ヘラは今日も夫の浮気に悩まされる
市川 ありみ
第1話 出会った時には、彼には既に妻がおりました
一体いつまでこの状況が続くのかしら……。
先に飲み込まれた2人の姉と、後から飲み込まれてやってきた2人の弟、そして1番最近では大きな石ころ。
お父様ったら、我が子だけじゃなくてとうとう石まで飲み込んじゃうなんてどうかしているわ!
ああ……父親の腹の中で死ぬことも無く、ただ時間だけが過ぎ去っていく。
だれか……誰か助けて……っ!!!
心の叫びが届いたのかどうなのか、ある夜突然にその日はやって来ましたの。
弟のポセイドンとハデスが突如消えたかと思ったら、今度は自分が逆らい難い力によって父親の腹から「うえぇ……っ!」と吐き出され、先に出ていた弟2人の上にドサッと落ちました。
そしてまず初めにわたくしの目に入ったのは、苦しさに悶える父の姿と、初めて会う弟の姿でした。
*
空に舞う花びらのシャワー、降り注ぐ祝福の嵐。
薄いヴェールを頭から被り、隣には愛する夫。
女なら誰もが夢見る幸せな瞬間――結婚。
わたくし結婚の女神ヘラはこの度、弟のゼウス様と結婚する事になりましたの。
弟と結婚?! なんて人間の感覚と同じにしないで下さいませ。近親婚なんて神の世界ではフツーですわ。わたくしの父クロノスと母レア様だって何を隠そう、兄弟ですもの。
なんで父を呼び捨てかって? 実の子供を飲み込んじゃうような鬼畜野郎に様付けなんて必要ないです。
ここで少しだけ、夫ゼウス様との馴れ初めを話しておきましょう。だって皆様だって気になるでしょう?
わたくしがゼウス様を初めて見たあの日、父が突然飲み込んでしまった子供を吐き出したのは、なんとゼウス様と知恵の女神メティス様が嘔吐薬を飲ませたからだったのです!!
最後に父が飲み込んだあの大きな石ころは何だったのかと言えば、母が産まれてきた息子だと嘘を言って父に差し出した、身代わりの石だったんですって。
身代わりの石……それこそが両親にとって6番目の子供、ゼウス様ですわ。密かに育てられ成長したゼウス様はわたくし達兄弟を救うため、メティス様と共謀したという訳。
そもそも何で父がわたくし達兄弟を飲み込んだのかと言えば、『自分の子に権力を奪われる』という予言を受けていたから。
だったら子供なんか作らなきゃ良いのにって突っ込みたくなるのはわたくしだけかしら。男と言うのは本当にバカ……いえ失礼。そんな汚い言葉を使ってはいけませんわね。アホ……? あらやだ、適当な言葉が見つかりませんわ。
とにかく、弟に救い出されたわたくしはその後すぐに海神オケアノス様と奥様のテテュス様の元へ預けられて、育てて頂きましたの。
その間、弟達は父と戦っていたそうですわ。
見事勝利を収めた弟たちはくじ引きをして、ポセイドンは海界を、ハデスは冥府を、そしてゼウス様は天界の主となり、ゼウス様はこの時の功績を認められて神々のトップとして君臨することになったのよ。
つ・ま・り、その妻のわたくしは今日、神々の女王になるという訳。
素敵でしょう?
それで話が脇に逸れたけど、実はわたくし、ゼウス様にとっては3番目の妻なの。
過去の清算のために一応、前の2人が誰だったのか話しておくと、1人目はわたくし達兄弟を吐き出させるために知恵を貸してくださったメティス様。
それから2人目は伯母で掟の女神テミス様。
メティス様とどうして離縁されたのかはここでは脇に置いておくとして……ゼウス様がわたくしをオケアノス様達の所へ引取りにやって来た時には、既にテミス様と再婚なさっていましたの。
それを知った時の衝撃と言ったら……っ!!!
実の所わたくし、ゼウス様に助けて頂いた時に一目惚れをしておりました。
サラリと流れる長い白銀の髪に雷光の様な金色の瞳。
誰もが振り向かずにはいられないような美しい容姿。甘露のように甘く、思わず体が痺れてしまいそうになるような声。
あぁ、なぜテミス様と再婚なさる前にわたくしと再会しなかったのかしらと涙に暮れました。
そして、そんなわたくしに追い打ちをかけるような事をゼウス様がなさいましたの。
なんと、わたくしの事を気に入ったからと夜這いをかけてきたのです!それも何度も!!しつこく!!!
皆様想像してみて下さいな。
自分が恋焦がれる人に言い寄られたら、当然嬉しいですわよね。喜んでその身を捧げたいって思いますわよね?
でも心を鬼にしてきちんと断りましたわ!
だってわたくし、結婚と女性、そして家庭を司る神ですのよ。そのわたくしが妻のいる男性と関係を持つなんて有り得ませんわ。
執拗いくらいに何度も迫られましたけど、ここは絶対に譲れません。
じゃあなんでそんな男性と今、結婚式を挙げているかって?
