼には既に妻がおりました(2)

「ねえヘラ、さっきからどうしたんだい? ぼんやりとして」


「あっ、いえ。ゼウス様とお会いしてからのことを思い出していただけですわ」


 いけない、いけない。今は結婚式の宴の真っ最中。ゼウス様にうふふ、と笑いかけると「そう? 」と返してきました。


「それならこれを気に入ってくれるかな」


 そう言って取り出してきたのは黄金に輝く長い棒。美しく装飾が施された棒の先には一羽の鳥が飾られております。


「これは……王笏おうしゃくですか?」


「そう。この鳥が何か分かるかな?」


 細めな身体に長い尾羽。この鳥は……


「まさか……ゼウス様ですか?」


「正解!」


 飾られていた鳥はカッコウ。つまりゼウス様が化けて迫ってきた、わたくし達の思い出の鳥。

 夫のユーモア溢れるプレゼントに、思わずくすくすと笑ってしまいます。


「いつでも君の事を思っているよ、ヘラ」


 甘い甘い口付けに、本当に溶けてしまいそうです。


 好き! 好きっ!! 好きっっ!!!


 自分の気持ちに蓋をすることなく誰かを想う事が出来るのって、なんて幸せなのかしら。



「おめでとうヘラ、そしてゼウス」


 するりと大地から姿を現してこちらへやって来たのはガイア様。わたくしとゼウス様のお祖母様です。


「ガイア様、ありがとうございます」


「ヘラ、今日と言う日のお前はいつにも増してなんて美しいのかしらね。幸せそうで何よりじゃ。これは妾からの祝いの品。受け取ってちょうだい」


 ガイア様から渡されたのはこれまた黄金色。


「黄金のりんごでしょうか? なんて素敵な果実なのかしら」


「王妃となったお前に相応しい、特別な果実じゃ。どこかに植えてご覧なさい」


「それなら西の果ての地の一角を君にあげよう」


「西の果て、と言うと、アトラスが居るところでしょうか?」


 アトラスは先の戦で父クロノス側に付いていた男で、巨大な身体と凄まじい怪力でもってゼウス様率いるオリュンポス陣営に大打撃を与えたんだそう。

 負けたクロノスや味方をしていた者達は奈落タルタロスへ落とされたんですけれど、アトラスだけはさらに重い罰を。という事で、西の果てで天空を背負う事になったそうです。


 ゼウス様ったらいくら怪力男と言ったって、たった一人で天空を背負わせるなんて……



 情け容赦ないところもまたステキ!



「そう。あそこへ立ち入る者はそうそういないだろう? 大事な物を置いておくにはピッタリだと思わないかい?」


「そうですね。そうしますわ!」


 わたくし達が繰り広げる会話に、ガイア様がピクリと眉頭を上げました。


「ゼウス……お前には大いに言いたいことがあるけれど、今日はなんと言ってもおめでたい日。幸せそうなヘラに免じて、今日のところは何も言わずにおいてやろう」



 …………?


 一体なんの話しでしょう。



 いつものように笑みをたたえたゼウス様とどこか怒りを抑えているかのような表情をしたガイア様との間に、バチバチと見えない火花が散っているかの様です。


 ガイア様はほぅっ、とひとつ息をつくと、再び大地へととけて消えてしまわれました。


「……ゼウス様、ガイア様は一体どうなさったのでしょう?」


 わたくしの問いに、ゼウス様はフルフルと頭を振ります。


「ふふ、君が気にする事はないよ。ただちょっと、気に食わないことがあるだけさ。さあみんなの所へ行っておいで。さっきから待っているみたいだからね」


 神酒ネクタルを片手に語らいあっていた女神達が、こっちこっちと手招きしております。


「それでは行って参りますわ」


 わたくしも神酒の入った杯を手に取ると、輪の中へと入っていきました。


 女神達と話しをしてしばらくすると「おっめでとー!」と威勢のいい酔っ払いの声がしました。


「テ、テミス様。ありがとう……ございます……」


 今いちばんお会いしたくない方。ゼウス様の前妻、テミス様です。


 いくら自分が仕掛けたことでは無いとはいえ、人様の家庭を壊してしまったんですもの。会わす顔もありません。


「やぁねぇヘラ、そんな湿気た顔して。『様』なんて付けなくてもいいのよー。なんてったってあんたは今や神々の女王なんだから!」


「は、はぁ……」


「あっ、もしかして私に会うのが気まずいとか思ってるー?」


「…………」


 「はい」とも「いいえ」とも言えずに固まっていると、キャハハハと笑いながらバシバシ背中を叩いてきました。


「やだぁ、大丈夫よ! むしろあんたには感謝してるんだから。あの浮気男から解放されて清々したわ。ほら、私、掟を司る神でしょ? それなのに夫が浮気性とかシャレにならないのよ。雄は子孫を多く残すために本能で浮気するですって? バカ言ってんじゃないわよ。獣じゃあるまいし。ねえ?!」


「あー……ええ、そうですわね」


 テミス様は相当酔っ払ってらっしゃる御様子です。

 普段は片手に天秤を、もう片手には剣を携えてビシッとしてらっしゃるのに、相当溜まってらっしゃったんだわ、これは。


 ゼウス様が2度の結婚生活中に浮気を繰り返していたのはわたくしのみならず、誰もが知っていると言ってもいいくらい有名な話。


 水の女神エウリュノメ、姉のデメテル、伯母のムネモシュネ……子供が出来た女神以外にも、関係を持った女性の噂は山ほど。


 言っていて何だか悲しくなってきましたわ。


「あんたの様な真面目な子が、下半身ゆるゆる男……ん? カチカチかしら? あー、どっちでもいいわ!つまりね、嫁いじゃって大丈夫なのか心配で心配で……」


 もの凄い言いように大丈夫なのかと、チラリとあちら側にいるゼウス様を見ると、楽しげに男神達とお話しております。


 良かった、聞こえていないみたいです。


 ゼウス様に浮気癖があるのは承知の上。でもいつもわたくしの事を思っていると言って下さいましたもの。お互いに想いあっていれば、きっと他所の女などには……


「愛の力で浮気癖も治る。なんて幻想を抱かない方がいいわよ」


 テミス様がわたくしの考えを読んだかのように、ズバッと言い放ちました。数秒前までトロンとしていた顔が急にキリッとしたものですから、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまいます。


「今や頂点に君臨するあの男にはどうする事も出来ないけどさ、あんたの愚痴を聞くくらいは出来るわよ。ねっ?! なんかあったらいつでも私のところに来たらいいわ」


「お気遣い痛み入ります」


 もう一度ポンポンとわたくしの背中を叩くと、テミス様はフラフラとお酒を取りに行かれました。



 テミス様の予言術は神々の中でも群を抜いていらっしゃるだけに、チクチクと心に刺さります。


「ヘラ様、まだ起こるかどうかも分からない先の事を考えて、暗い気持ちになってはいけませんよ」


 会話を聞いていた虹の女神イリスが、穏やかな顔で慰めてくれます。


「イリス、ありがとう」


 杯に入った神酒を一気に飲み干すと、イリスがすかさず新しい神酒を注ぎました。この女神の気配り上手な事と言ったら、右に出る者はおりません。


 どうせわたくしには予言術は使えないんですもの。今目の前にいるゼウス様の事を信じるのみですわ。

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