盧循2  徐道覆の説得

409 年に劉裕りゅうゆう慕容超ぼようちょうの討伐に出向いたとき、盧循ろじゅん始興太守しこうたいしゅとして任じていた徐道覆じょどうふく、盧循の姉の夫が、盧循に劉裕の留守を突くべきだ、と勧めた。盧循は従わなかった。


そこで徐道覆は番禺ばんうに足を運び、直接訴える

「朝廷はつねにあなた様を腹に抱えた病と考えておりますぞ、劉裕はいまだ外征より戻っておりませぬ、ここに乗じなければ目先の平安は保てても、南燕なんえんが片付けば劉裕自身が豫章よしょうに軍を率い、そこから精兵たちに豫章と番禺とをへだてている山を越えさせてきましょう。そうなればあなたさまの神武であっても抵抗しきれるものではありません。今日の機会を万が一にも逃してはならぬのです。建康けんこうさえ落とせれば、劉裕が帰還したところで何ほどのことができましょう。あなたさまがこのまま出向かぬとおっしゃるのであれば、わしは始興の兵でだけでも尋陽じんようを目指しましょう」


盧循は徐道覆のこの振る舞いを心底不快に思っていたのだが、一方でその提言をきっぱりと退けるだけの論も持ち合わせなかったため、ついに腰を上げた。




義熙中,劉裕伐慕容超,循所署始興太守徐道覆,循之姊夫也,使人勸循乘虛而出,循不從。道覆乃至番禺,說循曰:「朝廷恆以君為腹心之疾,劉公未有旋日,不乘此機而保一日之安,若平齊之後,劉公自率眾至豫章,遣銳師過嶺,雖復君之神武,必不能當也。今日之機,萬不可失。既克都邑,劉裕雖還,無能為也。君若不同,便當率始興之眾直指尋陽。」循甚不樂此舉,無以奪其計,乃從之。


(晋書100-7)




基本的にはどこまでも徐道覆、なんですよねえ。彼の初動で実際に動けていれば、まぁ何無忌かむき劉毅りゅうきをどこまで退けられたか、みたいな変数は別途出てくるでしょうけど。特に劉毅劉裕が建康にいるかいないかで兵権がまるで変わってくるでしょうし。まあ、たら、ればに意味はないんですよね。劉裕が「間に合ってしまった」、五斗米道にとっては、それがすべて。

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