それは……そう、数ヶ月前の事。
いつものように森を散歩していた時ですわ。
突然雨が降ってきましたの。
どこか雨宿り出来るような場所はないかと当たりを見回していたら、道端でカッコウが濡れそぼっているではありませんか。
近づいてよく見たらケガをしているのか、羽を広げてぐったりとしているのが可愛そうで、寒いだろうと胸元に入れて急いで家に帰りましたの。
『カッコウさん、大丈夫? 今ケガの様子を見てあげるわね』
カッコウをベッドへ寝かせてあげようと、胸元から取り出したところでビックリ!
両手に収まるサイズだったカッコウがみるみるうちに大きくなって、人の形になったのです。
『きゃああぁぁぁっ!!!』
『ヘラ、驚かせちゃったかな?』
『ぜっ、ゼウス……さま?』
そのカッコウはなんと、ゼウス様が変身した姿でしたの。
思わずベッドに尻もちを付いたわたくしに、ゼウス様の顔が近づいてきました。
『やっと君の寝所まで入り込めた。ねえ、ヘラ。さっきみたいに僕を君の肌で温めてよ』
『御冗談はおよし下さい。何度も申し上げている通り、わたくし、既に奥様がいる方とはそのような関係を持ちたくありません』
プイッと顔を逸らせると、わたくしのナッツブラウン色の髪の毛をゼウス様がクルクルと指先でもて遊びながら笑っております。
ああ、最高にカッコイイ……。まさにわたくしのタイプど真ん中な顔立ちですわ。少々強引な所もちょぴり良いなんて思ったりして。
『知っているよ。ヘラは僕の事好きなんでしょう? 何もかも忘れてほんの一時、僕に身を預けてしまってはどうだい?』
耳元で囁くゼウス様の甘い言葉に、グラグラと心が揺れました。
一度だけなら……?
いえ、何を言っておりますの!
一度許せば二度、三度と繰り返すに決まってるわ。そして傷付くのは他でも無いゼウス様の妻。
わたくしは何度も言いますけど、結婚と家庭の神ですもの。なんのこれしきの甘い言葉っ!!
『いいえ、何度いらっしゃっても無駄でございます』
『そんなこと言って。それなら君の身体に聞いてみようかな』
衣の裾から、ゼウス様の手のひらがスルスルと太ももへ滑り落ちてきました。
その瞬間、頭にカッと血が上ってパシーンっといい音が部屋に響きわたりました。
ゼウス様の頬を思いっきりひっぱたいてしまったよで、つうっと口角からは血が流れ落ちています。
最高神に手を挙げるなんて……。やってしまったと言う思いはあるものの、後悔はしておりません。絶対、絶対、絶対に、夫以外の者にわたくしの身体をあげてなるものですか!
流石にお怒りになるかもしれない。とゼウス様を見上げると、口元の血をペロりと舐めとって予想外にも微笑まれました。
『ふふっ、ヘラは堅いねぇ。そこがまたいいんだけどさ』
ベッドに押し倒されそうになるくらいまで、再び迫ってきていたゼウス様をグイッと押し退けて立ち上がると、ため息混じりにゼウス様がおっしゃいました。
『困ったなぁ、ヘラ。どうしたら美しい君をモノに出来るのか教えてくれないかい?』
『お教えするまでも御座いません。妻がいる殿方とは絶対に関係を持ったり致しません。わたくしがこの身体を捧げるのは誰がなんと言おうと、このヘラの夫だけと決めているのです!』
ピシャリと言い放ったわたくしの言葉に何かを閃いたのか、ゼウス様はポンッと両手を叩きました。
『ああ、なるほどね。そういう事か! 君の言うことはよく分かった。また出直してくるよ』
ゼウス様はヒラヒラと手を振ると、もう一度カッコウの姿に化けて窓から飛んでいってしまわれました。
窓辺へ近づいて外を見ると、空はすっかり雨が止んで綺麗な青空が広がっております。
『もしかしてあの雨もゼウス様のしわざだったのかしら……。天候までをも自在に操ることが出来る神、ゼウス様。でもわたくしの身体はそんな貴方でも許す訳には参りませんわ』
あれだけ言ったのだから、まさか本当に出直して来るとは思わないでしょう、普通。
その数週間後、わたくしの前に現れた彼はこう言いましたの。
『愛おしいヘラ。テミスとはち・ゃ・ん・と・別れてきたよ。だから僕の妻になっておくれ』
『え゛っ……いま、なんて仰いましたの……?』
『君を僕の正妻として迎えると言ったんだよ。これで君は僕のものだね』
ゼウス様がわたくしの手を握ってニコリと素敵に微笑んで下さいましたけど……
えぇ? ええ? ええええっっ!!!?
……と、これがゼウス様との馴れ初めでございます。
ひとつ、これだけは誤解のないように言っておきますけど、決してわたくしはテミス様と離縁するよう唆したりなんてしておりませんわよ!
皆様なら分かってくださいますわよね?
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